第10話

近所の公園のベンチに座り、マカロンを齧りながら舞が言った。

 土曜日の昼間の公園はにぎわっているが、二人の纏う空気は重く、このあたりだけ朗らかな雰囲気から切り離されていた。


「営業だったと思う?」

「ううん」

「アオのお父さんとお母さんってさ」

「うん」


 アオに両親がいないことはよく知られていることであった。低学年の頃はよくからかわれた、というのもあるが、イベントに参加するのはいつもさくらで、誰もアオの両親を見たことはない。

 舞には一度話したことがあった。両親はある日突然いなくなった。おそらく、アオを置いて二人でどこかへ行ったのだと思われる。今はどこでなにをしているのか見当もつかない。

 視線をどこへやればいいかわからない為、アオは地面を歩く蟻を目で追い、舞は空を見ていた。


「さっきの、お父さんか、お母さんだったのかもしれないね」

「知れないねって、気にならないの」

「なるけど」


 気にはなる。なんの話だったのか聞きたくはある。が、さくらはまず嘘をついてさくらを遠ざけようとした。話してくれるかどうかわからない。アオが黙っていると、舞が耐えかねて口を開く。


「返せって言ってなかった?」

「言ってた」

「また一緒に暮らしたいってことなんじゃない?」

「うーん」


 父と、母のことを思い出す。二人はいつだって幸せそうにしていた。喧嘩をしているところは見たことが無い。しかし。アオはあまり、父と母と話をした記憶がない。遊んでもらったとか、絵本を読んでもらったとか、そういう記憶がない。夜になればアオは自分の部屋に放り込まれて、父と母の寝室には入れなかった。それがおかしいことだと気付いたのは最近だ。すると、二人がいなくなった理由は一つしかないように思えた。


「お父さんとお母さんは、私の面倒を見る時間が惜しかったからいなくなったんだ」

「は? どういうこと?」

「そんなことしてる暇があるなら、二人でいたかったんだよ」


 虐待をされたという記憶もない。食事を与えられなかったこともない。ただ、割かれる時間は最低限か、それ以下であったように思う。


「運命だって、よく言い合ってた」


 運命の相手だから、離れているのがなにより辛いのだと言っていた。


「私は、言われたことがなかったけど」


 そんな親が今更娘に接触を図って来たとして、果たしてまともな理由だろうか。アオはぼんやりと考える。まともな理由であれば、祖母はあんなにも怒らないのではないか、と思う。


「そんなの、でも、」


 舞はカメラを握りしめて、続きの言葉を飲み込んだ。無責任に「そんなことはない」とは言えなかったのだろう。

 気にはなる。親なのだから当然だ。愛して貰えたらきっと嬉しいとも思う。少しくらい愛情があったのだと信じたい気持ちもある。けれど。


「それでいいの? 会った方がよくない?」

「会っても、きっと目も合わないんじゃないかな」

「そんなひどいの?」

「脚色されているかも」


 六年前のことだ。アオは笑ったが、あまり舞を和ませることはできなかった。


「合田さんは?」

「え?」

「アオが言えば、調べてくれるんじゃないの?」


 はじめて会った時、そんなことを言っていたなと思い出す。しかしあれ以降言われることはないし、聞こうとも思ったこともない。


「いいよ」

「会うのが怖いとか?」

「それもあるのかな」

「私は会った方がいいんじゃないかと思う」


 楽観視している、という風でもない。アオは舞と目を合わせてしばらく舞を見つめていた。もう一度考える。会うべきか会わざるべきか。あるいは、会いたいか会いたくないか。


「私は」

「うん」

「お父さんとお母さんのこと、嫌いじゃないよ」

「……うん、アオはそうだと思う」

「けど」


 置いて行かれたことを恨んでもいないけれど、そういう大人になってしまうのはどうかと思う。そして、自分はそういう大人の子供であることに気付いて、いつも、――いつもはここで考えるのをやめて薙刀を振りに行く。父と母がどうであっても、自分はあくまで自分であると思いたい。祖母はしっかり父を育てたのだし、今でも元気で健康でいる。そんな祖母の血も自分には流れているはずだ。

 会いに行っても、きっと思い知ることになる。自分に興味のない父と母の姿を見せられることになる。


「――さっきの電話は、しつこい営業だったってことにする」


 舞は何も言わなかった。

 なにかを期待してもしかたない。今の生活を気に入っていた。戻りたいと思ったことはない。


「これは、伴雷くんには言わないでね」

「わかった」


 アオはもう一度地面を見る。蟻は、零れたマカロンの欠片を見つけて、持ち上げたところだった。

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