第3話
だけど、とか、でも、とか。伴雷は独り言のような言葉を繰り返し、その内、意を決したように「アオさん」と呼ぶ。アオが見上げると、伴雷は斜め上の方に視線を泳がせた。傘が一つになったので顔が良く見える。伴雷はアオから目を逸らしたが、濡れないように注意が払われているのがわかるし、顔は、耳まで赤い。高校生に囲まれ、教師ともにこやかに話をしていた伴雷は見る影もない。伴雷は言う。
「……これは、恋人同士に、見えちゃうかもよ?」
伴雷について、舞以外の学校の友人に関係性を説明しきる自信がない。その為、アオは伴雷について聞かれると、ただ、子供の時から知っている、という話だけをする。クラスメイトや教師は好き勝手に想像していることだろう。あることないこと噂が飛び交うのを覚悟の上で、そうしていた。おそらく、何を言っても噂は湧くだろうから。
「煙草のにおいと、ちょっとアルコールのにおいがするけど、昼から飲んでた?」
「ウッソだろ」
伴雷は赤かった顔を真っ青にして自分の服のにおいを嗅いでいた。煙草と酒の臭いもするが、香水のにおいもしている。煙ったような、土のような。しかし深く息を吸い込むと爽やかさも感じる、つかみどころのない香りだ。
「ごめん、言うほどにおわないよ」
「ホント?」
「ホント」
「それならよかった……」
合田伴雷とは、アオが七歳の時に出会った。当時の伴雷は二十二歳である。
以降、アオに声をかけたり、既にアオの友人であった舞をビジネスパートナーとして雇ったり、どこからどうやって仕入れたのかわからない情報を頼りに傘を届けに来たりと、怪しいばかりの男である。
真っ当な職にはついておらず、本人曰く「いやホラ、俺くらいになると、ただそこにいるだけで商売が成り立つんだわ」ということらしい。先ほど校門でそうであったように、彼の周りには勝手に人が集まってきて、集まって来た人から得た情報を売り買いして生計を立てている。大鷹駅付近の路地裏で、露天商のように簡単な店を構えていることが多い。が、あくまで商売をする場所は彼の気分次第で変わる。喫茶店であったり、ゲームセンターであったり、飲み屋であったり。インターネット上であったり様々だ。
情報を右から左へと流すだけで今日まで生きて来たと嘯く。が、アオにだけはわざわざこの男から会いに来る。
「よかったけど、どーしよ、緊張して上手く話せねーからお金の話していい?」
「どういうこと?」
「お金かかって貰った時間だと思うとちょっと軽くなるっつーか。あとで十万貰ってくれる?」
「いらない。――大変だね」
「他人事お」
伴雷はがっくりと肩を落とすと、足を止めた。アオが改めて伴雷を見上げる。
「ありがとう。ここまででいいから」
アオのバイト先の喫茶店の前だ。『喫茶AKUTA』と看板が出ている。古い木製の戸建てを店にした、という風体である。一階部分が喫茶店だ。道に面した窓には半分ほどブラインドがかかっているが、微かに見える店内は柔らかい光り照らされて、木のテーブルが見えている。窓に並んだ置物は、しゃちほこだったり折り鶴だったり統一感がなく、庶民的な雰囲気がにじみ出ていた。出入口はガラスのはまった引き戸だ。オープンという札がかかっている。
出入りする人の邪魔にならない位置に立つ。
「今度、また貸しした傘返しにいくよ」
「もしあれなら、アオさんにあげるけど」
「ううん。自分のがあるから大丈夫」
「そっか。じゃ、バイトがんばって」
「ありがとう」
と、アオは伴雷に手を振ったが、伴雷はアオに続いて店内に入ってきた。アオが後ろをじとりと見る。
「だってえ、帰る時にまだ雨降ってたら困るでしょ」
伴雷はいつも通りに、店の一番奥のテーブル席に座り、スマートフォンをいじり始めた。アオはこの後伴雷がどういう行動を取るかわかっている。アオが店に出ると「アオさんが淹れたコーヒーが飲みたい」と嬉々として注文するのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます