第29話

陽射しが強い。気温の高い空の下を、日傘を差して歩く。今日は袴ではなく紺色の着物だ。もっと明るい色にしたらよかったのかもしれない。歩いているだけで汗がにじむ。

 さくらは大きく溜息を吐いた。

 あんなにも悪目立ちする男なのに、目撃情報が一つも出てこない。どこに住んでいるかも判然としない。情報を得たと思って行ってみても、そこには別の人間が住んでいたり、取り壊されてしまっていたり、とにかく合田伴雷に辿り着けない。さくらは溜息をついた。

 善助に昔の伝手まで使わせて探しているが、生きているのか、死んでいるのかさえ分からない。そういう日々が一週間続いた。


「大丈夫ですよ」


 そう、善助は言う。しかし、善助はアオと一緒に見ているはずだ。息子夫婦の最期の姿を。さくらは見ていないが、二人はあの、あまりにも身勝手すぎる最期を見たはずだ。

 ――やっぱり、他人だからそんな風に言えるのかしら。

 考えてしまってからハッとする。二人の最期に負けず劣らず最低な思考が脳裏を過る。何を馬鹿な。彼は全力で探してくれている。楽観しているわけでもない。善助に対してあまりにも失礼だった。

 善助がアオに、さくらに恩義を感じているのは見ていればわかる。

 五歳のアオはなにも欲しがらず、やれと言われたことをただやるだけの女の子だった。欲しいという感情もよくわからないようで、言われるままにさくらについて歩いていた。さくらが「大人しく見ていなさい」と言えば一日中だって稽古の様子を見ていたし「外で遊んでいなさい」と言えばやはり、良いと言うまで遊んでいるような、一緒に暮らし始めた時はそうだった。

 その時は、こんな心配はしていなかった。

 徐々にだが自分の感情を出すようになってきたアオは、道場に連れて行くと一緒になって稽古を受けたがるようになった。他の格闘技も習わせたのでなんだかいろいろごちゃごちゃになって、アオは独自の流派を確立しているが、彼女は格闘技が好きなようだった。

 よかった、と、そう思った。

 この子にも好きなものができたのだ。感情を押し殺していただけで、子供らしいところもある。学校に通わせたらちゃんと馴染んで友達もできた。このまま、元気に健康でいてくれたらそれでいいと安心した。

 あの男が現れたのはそういうタイミングだった。

 合田伴雷。

 あの男は、間違いなくさくらと、アオにも同種の不安を抱かせた。アオが同じことを不安に思うようになったのはさくらよりも後だろうけれど。もしかしたら、さくらが思うよりも早く、さくらの気にしていることに気付いて、さくらが気にしていたから気にするようになって、やがてそれを自分のものにしてしまったのかもしれない。

 とするならば、さくらが過敏にしたのが原因だろうか。であれば、どうしたらよかったのだろう。

 放っておくのがよかったのだろうか。

 しかし。

 ――アオは。


「それにしても、海原さんも大変ねえ」


 声がした。家から一番近いゴミ捨て場の前である。さくらは咄嗟に気配を殺し身を隠す。近所の奥様方が四人ほど集まっているようだった。


「アオちゃん、いい子そうだったけど、男と駆け落ちだって」

「その話、本当なの?」

「本当らしいわよ、ほら、駅の裏路地のお兄さん。よくアオちゃんと一緒にいた」

「アオちゃんみたいなのが好みなのかしら」

「わかるようなわからないような」

「けど、アオちゃんくらいの年なら、ああいうおにいさんに憧れたりするのかもねえ」


 呑気なものだと眉間に皺が寄る。顔を合わせれば心配している風で「見かけたら必ず連絡するから」と言われたのを思い出す。


「それだけじゃないわよ、海原さんが必死なのは」

「ああ、息子夫婦のこともあるものね」


 一週間だ。貴方達は一週間子供が行方不明になったら心配にならないのか、と詰め寄りたくなる。そんなことだけではなく、生死が分からない状態が一週間続いたらどう思うのか。ぐっと拳を握りしめて耐える。


「息子さん夫婦は心中で、お孫さんまで男と駆け落ちで」

「そういう家系なのかもね」

「あんなに、一生懸命育てていらしたのに」

「子供なんて薄情なものよ。結局、自分のやりたいようにしかしないんだもの」


 そうねえ、と同意する声がして、そこからは自分たちの子供の話に変わっていった。


「うちの子最近成績が落ちて」


 アオは、成績が落ちないように勉強も頑張っていた。だから、アルバイトも許されているし、許している。心配するまでもないことだ。それに、成績が少しくらい落ちても、必要なことを必要な時にやれる大人になれればそれでいい。


「加藤さんのところは確か、一年生でサッカー部レギュラーでしょう? うちの子が話してたわ」


 アオは、格闘技を教えたら教えただけ強くなっていった。うっかりルール違反で負けることはあっても、動きで劣っているところは見たことが無い。自分のことをよく知っているし、できないことはできるようになるまでやる。しかも彼女は、どんな練習も楽しんでいた。


「いやねえ、洗濯物が多いしよく食べるし、いいことなんてねえ」

「子供は手伝わないしねえ」


 アオは、家の事は大体なんでもできるし、頼まなくとも勝手にやっている。頼んだとしても嫌な顔をしたことはない。アオは。アオはあんな男に潰されてもいい女の子ではない。

 聞きたくなくて音もなく踵を返した。

 あの子は、アオは――。

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