第2話

アオと舞は昇降口まで降りて下駄箱まで来た。伴雷は慣れた様子で校内へ入り込む。アオが大鷹高校に入学してからわずか三か月、度々下校時間に出待ちしている。


「ドーモ、アオさん。忘れ物お届けにあがりました」


 アオへ傘を手渡した。アオが普段使用しているものに近い、長くて丈夫な無骨な傘だ。色は黒で、驚くほどにシンプルである。


「ありがとう。どうして私が傘持ってきてないってわかったの」

「ええ?」


 うーん。と伴雷は一度目を逸らせてから、垂れ下がった目を細めて人差し指を立てる。顔の周りを覆う癖毛は湿気のせいかいつもよりもボリュームがある。寝ぐせなのか、セットしているのかわからないが、怪しさに拍車をかけているには違いない。


「それはほら、あれだよ、愛の力的な?」


 間延びした、やや語尾を伸ばした軽薄そうな言葉と声音だ。アオはそれ以上追及せずに、ローファーに履き替えながら真っ直ぐに立つ。伴雷の背がやや曲がっているので、アオの姿勢の良さが際立った。


「ありがとう。いくら出せばいい?」

「いくらなんてそんなそんな。この後バイト先まで送らせて貰えたらお釣りがくるくらいで」


 伴雷は黙って靴を履き替えていた舞を見る。舞が視線に気付いたタイミングでニコリと笑った。


「二人きりだと更に嬉しいナー」


 舞はハッとした後、すかさず言う。


「なるほどね。いくら出す?」

「本日分のアオさんの写真と合わせて一万でどう?」

「オーケー。アオ、また明日」

「私の前で私を売り買いしないで欲しい」


 アオは、スマートフォンで情報のやりとりする二人を見て溜息を吐いた。写真の送付が終わったようで、伴雷はデータを確認し「オッケー」と長い指で丸を作った。


「じゃあね、アオ。また明日」

「うん。明日」


 アオと伴雷を二人にする為に舞は走って帰って行った。二人はその背中を見送った後に歩き出す。

 アルバイト先までは徒歩だ。学校の周囲は住宅地になっていて、十分ほど歩くと国道へ抜けられる。更に歩いて大鷹駅を越え、別の住宅街へ入る、その境目の道沿いに、アオのバイト先がある。

 二人並んで大きめの傘をさしている。傘を持っている状態だとアオから伴雷の顔を見ることはできない。アオは問題にしていないが、伴雷はアオの顔が見たくて堪らないようで、そわそわと上半身を揺らす。


「えーと、アオさん。今日は学校どうだった?」


 距離感を探るような調子だった。答えに困る質問である。特別話せることはない。傘を忘れていたので、昼食後はどうやって帰ろうかということばかり考えていた。舞にはことあるごとに写真を撮られ、数学の宿題を慌ててやっているところは動画で残っているはずだ。


「楽しかったよ」

「そっか。ふーん」


「そっかそっか」楽しかったと答えると、伴雷はいつも同じ顔をしている。満足そうではあるのだが、ちょっと拗ねたような、それでも安心しているような複雑な笑顔だ。最終的には「ならよかった」と一人で頷く。


「伴雷くんは?」

「俺はいつも絶好調だし」


 傘をずらして伴雷を見上げた。アオと目が合うと「嘘じゃねーよ」とピースサインを作って向けた。嘘だと思ったわけではない。本当だろうかと思っただけだ。伴雷は度々「俺、今まで生きてて困ったことなんて一つしかねえの」と言う。冗談っぽく、と言うよりは誇らしげにそう言い切るので、きっとその通りなのだろう。アオは再び正面を見る。


「たぶん、舞に聞いたほうが詳しくわかるよ」

「確かに日報を買ってるけども」

「日報を」


 とても分厚いファイルにファイリングされているアオの日常を想像した。やりかねないなと肩を落とす。ずり落ちて来た鞄を持ち直して真っ直ぐに歩く。


「けどさ、やっぱ本人の口から聞けた方がうれしいじゃん?」


 ばたばたと傘に雨が落ちる。アオが水溜まりを飛び越えると、伴雷も同じように水溜まりを避けた。


「今日は――」


 朝、バイト先で習ったサンドウィッチを作ってみた、と言いかけて言葉が止まる。


「ん? どーかした?」


 アオは突如走り出す。「えっ、ちょっと」伴雷に理由も告げず十メートルほど走ると、今まさに軒下から道路へ飛び出そうとした同級生の腕を掴んだ。アオと同じ制服を着ている女子生徒だ。アオは女子生徒がバランスを崩した拍子に軒下へ引き戻し、傘を傾ける。傘の先からぱたたと水滴が落ち、小さな鉢で売られるパンジーの花びらを揺らす。女子生徒は今買ったばかりと思われる花束を庇うように持っていた。


「あ、海原さん」

「佐伯さん。どうしたの」

「見ての通り、帰りにちょっとお花買いに寄ったんだけど。ほら、この傘立てに置いてた傘、盗られちゃって」

「悪いことする人がいるね」

「ほんと最悪。しょうがないから走るかーってところ」

「よかったらこれ、使って」


 アオは花屋の軒下に入りながら、傘を渡して佐伯押し出すようにした。


「えっ、いいの? 海原さんは、ーーあっ」


 佐伯は隣りに立った男を見てハッとした。佐伯はアオと伴雷を見て「ああ、そういうコト」と小さく呟いている。アオも頷く。


「うん。だから大丈夫」

「じゃあ、借りる! ありがとう。明日返すから」


 胸の前で抱えていた花束から一本、白いガーベラをアオに渡す。


「それ、お礼」


 花を眺めていてお礼のお礼が遅れた。アオが顔を上げた時、佐伯は既に傘を差して走り出していた。この雨の中を走って帰ろうとしていたところを考えるに、急いでいたのかもしれない。


「ええっとお、アオさん?」

「ごめん、また貸しした」

「それはいいけどお、ええ? ってことはさ……」

「バイト先か、もしくはコンビニまで、そっちに入れて貰っていい?」

「そりゃもう喜んでえ!」


 思ったよりも大きな声だった。花屋の人が何事かと店の奥から顔を出していた。

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