第4話
喫茶『AKUTA』は、店主の
しかし、一年、二年と続けている内にサンドウィッチが絶品であると口コミで広がり、今では新たに社員を抱えるべきか考える程度には繁盛していた。そろそろ混み出す時間帯で、アルバイトの女子高生が来る頃である。少し遅いのは、雨が降っているからかもしれない。
――カランカラン
芥は店のドアについている乾いたベルの音を聞いて顔を上げた。そこに立っていたのは予想通りの人物だった。が、今日はおまけがついている。アルバイトの女子高生、海原アオと、その後ろでひらひらと手を振る合田伴雷。伴雷は善助と顔を合わせるとニコリと笑い、いつもの席に落ち着いた。
カウンターの横からバックヤードに入って来たアオに事情を聞く。
「よう」
「おはようございます」
「今日はなんでアイツまでいんだ」
「傘を家に忘れて」
「呼んだのか? お前があいつを?」
「傘を忘れたことを知ってて、迎えに来ました」
「なんでだよ」
「さあ……」
「さあってなあ……」
アオはさっさと店の二階へ上がって行く。七歳の時からアレに付き纏われて、すっかり麻痺しているようだ。なにをしていてもなにを言われても気にならないらしく、基本的には好きなようにやらせている。
あんな怪しい男でも客は客である。
善助は溜息を吐いて水とおしぼりを持って行った。
「よう。またやってんのかストーカー」
「人聞きが悪いね。帰りも雨が降ってたら傘がないと困るでしょ」
「そしたら俺が送ってくっての」
テーブルに置いたおしぼりを広げていた伴雷はピタリと動きを止めて、大袈裟に言う。
「密室で女子高生と二人きりなんてやらしー!」
「声を張るなそんな下らねえことで!」
どうせ注文はアオが聞かなければ言わないだろう。善助は伴雷を睨み付けるとカウンターの中へ入って行った。大声を出したせいでややざわついた店内が次第に落ち着いていく。常連の客が「ああ、またか」とすぐに気にしなくなったので、他の客も大事とは捉えない。
しかし、合田伴雷は異常に人の目を惹きつける。特別美しい容姿というわけでもないのに気にしてしまう。今も、何人かの客はちらちらと伴雷の方を気にしていた。その内、伴雷の正面に移動する客が出るだろう。いつもそうだ。そして、伴雷は大抵の場合、ただ、目の前に現れた人間の話を聞いている。それこそが、伴雷の商売の元になる。もし、伴雷に恩を感じたのなら手足にだってなるだろう。――何年経っても得体が知れない。
「善助くん」
アオがエプロンと赤い三角巾をつけて店に出てきた。付き合いが長いせいで気安いが、店では厳しくするようにと彼女の祖母にも言われている。
「今は店長な」
「店長」
「おう。どうした」
「暗いから外の電気と、あと、入口に傘の袋出します」
もう一度「おう」と返事をする。アオは一つ頷くと宣言した通りに仕事をはじめる。客席の傍を通る時には客の様子も気にしているようだ。店に入って来る客の気配もよく察知する。入口に傘の袋を設置し終えた瞬間に客が入って来た。雨に降られたのか濡れている、スーツを着た女である。やや疲れたような顔をしているが、アオに笑顔で迎えられて、面を食らって動きが止まる。
「いらっしゃいませ」
好きな席に座る様に促すアオは、すぐにおしぼりとタオルを持って席へ行く。教えたわけではないのだが、アオはよくああして一人で沈んでいる客へと寄って行く。うざがられていることも時々あるが、アオが気にした様子はない。今回は、驚かれてはいるが、迷惑がられてはいない。
善助と、伴雷もアオの様子を眺めていた。伴雷は自分の作業を中断して、アオと、声をかけられたOLを見つめていた。
「いいなあ。あのコ」
声をかけられたOLのことだろう。無表情だが剣呑な雰囲気が滲んでいる。他の客が怖がったらどうする。善助はすかさず頭をはたきに行った。
「羨ましがんな。お前さっきアオとこの店まで来ただろうが」
「アオさんに声かけてもらえていーなー」
ずるくない? と善助に言う。「ずるくはねえだろ」アオはただ客に対して親切にしているだけだ。過剰に見える時もあるにはあるが、大多数の人間には良いところとして映るはずであった。「はあ」伴雷が溜息を吐く。
「俺には悩みがねーからなあ」
「んなことはねえだろ」
「少なくとも、あんな風に落ち込まなきゃいけないようなことはない」
それもまた悪いことではないのだが、伴雷はアオの視界に入れないことを嘆いている。
「困る前に、みんなが俺を助けてくれるからさ」
だから、アオから伴雷に近付くことはない。
「はーあ」
伴雷は依然としてアオとOLを羨ましそうに見ている。そこまでわかりやすい視線ではないが、アオ程でなくとも善助も人の気配に敏感である。善助には、伴雷があの女を憑り殺そうとしているように見えた。ピリピリと肌がひりつく。ただの親切をそんなに妬むな。ただでさえ存在からして怪しいのだから、せめて大人の余裕を見せて欲しいものだ。この男は確か、今年で三十だったはずだ。
「お前な」
いい加減に。そう言いかけたところで「あのう」と他の客から声がかかった。善助は咄嗟に声のする方を見た。他の席に座っていた一組の客が伴雷に声をかけてきた。大学生くらいの女二人だ。だが、彼女達は善助の方は見ていない。伴雷に声をかけたらしい。
伴雷も自分に声をかけられたのだと気付く。
「はーい。どした?」
――途端、伴雷の纏っていた空気が変わる。愛想よく笑って手を振った。善助を細長い手で押しやってテーブルから離れさせる。
女子大生二人組は伴雷の前に座ってなにか話をしはじめた。伴雷はにこやかに話を聞いている。人の店で。善助は舌打ちをどうにか耐える。この店で仕事をするなといいつけてあるが、どこまで守られているかはわからない。
「あれ?」
アオがOLから注文を聞いてカウンターへと戻って来た。三人になっている伴雷の席を見て、伴雷の前の客が元々どこに座っていたのか確認する。「ああ」珍しい光景ではない。アオも慣れた様子であそこからそこへ移動したのか、ということだけわかると興味を失ったようだ。
「店長、伴雷くんから注文聞けました?」
「いや、聞けてねえ」
「そうですか」
アオがコーヒーをいれてOLのところへ持って行く。その後、伴雷のテーブルに注文を取りに行った。女子大生二人の分も含めて、きっちり三人分である。結果、善助の店が儲かっている、と言えなくもない。アオは黙々と仕事をしている。伴雷がなにをしていても、アオが気にしているところは見たことがない。それでもやはり、伴雷の傍にいるのは危ないのではないか、と善助は思う。
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