第19話

小学校一年生の彼女の名前は、海原アオと言うらしい。父と母は二年前から行方不明。現在は父方の祖母の家で暮らしている。祖母が様々な道場へ手伝いにいくのに連れ回されており、祖母の薙刀の他にも様々な格闘技を学んでいるようだ。傘でやっていたのは薙刀ではなく杖術に近しいものなのかもしれない。

 一通り調べあげると、彼女を小学校の前で待ち伏せした。小学生の欲しいものというのを大分リサーチしたが、どれもアオが喜ぶとは思えず、いつも通り、会話の中で探って行くことにした。


「ごほん」


 出待ちしていると人が集まってしまって、自分はこういう子供にも好かれるんだなと新発見であった。新しいビジネスができるかもしれないと考えながら話を聞きアオを待つ。

 その内アオを見つけると、声をかける前に席払いをした。

 一番興味がありそうなことを言ってみる。


「――お父さんとお母さん、見つけてあげようか」


 彼女はじっと伴雷を見上げて、興味がなさそうにはっきりと答えた。


「いらない」


 はじめて言われたな、と顔に熱が集まっていく。「いや、ええ? えっとお」アオはさっさと帰ってしまった。やっぱりなにか、困っているから助けて欲しいとか、そういうアプローチがいいのだろうか。考えながら背中を見つめる。真っすぐに伸びた背筋が彼女の在り方を現わしているように見えた。あるいは、彼女がありたいと思う姿だろうか。


「うーん」


 それからは、幼馴染を買収したりして情報を集める日々だった。

 海原アオの欲しいものが知りたい。

 どうにかして近付きたい、と思っていたのだが、舞から情報を買ううちに、別の感情にも気がついた。


「アオは今日も楽しそうにしてた」


 そう聞くと、それだけで嬉しくなって笑っている。アオから感情を向けられる人間がいると「いいなあ」と思うことも多いのだけれど、テストが良い点だったとか、体育で活躍していたとか。授業中に落書きをしていたとか、どんな本を読んでいたとか。アオが生きている様子が瑞々しくて嬉しくなる。

 時々消しゴムを盗られたとか、家のことを馬鹿にされたとか、そういう話を聞くと息が苦しくなって、いてもたってもいられない。直接話をするか、舞から情報を得るか。アオがそこに生きているとわかると、自分もまた、ちゃんと生きていようと思う。明日も明後日も、アオが安全に楽しく生きられたらいい。

 海原アオが、笑っていたら嬉しい。自分によるなにかが原因で喜んでくれたりすると、ちょっとおかしくなりそうなくらい、身体の芯が痺れる。いつもいつも貰ってばかりなので、少しでもなにか返せているといいと思う。

 直接会いに行かない時は、舞がこの路地にやってきて、ファミリーレストランでデータのやりとりをする。舞はプロのカメラマンを目指しているだけあって、写真にこだわりを感じる。伴雷はそれを見る度安心もする。アオの傍に、アオを助けてくれる人間がいるのはいいことだ。できるだけ多いといいのだが、アオは大抵のことは一人でやってしまう。

 舞とは時々、アオが一人になった時の話をする。アオが一人で、途方に暮れていたという真夏の日。高校に入ってすぐの頃に、桜と戯れるアオという芸術作品を持って来た舞との会話は、記憶に新しい。


「私だったら、泣いて怒ったと思うけど」


 両親に捨てられたり、都合よく頼られたりしたら。しかしそれは普通の家庭であれば、という話だ。


「感情があんまり揺れなかったのは、アオさんが状況を正しく理解してたってことじゃん?」

「……いつか捨てられるって思ってたってこと?」

「予想とあまり差がなかったんじゃねーかな。だから、怒ることも泣くこともない。そうだなよなーって思って終わり」

「つまり、私達とは前提が違うってことね」

「そ。きっとね。アオさんにとって、親から愛されることは当然のことじゃなかったんだ」


 相手をされないのが当たり前で、同じ年の、他の誰かについて知ることがなければ情報は更新されないままだ。それだけの話だろう。伴雷は、それよりも腹が立つことがある。


「アオさんのことをよく知ってんのに、ハゲの店長はよくもまあアオさんに『お前は今、そんなことしか考えられねえのか』なんて言えたもんだ」

「なにそれ。アオが愚痴ったの?」

「ん? 盗聴器」

「怖……」

「どうしても必要な時以外は切ってっから大丈夫。プライバシーって大事だよネ」


 善助を行かせたことは正解だっただろうと思う。さくらを行かせていたら本当に絶交されていた可能性はある。舞は運ばれて来たパスタをつつきながら息を吐く。彼女は結構良く食べる。これの後、夕食も食べるそうだ。


「でもやっぱり、アオ、あの頃からしんどそうよ。店長の正論もそうだけど、さくらさんもやっぱりちょっと過敏になりがちだし……。予想通りだったとしても、ショックではあったと思うわ」

「そりゃそうだ。――アオさん、前からいらんことに首突っ込むことはあったけど、最近はもう、誰か困ってる人間に声かけてなきゃ息できないって感じだし」


 舞は大きく溜息を吐いた。人助けで死ぬことはない、とは思うが、出くわす場面によっては危ないかもしれない。おそらく二人ともが思っていることだ。


「アオのやつ、怖いものなんてなにもないみたいな顔してるのに」

「舞ちゃんだってそういう顔だけど、お化けとかグロいのとか駄目でしょ」

「合田さんも、大抵、怖いものなんてなさそうだけど」


 アオは、あの両親のようになってしまうことを怖れている。周りに心配をかけまいとしているのだが、それがまた、その様子が一生懸命すぎて心配になる。アオも周囲もどうしたらいいのかわからず、お互いに負担をかけあっているような状態だ。舞だけは昔から変わらない付き合いをしているが、アオの情報を売り買いして利益を得ている、という状態が消えたらアオが舞をどう思うかわからない。だからこれは、儀式のようなものだ。


「ええ? 俺はほら」

「わかってるわよ、アオでしょ」

「あと最近だと、俺は俺のことも大事にするようになったよ」

「なにそれ? どういうこと?」

「病気が怖いから、健康に気を使ってる」

「なんで?」

「俺はアオさんが死ぬまで、死ぬわけにいかないじゃん?」

「……怖っ」

「でも平野サンは俺の片棒担いでるからなあ」


 アオができるだけ穏やかに生きられるように、と願っている。

 舞は大きく口を開けてフォークに巻き付けたカルボナーラを口に入れた。飲み込みながら頷く。


「そうね、合田さんがアオを幸せにできなかったら殺そうと思ってるし……」

「よっぽど過激じゃーん」


 実は、誰かと大切なものを共有する、というのもはじめてだった。

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