第二十九話 グリーン服飾店

 オリバーはギルバードほど過酷な状況に置かれている受験生を見たことがない。

 これ以上ない、というか自分と父親の命がかかっているような一大目標を背負った彼は、授業のない日も学舎に来て魔法の練習をしていた。

 なんだか痩せたし、寝不足で目の下にクマをこしらえている。

 けれど、無気力ではない。


「チョコレートの匂いが美味しそうで集中できないんですけどー!」


 授業中、ナタリーが机を拳で叩いて、吠えた。ギルバードは一人、ホットチョコレートを作っていた。


「いいよなあ、王立中の問題。勉強したらホットチョコレート飲めちゃうんだ」


 ナントが羨ましそうにギルバードの手元にある、見た目には美味しそうなカカオペーストを見つめた。


「……舐めてみる?」

「いいの? 邪魔じゃない?」

「指先程度なら」


 ナントと、どさくさに紛れてナタリーもそのペーストに指をつけて、甘い匂いに包まれて期待した顔をしながら舐めた。


「……にが」

 想像通りの反応に、オリバーとギルバードは笑う。

「お砂糖混ぜてないからね」

「意地悪!」

 二人は頬を膨らませた。


 ギルバードは、以前やる気がなかったのが嘘のように、着実に王立中の題目をこなす練習をしている。カカオ豆の皮を剥く作業にはかなり苦戦して、できるようになるまで時間がかかったが、その後の練る工程はさらりとこなす。

 受験は刻一刻と迫ってくるが、このペースでいければ、問題はない。一安心だった。彼を王立中まで送り届けられたところで、試験に通用しなければ意味がない。


「美味しいのができたら、お父さんに飲ませるんだ」

 オリバーは自分の寄せた期待が、彼を苦しめないかと気掛かりだったのだけれど、そんなもの気にもせず、やるべきことをギルバードは進めている。心配は無用だった。

 それどころじゃない、というのが正しいかもしれないけれど。



 入試に向けて、棍詰めなければいけないけれど、やりすぎてもよくない。


 今度の休日、息抜きも兼ねて入試の日に着るための召物を、服飾店に買いに行くことになっていた。

 正装で臨まなければ試験会場で浮く、という話をギルバードにしたところ、

「うちの店で買いなさい! 安くしとくから」

 と横で聞いていたナタリーが腕組みして言った。


「え、じゃあ僕も行きたい」

「もちろんいいわよ、でも、ナントは定価ね」

「なんで」

「お金あるでしょ、あんたんちは」

「ええー」

「もー、全く冗談の通じない子ね。もちろん、ママがお友達価格にしてくれるわ」


 ナタリーの生家である『グリーン服飾店』には、うちの受験生がよくお世話になっている。衣服のことで相談が来たら、スミス学舎では必ずこの店を紹介するようにしていた。それは祖父の代から。

 長く築いてきた関係があるので、オリバーにとってなかなか気安い店だった。といっても平民を相手にする店の中では高級店の部類に入るのだけれど。


「じゃあ、今度の休日、二人で親と一緒にうちに来てよ。オリバー先生も」

「ああ、了解した。先生はあまり長い時間いられないが」


 というわけで、その当日、服飾店前にカイとギルバード、ナントとその母が集合した。カイは流石にあのクロークは着ていないが、明らかにサイズの大きい長袖と薄い生地のズボンを身に着け居心地悪そうにしていた。


 事情を知った今は分かるが、クロークを古傷を隠すために着ている、と言っていたのは二の次の理由で、本当は顔を隠すために身につけている。

 本土では命を狙われる可能性が低いと、ブランドンに聞いてからは少しだけ警戒が弱まっているように見える。


「俺……、ここ入ったらダサすぎて捕まりませんか」

 白の壁に金の装飾を施した、煌びやかな店構えを見て、カイはオリバーの影に隠れるようにした。


「そんなわけないじゃないですか」

 ていうか、そんな自ずから嘆くほどの服をどこで手に入れているんだ、と聞こうとして、その前に予想がつく。おそらくごみ引きの仕事で集めるごみから見つけている。


 服装を案じてくよくよしている上、ナントの母親のキリッとした雰囲気にも、カイは気後れしているようだった。


「こんにちは、ナントの母です。ジェーン・マーシャルと申します」

「あ、こんにちは。ギルバードの父です。カイ・ウェルザリーといいます」


 ジェーンは怪訝な顔をしていた。この反応も久しぶりというかなんというか、カイがあまりにも若いからだろう。


「お若いですね。うちの長男と変わらないくらいに見えるわ」

 ナントには、兄と姉が一人ずついる。一番上は確か二十歳だったか。


「ありがとうございます。あ、うちのギル、ナントといつも一緒にいるみたいで。仲良くしてくださってとても嬉しいです」

 カイは話題を変える。若干不自然だったが、ジェーンはそれ以上追求はせず、微笑む。


「……いいえ、こちらこそ。ギルバード、王立中を目指してお勉強されているんでしょう。本当にすごいわ。魔法がとっても上手いってナントがよく話すの。優秀でとても羨ましい」


 カイはどう返していいのか困っているようで、もごもごしていた。

 子どもたちは親の挨拶など当然興味もなく、先に店内へ駆けていった。


「ナントも十分優秀ですよ。集中力がすごいし、頑張り屋さんです」


 助け舟を出すように、話に割り込んだ。ジェーンは笑みを深めて見せた。雰囲気が柔らかくなる。


「ありがとうございます。そうね、うちの子も頑張っているんだけどね」


 お喋りしながら店内に入ると、店を切り盛りしているナタリーの母が出迎えてくれた。その横に得意げな顔をしたナタリー。丸いおでこが並んでいた。そっくりな親子がお揃いの髪型で店番をする姿は微笑ましい。


「いらっしゃいませ、こんにちは。子ども服、もういくつか見繕ってるのよ」

「よろしくお願いします」


 洋服よりも飾られたマネキンに夢中な男児二人を横目に、保護者同士が会釈し合う。ナントとナタリーの母はすでに顔見知りで、交わす笑みにも親しみが溢れている。


「ええっと、あなたがギルバードのお父さん?」

「はい、そうです。カイといいます。いつもうちの子がナタリーに何かと面倒見てもらってるようで、ありがとうございます」

「いやいやいや、逆よ。うちの子が面倒みてもらってるの。ギルバードと一緒に勉強するようになってから、あの子、人が変わったようにやる気になってね。ほんと、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらもいい刺激もらってるみたいで、その……」


 またカイは口ごもるが、嬉しそうに頬が上気している。


「先生、一緒に選んでよ」

 オリバーはナタリーに言われるがまま、少年用のスーツを見比べた。自然と保護者方に背を向ける形になる。何がそんなに楽しいのか、マネキンから離れないナントとギルバードを呼びつける。

 ナタリーの母が、気遣うような声色でカイに語りかけるのが耳に届いた。


「ごめんなさいね、初対面でする話じゃないかもしれないんだけれど……お母さんがいらっしゃらないって、うちの子から聞いていますわ。何かと大変でしょう? 困ったことがあったらいつでも声かけてくださいな」

「ありがとうございます、お気遣いいただいて。父と子二人で、なんとか暮らせています」


「あの……ちょっと、ごめんなさい……すごく失礼かもしれないんだけれど」

 ジェーンが、申し訳なさを滲ませて、そう言った。


「え、ハイ。なんでも言ってください」

 カイの声色が硬い。確かに何を言われるんだ、と構えてしまうような前振りだ。


「どうっっしても、うちの長男を見てるような気持ちになってしまって……その、失礼ながら、ウェルザリーさんはちゃんとしたお洋服持ってるのかしら」


 母親目線で心配になってしまったようだった。

 オリバーは思わず、保護者三人に視線をやる。

 お母様方に優しく見つめられるカイが、固まっているのは少し面白い。


「えっと、その。持ってないんですが、まずいですか。いっつもこんな感じです」

「持ってた方がいいわよ! 受験会場では入り口まで保護者が付き添うのよ。印象よくしておいて悪いことはないわ。ねえオリバー先生」


 ナタリーの母に、投げるように話を振られて、苦笑いをしつつ同意した。子どもらから離れて、輪に入る。

「まあ、それはそうですが……」


 金の問題があった。ギルバードの正装を購入するのもきっと、家計をやりくりしてやっとのはずだ。

 苦肉の策で、提案してみる。


「私の、お古でよければ貸せますが」

「本当?」

「何言ってるんですか、オリバー先生。体格が違い過ぎます!」


 ナタリーの母が怖いものを見たように引きつった声で言った。プロを怒らせてしまったのかもしれない。


「とりあえず、試着してみません?」

 心の底からカイを心配しているのか、カモがきたと思っているのか、判断のつかない笑顔で丸いおでこの店主は言った。


 カイは困った顔で、恥ずかしそうに俯いて、呟いた。

「あ、あの俺。お金ないんですよ……」

「そうなの? なら私が買って差し上げます。乗りかかった船だわ」

 ナントの母がこともなげに言う。


「いや、そんなとんでもない。ダメですよ。あと、それに……」

「それに?」


「あの、ご婦人方の前で話すことじゃないんですが、俺、お尻が大きいっていうか。スタイルがちょっと変で。スーツ着こなせる自信がなくて」


 深刻な顔で言い募る。

 鳩が豆鉄砲を喰らったようにして、ご婦人二人はカイを見ていた。

 そして、きゃらきゃらと少女のように笑った。


「うふふ、かわいいわね」

「本当ね〜。大丈夫よ、ウェルザリーさん。ちゃんと仕立ててあげるから」


 その場にいた大人全員が、カイの尻に目をやっていた。オリバーも含めてだ。

 子どもたちは、大人の話に見向きもせずに離れたところで、生地があーだこーだと背伸びした話をしている。よかった、と思う。自分の親が尻で真剣に悩んでいるところに遭遇するなんて、この時期の少年には耐え難いかもしれない。オリバーは、真顔でそう思った。


 なぜか本来の目的の子ども服ではなく、紳士服を見始めたお母様方から離れて、オリバーの方にカイが逃げてくる。


「恥ずかしい……。笑われた、結構真剣な悩みなのに」


 わなわなと震えながら小声でいうカイは、子どもを二人、三人と育ててきた母親からすれば、子どもみたいに見えるのだろう。楽しそうにする女性たちの気持ちも正直分かる。可愛がりたくなるのだ。


「すっかりお母さんたちの王子様ですね」

「そんないいものですか。優しい方々だけど! なんか……」

「まあ、絶対に親切でしてくださってるから。それに、お父さん、こういうところで仕立ててもらったことないでしょ?」

 カイが頷く。

「大丈夫、ばっちり合わせてくれる」

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