第六話 受験生たち

 スターリー中等学校の合否発表の日、学舎の掃除をしていると、レイラがやってきた。背中に手を回して何かを隠している。


 微笑みを抑えきろうとしながらも、こぼれてしまっているその表情から、何が言いたいのかは明らかで、思わずオリバーも笑顔になってしまった。

 しかし、あえて口にはしない。


「こんにちは、レイラ」

「こんにちは! オリバー先生。あのね、あのね!」


 レイラの横には彼女の父母が立っている。上がった口角に押し上げられた頬が艶々と輝いていた。

 レイラが、背に隠していたものをオリバーに掲げてみせた。それはもちろん、合格の証の通知書だ。


「よかったなあ、おめでとう」

「ありがとうございます」


 親子三人揃って頭を下げられてオリバーは萎縮した。


「お父さんもお母さんも、そんなに畏まらないでください。私は何も。レイラさんは努力家で、課題を出してもすぐにこなして……九つからこれだけ頑張ったんだから、合格も当然でした」

「いえ、けれど、決して一人ではできないことでした。先生のご指導のおかげです」


 レイラの父に重ねて謝辞を述べられ、オリバーは身に余る光栄だと、少し身をすくめた。


「お役に立てたなら、よかったです。部下のマキシアンからの紹介とは言え、私の名前を聞いた時には心配したでしょう。任せていただいてありがとうございました」


 夫婦は苦笑いを浮かべた。この年代の人たちは王立中での出来事を、当時、第一報のような段階で耳にしている。オリバーはレイラを預かるときにも、そのことを改めて説明した。隠すことなどできないし、子どもに関わる以上、不誠実な態度を取るのは避けたかった。


「まあねえ……でも、こうしてお話したり、レイラから授業の様子を聞いたりすると、そんなこと忘れてしまうくらいですよ。きっと私たちが聞いた以上の事情があったのだと分かります。オリバー先生に任せて間違いなかったわ」


 終始和やかな雰囲気で話し、別れ際にはレイラが手を振って

「進学しても遊びに来ます。その時は、また魔法教えてね」

 と言ってくれた。


 この仕事をしていてよかったと思える瞬間の一つだった。ほう、と息を吐く。安堵ゆえのため息。

 そして、次の受験に向けての一年が再び始まる。次年度に、魔法中を受験する予定の生徒は、今のところ二名。

 服飾店の娘、ナタリー・グリーンと乗合馬車の事業を営む父を持つ男の子、ナント・マーシャルだ。

 どちらも今のところスターリー志望。


 例の王立中対策のために訪ねてきた父親は、その後、姿を見せない。諦めたのだろうか。それとも……もしかしたら、ゴシップ誌の記者だったのではないか、とオリバーは考えていた。


 事件後半年ほどは、毎日のようにオリバーのもとに記者が訪ねてきた。少年だったオリバーはその不躾さに大いに傷つけられ、彼らの姿を見るだけで呼吸が苦しくなることさえあった。


 年月が経ち、近頃はその姿を見かけることはなかったが、奴らはしつこい。

 保護者のふりをして近づいてくるというのもさもありなんだ。それならば、顔を隠していた、やたら若い、というのも頷ける。


 以前は、世間からの批判に耐えるしかないと、事実無根の乱暴な記事にも文句を言うことはなかった。しかし、今は生徒を抱えているから、下手なことを書かれるわけにはいかない。



「ねえ! オリバー先生もっとそばに来てよ」

 ナタリー・グリーンがちょっと拗ねたような顔をして言った。前髪を後ろに流して、大きなリボンの付いたカチューシャで留めている。丸いオデコが彼女のトレードマークだった。


「いや、これ以上は近づけないかな……」


 オリバーは苦笑いをしながら、後ずさった。机一台分の距離は絶対だ。ナタリーはオリバーのことを気に入っているらしく、何かと秋波を送ってくる。正直、困る。


 魔法の講義中だった。次に受験を控える初等学校五年生の二人が、机を前にして椅子にかけている。


「なんで。だって、できないんだもん。全然沸騰しない。先生が近くで見てくれたら、どうしてできないか分かるかもでしょ」

「いや、この位置でも分かる。諦めるのが早すぎる。集中が足りない。ナントを見てみろよ」


 ナタリーの横で、左手に包むように水の球を出現させて、なおかつ右の手に炎をちらつかせているのは、ナント・マーシャル。炎にくっつかんばかりに顔を近づけて、瞬きを忘れている。


 しかし、火はチラつくばかりで安定しない。水を熱するには明らかに火力が足りない。


「集中してるけどだめじゃん」


 ナタリーが馬鹿にしたように鼻で笑い、手元の雑紙ざつがみを小さく破り、握りしめた。


「強火でお願い」


 口の中で呟いたのが聞こえて、ぱっと手のひらを開いた。派手に火柱があがる。ナタリーの顔が照らされて、悪巧みをしているようにも見える。


「……ナント」


 得意げにしている彼女のことを目の端に入れつつ、ナントに声を掛ける。しかし、聞こえていない。くすぶる程度の火とにらめっこしている。

 ナタリーは飽きてしまったようで欠伸をした。途端、手のひらの炎は強風に吹かれたように掻き消えた。


 まだこの子たちには早い課題だった。頭を掻く。


「一旦やめ」


 ナントのくすぶる手のひらに、オリバーは手を重ねて炎を掻き消し、水を取り上げた。ようやく顔をあげて、ナントはきょとんとした表情を見せた。取り上げた水は近くのバケツに放り込む。


「ちょっと、ナントの手を握るのはいいの!?」

「指導上仕方ないから」

「ええー、じゃあ私も炎消さなきゃよかった」


 ナタリーの駄々を目線で制して、ナントに諭した。


「先生の声が聞こえなかったか」

「はい……」

「大した集中力だ。分かるよ、魔法をコントロールしようとして手元にのめり込んでしまう感覚」


 ナントは何度も頷いた。


「けれど、魔法を使う時には手元だけではなくて、周囲にも気を配らないといけない。試験ならば時間制限があるから、時計を気にしないといけないし」

「はい」

「何より、危ない。外で使うことを想定した時、近づく人間に気づけなければ、燃え移してしまう可能性がある。少なくとも耳だけでも、辺りに意識を向けられるように。少しずつでいいから訓練しよう」

「はい」


 ナントが落ち込んだように、手のひらを見つめた。ナタリーは飽きて机に突っ伏してしまっている。


「ナタリー、さっきの炎、ナントに見せてくれないか。人がやっているところを見れば、上達が早い」


 はーい、とだるそうに頭を上げて、ナタリーは先程と同じ手順を踏んだ。手を握り込む。すぐさまナントが抗議した。


「オリバー先生、僕、普通に炎使うだけならナタリーと同じくらい出来ます」

「超超! 強火でお願い!」


 じりっと肌に熱さを感じるほどの火があがる。発言とは反対に、ナントは呆気に取られたように炎を見つめた。火力の違いに気付いたようだ。彼は至って普通に炎を出すことはできるが、強さにまでは意識がいっていない。


 調子に乗ったナタリーは、火を起こしたのと反対の手のひらに水を集める。水の球の端を炙るように近づける。

 できるのではないか、と二人して彼女の手元を見守るが、ぐうっと顔を歪めて、辛そうにした途端、両の手から力が抜けた。火は消えて、水は散らばる。


「だー! もう、ほら、沸騰しない」

「うーん、もうちょっとなんだよなあ。魔法を続けて出すのはやっぱ難しいか」

「ねえ、オリバー先生。火の魔法を練習したい、家で」


 熱心なナントを嬉しく思いながらも、オリバーは首を縦には振らない。


「それは絶対にだめだ。水や空気なら別にいい。炎は大人の魔法持ちがいる時でないとだめ」

「ええーなんで! 火事にならなきゃいいんじゃないですか」


 食い下がる。

 よく聞いてほしくて、声の調子を抑えて、オリバーはゆったりと話した。


「魔法で人を傷つけたら、死刑になる。子どもだろうと大人だろうと」


 ナントの顔に不安がよぎる。


「わざとじゃなかった、は通用しない。もしも君たちがそんな目にあったら先生は、冗談じゃなく生きていけない。だから、炎はだめなんだ。分かるか」


 わざとじゃない、が祖父のおかげで通用したお前が言うなよ、と思われてしまうだろうけれど。

 それでも、絶対に言い聞かせなければならないことだ。ナントだけではなく、ナタリーも神妙な顔をして頷いた。


「今日の授業は終わるけど、練習したいんなら授業がない日でもおいで。先生の手が空いている時ならいくらでも付き合う」

「じゃあ明日来てもいーい? どうせ家にいても退屈だし。練習するかは置いといて」

「明日でもいいよ。ただ、ちゃんと練習しなかったら家に帰すからな」

「僕も!」

「え、あんたはだめ! 私とオリバー先生の二人きりがいい!」

「は? わがまますぎるだろ」


 お互いの主張――圧倒的にナントが正しい――を聞きながら、これからの授業計画を頭の中で追う。今足りないところは多くとも、伸びしろがある二人の成長はこの一年でどれほどになるだろうか。

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