第二十二話 夜間飛行

 オリバーは家出した子どもを探す経験を幾度となく持つ。真っ暗な夜、子どもらが行くところは限られる。


「ギル」


 名前を呼びながら、心当たりの場所を見回った。夜が明けるのを待つ浮浪者が、たまに道端に座っていた。近くに行くまで気づくことができず、つま先の先に彼らを見つける度、心臓が跳ねた。


 家出をする子どもらは教会の入り口や市場に、息を潜めて、あるいは泣きながら、隠れていることが多い。陽が落ちる前の、人の気配が残っている場所を選ぶのだ。


 一時間ほど探し続けて、随分遠くまできた。寒いほどの気温にも関わらず、額に汗をかいていた。少し疲れて、炎を一度納めた。辺りが暗闇に包まれる。


 ギルバードはなぜ、急に姿をくらましたのだろう。

 考えながら、あたりを見渡す。あの子は優しい子だ。痛い思いをしてでも働いている父に気づいて、心を曇らせるほどには。


「ギル、お父さんが心配してるぞ」


 空虚に声をかける。当然、返事はない。魔法でなんとかならないだろうか、と考える。例えば、魔法の素の流れを掴んで、人の気配を探るとか。ものは試しだ。


 オリバーは空を掴むようにして、目を瞑る。

 素の流れで、どこに物体があるのか、というのは伝わる。樹木、民家、茂みに隠れる多分猫(子犬かも、小さい命ということだけ分かる)。


 ……分からなくはない。けれど、範囲が狭い。慣れたら広げられる、と考えて、探索を続けながら、元来た道を戻ることにした。

 子どもの足で行ける範囲は狭い、ここより先にいる可能性は低い、はずだ。


 手の平を通して辺りを探る。同時に炎を出すことはせず、暗い中を進む。たまにつまずきそうになる。

 徐々に感覚が冴える。家を持てない人々が、道の端にしゃがんでいるのが、目で見る前に分かる。


「ギル」

 名前を幾度となく呼ぶ。

 不意に、指先が震えるようにして、誰かの存在を捕まえた。先の小さな命のように、物陰に隠れている。


「ギル……?」


 呼ぶと、それが揺らいだ。火を起こして、そちらへ行く。

 気配の元を炎で照らすと、金髪の少年が膝を抱えて小さくなって座っていた。バツの悪そうな顔でこちらを見上げる。


 ――見つけた。オリバーは安堵から息を漏らす。

「ここにいたのか」

「オリバー先生」


 足が疲れた。ギルバードの隣に座る。彼の頭に触れると、冷え切っている。

「寒かっただろ」

 炎を薄く広げて、ギルバードを温めるようにした。


「なんで授業に来なかったんだ」

 少年は答えない。早く戻って、カイに知らせてやらねばならない。分かっているが。


「懐かしいな。俺も昔、夜に家を飛び出したことがあって、こんな風に隠れてたな。星が綺麗なんだよ。こう、しゃがみ込んでると」


 内心の怒りを抑えて、穏やかに語りかける。星空へのありがたみなんて、普段はあまりないが、家出するような気持ちの時には随分とそれが沁みた。


「そうですね、僕も星を見てました」


 少しの間、二人でそうして夜空を見上げていた。

 オリバーは、宥めるように、静かな口調で切り出す。


「なあ、ギルバード、お父さんが心配してるから、帰らないと」

 立ち上がるように促すが、彼は従わない。


「帰りたくないのか。……なんで家出したんだ? ギルなら、お父さんが死ぬほど心配することくらい分かるだろ」


「……最近のお父さん、本当に辛そうなんだ。疲れているし、触るといつも暗い気分が流れてくる。元々そういう人だけど、ここ最近はよりいっそう。……僕の学費を稼ぐために無理してるんだ」

「そりゃあ……多少無理はしているだろうが。なあ、元々そういう人っていうのはどういう意味だ」

「……お父さんは僕がいないと死ぬんじゃないかなって思う時がある」


 死、という言葉を真面目な顔で呟く少年を、言葉に詰まって見つめる。


「だから、全寮制なんて絶対に嫌だ。そばで見ていないとだめなんだ」


 オリバーの知っているカイ・ウェルザリーは、明るく、口下手なところもあるけれど、それを補って余りあるほど人当たりが良い、そんな男だった。貧しそうではあったが、決して不幸には見えなかった。

 息子から見た彼は、全く異なるものらしい。


「やっぱり優しいんだな、ギルは」


 オリバーは、少年の肩をぐいっと引き寄せて、立たせた。

「それはお父さんと話そう」

「でも、言えないかも」

「それじゃ話が進まない、と俺は思う。……ま、ちょっと気晴らししてから、ってことでどうだ。一緒に星を追って、帰ろうじゃないか」


 オリバーは背中に携えていた箒を操り、空中に浮かす。

「えっ、まさか。空を」

 暗い顔をしていた少年の頬に、血色が差す。オリバーは笑ってみせる。


「夜間飛行は、大人の魔法持ちの一般的な趣味だ。こんなに楽しいものはない」

「ええ、でも街中で箒って乗っていいんですか」

「俺は、思うんだよな。うんと高く飛んだら、そこは街の中じゃないって。俺にはそれができる」


「屁理屈……」

 などと言いながらもギルバードは、箒にまたがる。念の為に、羽織っていた己のコートを使い、少年の腰と箒を、即席で縛るようにする。

 後ろにオリバーも乗り、ギルバードの腹に腕を回し、体を固定させた。


「急上昇する。が、俺に身を任せていれば大丈夫だ。怖がって体に力を込めたりしないように」

「はい」


 地面を強く蹴って、星に近づくように上昇する。夜風が凍えるほど冷たい。羽織ものもなしに飛べたものではないが、我慢するしかない。


「すごい……!」


 何よりも高く、飛び上がる。街で一番背の高い、杉の木の先端ももう遠い。

 ギルバードは怖がる様子もなく、星に見惚れていた。


「王立中では、授業の中でここまで高く飛べるよう、訓練する。まあ、俺は退学になったから自己流のところも多いが……」


 オリバーは、教え子に伝えたいことがあった。彼が今悩んでいる親子関係には一切関係ないのだけれど、半年ほど彼を教えていてずっと心に募っていること。


「俺は、ギルが本気を出したら、どこまでやれるのか見てみたい」

 口から漏れる息が白い。


「僕の、本気?」

「きっとお前ならここよりも、もっと高く飛べるだろう。そんな風に期待してしまうんだ」


 返事はない。考え込んでいるようだった。オリバーもそれ以上、言葉を紡ぐことはしなかった。


 寒さで赤く染まった少年の耳を見ながら、高度を下げる。もう学舎のすぐ近くまで来ていた。目を凝らして、灯りを探す。我が子を探して、彷徨うランプの光。

 ……見つけた。できればカイだといいが、アドルフかもしれない。

 他に住民がいないことを確認して、地面へと近づく。茶色の髪の毛が見えて、カイだと分かった。気配を感じたのか、こちらを見上げる。


「ギル!」


 地上に降り立つと、カイが駆け寄って来て、ギルバードを抱き寄せた。親子の頬が触れ合う。少年の頭の後ろに手を添えて、ぐしゃぐしゃと撫でる。強く目を瞑って、涙を堪えているカイの様子がオリバーからはよく見えた。


「ギル、よかった無事で。怪我してないか? 怖い目に遭ってないか?」

「うん……。その、お父さん、ごめん」

「いいんだ……いい。ギルが無事なら、それで。安心した」


 カイの足元がふらついた。慌てて、その肩に手を添える。


「ああ、安心したら力が抜けちゃった」


 そのまま地面にしゃがみ込む。泣き笑いの顔で、オリバーの手を取り、見上げてくる。


「ありがとう、ございます。息子を見つけてくれて」

「いや、私は何も。お父さんも体が冷えたでしょう。一度報告がてら、学舎に戻りましょうか」


 カイが頷いて、その拍子にまなじりから涙があふれた。拭ってやろう、と出したハンカチを、一度強く握る。他の保護者の涙なら拭うことはしないから。

 考えて、差し出すのみにとどめる。


「すみません。大丈夫です!」


 彼は恥ずかしそうに遠慮をして、乱雑に手の甲で目を擦っていた。

 話すべきことは山ほどあったが、底冷えする寒さに震えて、急ぎ足で三人、学舎へと向かった。

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