第三十九話 お別れ

 翌日、オリバーは夕方の船で本土に戻ることにした。スターリー中の受験がもう明後日だ。次はナントとナタリーの本番だった。


 本来は、朝一の便での帰宅を考えていたが、ブルーム卿への謁見が入って計画が狂った。会うのはギルバードとカイだけで、オリバーがいる必要はないのだけれど、手負いのカイが伯爵の屋敷まで移動するというのが、どうしても心配だった。


 決して近いとは言えない屋敷までの距離を箒でかっ飛ばす。オリバーがカイを、ブランドンがギルバードを、それぞれ乗せて運んだ。

 カイは、あの燕尾服を着て、がちがちになっていた。魔法を使わずとも緊張が伝わってくるようだった。


「そんなに緊張してると体に障るぞ」


 風を切りながら耳元で囁くと、カイは肩をすくめた。以前、共に飛んだ時と違い、平常心を失う感覚はもうなかった。二人で死線を超えたからか、愛おしいという気持ちをはっきり自覚したからか。


 動揺は全くなく、カイの体を躊躇わずに強く抱き寄せて固定できる。彼がぽそぽそと何かを言ったが、声は風に攫われてしまってオリバーの耳まで届かない。

 お喋りは諦めて、前を流すブランドンに置いていかれないように速度を上げる。



 屋敷に着くと、オリバーは客間に通され、カイとギルバードはブランドンに付き添われる形で謁見の間へ行った。


 しばし待っていると、ギルバードが嬉しそうに駆け足で戻ってくる。手に何かを握りしめていて、まさかと思いつつ聞いてみる。


「ギル……それって」

「じゃーん! 合格証です!」

 開いた口が塞がらない。

「え……嘘だろ。昨日の今日だろ。早すぎないか」


 貴族の力で裏口入学なのか、と言葉をなくしているとブランドンとカイが遅れて戻ってくる。


「これ、まさか」


 ブランドンに問いかけると、鼻で笑われた。


「言っとくけどズルじゃないから。アスター家はそんなことしない。チョコレートの年は結果が出るのが早いんだ。毎年翌日には出るよ。各家庭に着くのは、二、三日遅れるが。

 郵送前のものを、僕が最速でもぎ取ってきた。ギルバードは、確かに実力で合格してる」


 怪しい笑顔を浮かべるブランドンは信用ならないが、ギルバードに見せてもらった合格証は本物で、筆記の点数も立派なものだった。例年の合格者平均点から想定されるボーダーラインを大幅に超えている。


 こんなに手応えのない合格発表は初めてで、苦笑いしてしまった。もちろん、よかったんだけれども……。心構えがないところに吉報が飛び込んできて、うまく反応できなかった。


 ギルバードは飛び上がらんばかりだった。そりゃそうだ。これまでの肩の荷が全て降りたんだから。


「合格おめでとう。これでギルは先生の後輩だ」

「うん!」


 物静かな少年が年相応に、父親に甘えてみせた。父親というのはカイのことだ。

 生みの父であるブルーム卿は、この場には姿を見せない。


「ギル、すごいなあ。やっぱ天才だった」

「本当に、僕天才かもしれない!」


 抱きついてくる子の背中を撫でるカイは、とても幸せそうだった。彼の背にのしかかっていた懸念も降りたに違いない。


 それを見て、オリバー自身も幸福になるのと同時に、自分の役目が終わったのだ、と悟った。


 その後、ギルバードの亡き母バイオレットの墓を訪れた。屋敷の裏に彼女はいた。聞くと、ブルーム卿がせめてもの弔いに、と己の近くに墓を建てたのだそうだ。


「ビビ様、お久しぶりです。ギルバードは、王立中に無事に合格しました。ようやく、あなたを弔うことができる」

 花を手向けて、故人に話しかける後ろ姿を見守りつつ、これからカイはどうするのだろうと考えた。


 ギルバードの側にいるために、ブルーム地区に住むことにするのかもしれない。王立中の学費はアスター家が持つだろうし、以前のように無茶して働かなくていい。屋敷で住み込みで働くという手もあるだろう。


 カイがゆっくりと立ち上がり、こちらを振り向いた。


「オリバー先生、付き添ってくださってありがとうございます。船に間に合うように発たないと」

「……ああ。カイはこっちに残るのか?」

「体が本調子じゃないから、回復するまではブランドン様のお屋敷で世話になろうかと。ブルーム卿もそうおっしゃってくれたから」

「そうか……、うん、それがいい」


 ブランドンに任せるのは心配だけれど、ギルバードがついていたらきっと大丈夫だ。下手なことはしないはずだ。


「船まで見送ります」

 カイの申し出に、オリバーは首を振る。


「いや、ここでいい。朝から顔色が優れない。少しでも早く休んでください」


 図星を突かれたように、弱った顔をした。まだ体がきついに決まっている。


 背中から箒をおろそうとすると、ギルバードが、手紙を二通、差し出してきた。


「オリバー先生、これ……ナントとナタリーに渡してください。できれば直接応援したかったけど、どうしても難しいから」


 驚きながら、受け取る。この激動の二日間のどこに用意する時間があったのだろうか。


「ああ、渡しておくよ……。絶対に二人とも喜ぶ。学校の卒業式の日なんかは、戻ってくるのか?」

「戻りたい、けど、僕が動くとまた迷惑をかけてしまう気がして」


 父親が死にかけたのだ。そう思ってしまうのも仕方がない。

 それに、これから彼は何かと忙しくなるのだろう。


「まあ、折を見て、だな」


 ギルバードが、迷子のような顔をして、こくんと頷いた。

 手紙を懐に入れて、改めて箒を手に取った。


「じゃあ……」

 ひょっとしてここで当分お別れなのかもしれない、と寂しさが込み上げるが、飲み下した。

 そんなオリバーをカイが引き留める。


「あ、オリバー先生。よかったら入学式……ギルバードの入学式、一緒に参加してくれませんか」

「いいんですか?」

 ギルバードが笑顔で頷く。


「あと……あと、俺はマーシャルさんにお金も返さないといけないし。グリーンさんにもお礼しないといけないから。サンクに戻るから、ここでお別れってわけじゃない。すぐに会える」

「ああ、そうだな。俺はスミス学舎にいるから、いつでも訪ねてくれ」

 教師として、そう言った。


 カイがハグを求めて、小さく両手を差し伸べる。笑顔で応える。挨拶代わりの抱擁だ。オリバーは照れくさくて、あまり自分からはしないけれど、求められたらためらわずにする。

 軽く触れて、離れる。知っている、細い体。

 カイは笑っていなかった。瞬きを繰り返している。


 ブランドンもなぜか同じようにして待っているので、とりあえず抱擁を交わした。……全然離れない。


「挨拶のハグってそんな長くするもんじゃないだろ」

「いいじゃん! 進化したオリバーくんを味わいたい」

「悪いけどほんとにきもい」


 引き剥がそうと手を突っ張る。

 しんみりした空気を吹き飛ばしてくれたことには感謝せざるを得なかった。


「じゃあ、今度こそ! 何か困ったことがあれば手紙でも送ってくれ」


 三人に向けてそう言う。ギルバードが元気よく返事をして、ブランドンが投げキッスを飛ばしてくる。


 カイは、ただ、こちらを黙って見つめるだけだった。オリバーが手を振ると、微かに頰を持ち上げて、振り返した。


 胸のうろに寂しさが溜まって、揺れていた。勢いをつけて飛び立ちながら、視線が絡んだ最後の瞬間が、頭のなかで繰り返された。

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