第五話 色男で優男
その場にいた者にとってあの事件は冷や水のようなものだ。マキシアンの酔いもすっかり覚めてしまっていた。
「オリバーの気持ちは分かるけど、あれは事故だ。何が悪かったのか、何回も一緒に考えただろ」
「ああ。俺が愚かだったからだ」
「違う。お前が愚かだからとかじゃなくてさあ。ちゃんと原因があるだろうが、思考停止すんな。
一つ、魔法は口で唱えたことではなくて、思い描いたことが起きる。だから、頭が冷えてる時にしか期待した効能は実現しない。
大怪我に驚いた脳内がチグハグな想像を浮かべてしまった、で、ああなったと」
それを実感したのはあの事件の時が初めてだった。以前から頭でしっかり情景を浮かべるように、と教えられてはいたが、いまいちピンと来ず、苦しんでいた祖父を前にして魔法を使うのを止められなかった。ただ、言い訳にしかならないし、聞く人によっては魔法持ちへの恐ろしさが増す真実だ。だから、オリバーはそれを決して口にしない。
あの後、祖父の腕が治ることはなかった。王族御用達の高名な治癒師が看ても、くっつけることは叶わなかった。おそらく、オリバーが手を下す前であったなら、元通りになったのだろうが。
言うまでもない、大罪だ。そもそも魔法で人を傷つける、というのは本来、問答無用で死刑だ。
『失敗に終わってしまったが、あれはあくまで治癒行為だった。まだ一四の少年の失敗を命を持って償わせるというのは、理にかなっていないだろう』
他の誰でもない、腕を捻じ切られた祖父がそう主張し、庇ってくれたおかげで、今もこうして生きている。
ただ、事件は簡単には収束しなかった。魔法持ちでない者にも、オリバーの失態は知れ渡った。
『魔法使いの皮を被った悪魔』『シクルランド王国の隠し兵器』『スミス学舎の育てた厄災』
そんな見出しのゴシップ誌が平民の間に出回った。オリバーに知る由がなかっただけで、おそらく貴族の間にも流通したのではないか。
王の名前を語った組織に属する魔法持ちが、公のもとで人を、しかも家族を傷つけるというのは前代未聞で、話題性が高かった。
そもそも、魔法が人を直接傷つける、ということ自体、国民の耳に新しかった。魔法で火をつけて、ボヤ騒ぎを起こした結果、人に火傷を負わせてしまうという感じで、あくまで二次被害で起きる事件は珍しくないけれど。
オリバーは事件後、王立中を退学になった。祖父は苦言を呈したが、オリバーは一も二もなく受け入れた。罪の意識は軽くならなかったけれど、少しでも罰を受けたかった。
「オリバー、もう一つ。お前はあの時、まだ子どもだった。スミス先生が許したんだから、もう許されていいんだ」
マキシアンが酒を机に置いて、真面目な顔で言い募った。彼は、この終点のない話に十代の頃から付き合い、飽きずに励ましてくれる。同級生の中で未だに親交を持ってくれるのはマキシアンくらいだった。
「ああ、そうだよな。一四の時のことを今も引きずってるって、本当……どうかしている」
「まじ、暗いなあオリバーは。とにかく治癒魔法のことは一旦忘れろよ。試そうとも、しなくていい。世の中、魔法ができなくても、なんとかなることばっかだ。お前はよくやってる」
「そうだな、全部マキシアンのいう通りだ。暗くして悪かった」
マキシアンが困った顔をしているのを見かねて、笑って話を終わらせた。
明るい彼を暗くさせてしまう。申し訳ないと思いながら、オリバーはいつまでも立ち直ることができなかった。前向きでいようと心がけてはいるが、全くもって辛抱が足りない。己の無力さを痛感した時に、旧知の者の前で口を開くと、こうなってしまう。
「そう言えば、今日、王立中に子どもを通わせたいって親が、うちに来たんだよ」
無理やり話を変えた。マキシアンもこちらに合わせて、乗ってくれた。
「まじ? 教えるのか。めっちゃいいじゃん」
「いやあ、俺は王立中関わったらダメそうだからなあ。断ろうとは思うんだけど」
「教えたらいいのに。スミス学舎って元々そういうところじゃん。もう十年以上前の失敗なんて、みんな忘れてるよ」
「でも、鼻つまみ者ではあるだろ。まあそれはいいとして。王立中通いたいって言ってきたのが、えらい若いお父さんだったらしくて、しかもマントで顔を隠していたんだと。知らないか、魔法持ちの親でそういう感じの人」
「ええ〜、いや情報少ないな。目とか髪の色は」
「いや、分からん。俺は直接会ってなくて、母親が対応したんだよ」
「若い父親、マント。うーん。この町の魔法持ちとは全員繋がってるつもりだったんだけどなあ」
マキシアンは考え込んだ末に匙を投げた。
「やっぱり分からん! 話してみたいな。今度来たら名前と住所聞いといてくれ」
「もちろん。俺もできる限りで力になりたいんだ」
「ああ? 力になりたいんなら、お前が教えてやれって」
「ダメなんだって。他にいるだろ、教えられる奴。そういうの、紹介してあげて欲しいんだ」
「いねーよ。王立中の対策できる奴なんて、この街にはいない。お前だけだ」
「この街にはってことは……ブルーム地区まで行けばいるのか」
ブルーム地区は、シクルランド王国の一部であり、本土から離れた島である。王立中がある地だ。
「そうだな、そこまでいきゃあなんとかなるさ。でも、オリバー、あの島まで行って毎回習えって言うわけ? その保護者に」
「場合によっては」
「薄情者がよ。ああ、つまんねえ」
肘をついて、行儀悪く酒を煽るマキシアンに、時間は大丈夫かとふと問うた。自宅で彼の帰りを、妻と娘が待っているはずなのだ。
「あと一杯飲んだら帰る」
「了解。リサちゃん、元気か」
リサ、マキシアンの小さな娘だ。
「元気も元気。毎日重くなってる気がするよ。今日もさっきまで一緒に遊んでたんだが、娘の前で魔法使うのが一番楽しい。ちょっと水を作るだけでも、息が上がるくらいには喜ぶんだ」
マキシアンは頬を盛大に緩ませた。子煩悩な彼を見るのは楽しい。
「可愛い盛りだな」
「ああ、自分の子どもってのは最高に可愛いよ。娘が生まれてから仕事にも張りが出た。早く帰りたくてテキパキ動けるからな」
「いいなあ」
「お前も、なんか楽しいことないの? 最近」
オリバーは黙りこむ。仕事しかしていない。元々趣味は魔法、と言ってしまえるほどには凝っていたものが職業になったから、休みの日でも仕事をしてしまうのだ。
「うーん、まあ、仕事は楽しい」
「仕事しかしてねえのか。ほら、もっと色恋とかさあ」
咄嗟に浮かんだのは、例のごみ引きだった。恋と呼べるものではなかったが、仕事と魔法以外で関心があるのは、彼しかいない。
「色恋ねえ。気になる男はいるが」
「あれ、お前って男の方が好きなんだっけ」
マキシアンが意外そうに、目を開いた。
「あんまりこだわらない」
「意外だわ。女と付き合ってただろ、一時」
「ああ、まあ。告白されて嫌じゃなかったら付き合うさ」
悪い意味で有名になってしまったオリバーを気の毒に思うのか、近づいてきてくれる女性は多かった。その中でも、更に親密になりたい、恋人になりたいと言ってくれる人もいて素直に好意を受け入れた。全て二十代中頃までの話だけれど。
「うわ、オリバーくん悪ぅい。最低、女の敵……いや、男の敵ですらある」
「いや、でも誰のことも傷つけるつもりはないんだ」
「色男の優男とかタチ悪いんだよなあ。お前が毎回振られて終わるの、なんかしっくりくるんだよ。今は言い寄ってくる子はいないのか」
「最近はめっきりだよ」
「その、気になる男とは何もないわけ」
「ないなあ、たまに見かけるくらいだし」
「俺は応援するぜ。お前は何かしら、気を紛らわすものを手に入れるべきだ」
最後にはやたら真剣な目をしてそう言った。杯を空けるのを見て、席から立ち上がった。支払いを終えて、店から出る。
結局いつも心配させて終わってしまう。それが嫌でオリバーは努めて明るく、マキシアンに握手を求めた。感謝の気持ちを込めて握る。魔法持ち同士は触れて念じることで、感情を分かち合うことができる。
マキシアンも笑ってくれた。人の温もり、というだけではない。気持ちが熱のように伝わるのだ。そうして、手を振って別れた。
古傷が傷みに傷んだ一日の締めくくりとしては、上々なものだった。
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