第18話
合田伴雷は、二十二歳まで、人生で一度も、腹の底から楽しいと思ったことがなかった。
ついでに言えば、何かに困ったこともない。父親が実業家で様々な企業に携わっていて、鬼のように稼いでいた。母は家にいて、甲斐甲斐しく伴雷の世話を焼いていたし、家のことを手伝ってくれる人間、というのが何人もいた。欲しいと思うものは買い与えられたし、お金を出し惜しみされたことはない。
困ったことは、起こる前に助けてくれる人間がいた。助けられていることに気付いたのは小学校にあがる前だったと思う。
物心ついた頃から、伴雷の取り合いでトラブルになることがよくあった。伴雷は事件の後になにが起こったのかを知った。何度も同じようなことが起きたが、中学を卒業する頃にはそういう事件も起きなくなった。何故ならば、上手く周りの人間をコントロールできるようになったからだ。
争いを起こすことも治めることもできる。頼めば危ない橋を渡ってくれるやつもいる。ただ話を聞くだけで金になることがあると知ってからは、ろくに学校に行っていない。しばらくなにをするべきか迷ったが、最終的に、二十歳を祝う頃には情報屋というところに落ち着いた。
マンションを借りて自分だけの城を持って自立というものをしてみた。母は寂しがったが反対はされなかった。老若男女様々な友達ができる度に「さすがはあの人の子ね」と笑っていた。
きっと自分はこうして一生、うまく生きていくのだろう。そう確信できた。
洗面所で、鏡に映る自分を見る。そして問う。
――で?
悩みはない。困ることもない。その代わりに、面白いこともない。楽しいと思うこともない。少し前までは儲けを出すことは楽しかったはずだが、今となっては町に出るだけで仕事になる。
「まあ、飽きたら死ねばいいか」
いつものように外に出て、路地の奥で商売をしていた。今日はあまり人が来ない日だ。あくせく働く気にはならず、ぼんやり空を見上げていた。雲がかかっている。もうすぐ雨が降るのかもしれない。だとするならば、早めに切り上げて帰ってしまおうか。一日二日サボったところで困ることはない。
きっと自分は悩んだり、困ったりすることができないのだろう。そういう人間なのだと納得して、受け入れてもいた。
そうやって今日も終わる。
確信を持ってぼうっとしていたのだが、騒々しい声が近付いて来たので、さっと更に奥に隠れた。
「うわ、喧嘩」
ちらりと様子を見てみれば、スキンヘッドの男を、同じくいかつい男達が三人で追いつめているところだった。知った顔だが、助ける義理もなければ、自分にどうにかできる範疇のことではない。よく知らないが、予想はつく。あれは、新堂組の内部抗争だろう。次期組長同士の同族食いで、物騒なことこの上ない。殺したら、ちゃんと死体を持って行ってくれるだろうか。そんなことを考えていると、路地裏に新たに一人、入って来る。
「ウソだろ、あの子」
ランドセルを背負った子供だ。女の子。髪は肩のあたりで切りそろえてあり、前髪は短く、大きな両目がよく見える。
その小学生女児は、大人用の傘を持っていた。
よく見えなかったが、一瞬で三人を打ち倒すと、転がっている坊主頭の男を連れて逃げて行った。
そして、三人はその二人を追いかける。
なんだったのだろう。いや、なんだったのかはわかるが、あの小学生は何故あんなことをしたのだろうか。
よろよろと路地を出て、視線だけで追いかける。
「ええ……?」
自分も追いかけてみようか。いや、一体どうしてそんな必要があるのだろう。仕事の為? いやいや。ああいう危ない人間は追いかけないほうがいい。後からいくらでも調べられるはずだ。目撃者もきっと多い。スキンヘッドの大男を連れて逃げた女の子。
ふと、横を見ると、さっきの女の子と同じくらいの年の女の子がこちらを見上げているのに気がついた。
「あ、えっと、今の子、知り合い?」
「知らない」
拗ねたようにそういうと、どこかへ行ってしまった。なんだか体が動かしにくくて、ビルの壁に手をついた。ファミリーレストランの窓だ。うっすらスモークがかかっていて、自分の顔がうつっている。
一瞬誰だかわからなかった。自分のこんな顔ははじめて見た。顔は赤いし、顔が勝手に緩んで笑っている。胸に手を当てて、目はきらきらして、まるでとんでもなくわくわくしているみたいだった。
「ええー……?」
顔に両手を当てて空を仰ぐ。指を動かして、隙間から空を見る。眩しくて堪らず、もう一度指で壁を作った。
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