第27話

さくらは、アオの部屋でアオの残したスマートフォンを見つめていた。さくらを心配した善助は泊まっていき、朝になるとすぐに出て行った。知り合いを当たってくれるらしい。

 警察にも連絡はしたが、新しい情報はない。舞にも連絡したものの「ごめんなさい、わかりません」と言われてしまった。アオは、何も持って行かなかった。こんなところまで息子と同じだ。

 息子も、あの女との同棲が決まると何も持たずに出て行って、帰ってきたことは一度もない。そしてそのまま行方不明になり、死んでしまった。

 よろよろと歩いて、仏壇の前に座る。呪いのようだとさくらは思う。自分たちはどうだっただろうか、若い頃の夫の写真を眺めて思い出す。普通、だったはずだ。いや、普通よりはやや仲がよかっただろうか。

 なにを、間違えたのだろうか。

 いたるは真面目な子供だった。浮ついた話がないまま高校を卒業して、ある日、あの女を連れてきた。連れてきた、ということは、あの時はまだ常識の範囲での恋愛だったのだろうか。

 いいや、もしかしたら、誰にも邪魔されないために、納得してもらうための儀式だったのかもしれない。結婚式も、華々しく行っていた。この二人が今後道を違えることなどないと確信できた。二人はあまりにも幸せそうだった。

 あの女の親には会っていない。結婚式にも来ていなかった。曰く、家族はいないのだそうだ。「いいですよね、家族って」あの女はそう言ったが、本心ではないだろう。その言葉が本物ならば、アオへの仕打ちは有り得ない。

 どうして。

 思考は巡る。同じところを。何度も何度も。思い出すのは、泣き腫らした顔と、どこか遠くを見つめる目だ。こちらを見ていないとすぐに分かる。


「ちゃんと、寝られましたか」


 いつの間にか善助が後ろにいた。「すみません、勝手に入りました」緩やかに首を振る。そんなことは構わない。


「それより、アオは」


 アオは見つかりそうか。あの子を一日でも早く見つけてあげなければならない。でなければ、行き着く先はひとつしかない。善助は申し訳なさそうに眉間に皺を寄せた。


「そう……」


 合田伴雷の姿も見えないという話だ。と言うより、アオが頼れる人間と言えば、伴雷くらいしかいないだろう。そして伴雷は、どういう結果になってもアオからもたらされるものを拒みはしないとわかっていた。


「すみません、きっと俺が追い詰めたんです」

「あの子は、ずっとこうしたかったのかしら。ずっと、私たちの言葉を煩わしいと思ってきたのかしら」

「そんなことはねえっすよ。あいつはずっと両親と同じようになるのを怖がってましたし、それは今だって変わらないはずです」

「なら何故、いなくなったの」


 善助は答えない。


「何故、あの男なの」


 そこが一番わからない。ただ付きまとわれただけのはずだ。周りからからかわれたことも、邪推を受けたこともあるはずなのに。


「それはたぶん」


 善助が言う。


「アオが、欲しかったものだったから、じゃねえっすかね」


 今度は、さくらが何も言えなくなる。最も欲しがっていたもの。狭い部屋に閉じ込められて、何も知らない子供が純粋に望んだもの。


「……合田伴雷は親ではありません」

「親からの愛を望んでくれりゃ、まだよかったんですが」


 聞き分けの良い子だ。素直で、しかし、だからと言って。親からの愛をあきらめるなんてことがあるだろうか。


「アオはそれを、自分が、最も手に入れてはいけないと思ってますけどね」

「……運命の、」


 出会った瞬間に運命が決まってしまうような。自分の道を歪めてしまうような、最初からその為に生まれてきたのだと思うような、圧倒的な相手。


「勘違い、しているだけよ。アオは子供ですもの。言い寄られて、あの男しかいないと勘違いしているだけ。世界にはもっと沢山人がいる」

「アオは」


 きっとそのくらいのことは考えている。そしてそれは伴雷にも言えることだ。アオではない、他の人間だって山のようにいる。あの男であれば引く手数多だったはずだ。そこは茨の道だ。アオはまともに恋愛をしないようにと自分に言い聞かせているし、十五も年下で、周囲からは猛反対を受けている。さくらも、おそらく善助も考えていた。長くは持たないだろう。そのうち飽きて、伴雷がアオに会いに来ることはなくなるだろう。それなのに。もう、八年も続けている。そして遂には、アオに選ばれるに至った。


「アオは、それが得がたいものだと知ってますからね」


 今となっては、伴雷が他の誰かに熱中する姿は想像できない。だからやはり、今の状態は危険だと思う。アオを手放す姿は想像できないが、アオと二人で破滅する姿は想像出来る。アオは招かれるままついて行ってしまうだろう。あんなに恐れていた終わりに自ら進んでいく。


「早く見つけてあげなきゃ」


 見つけたら連れ戻して、二度と伴雷を近付けないようにする。そうしていれば、きっと。そのうちには。


「さくらさん」


 よろけたさくらを善助が支えた。「ありがとう」短く言って外へ向かう。知り合いに片っ端から聞いてみよう。見かけていればわかるはず。舞にももう一度聞いてみて、警察にももう一度連絡してみよう。


「さくらさんはここにいて下さい、俺が探しますから」


 さくらは首を振る。

 心配で堪らない。できる限りしっかりと立って深く息をする。呼吸を整えて一歩踏み出す。


「私も探します」


 探し出して、あの子供を守らなければならない。

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