第16話
平野舞は、一人で教室に残ってカメラのデータを整理していた。今日もデータを売りに行こうと思ったが、アオが伴雷に会いに行くようなので、少し時間をずらすことにした。適当なことを言って先に帰らせた。
差し込む夕日を眺めて、舞はグラウンドから聞こえる声を聞くとなく聞く。
データの中のアオは、やはり沈鬱な面持ちで、しかもそれは、日を追うごとにわかりやすくなっていく。なにかに追い込まれるように憔悴しているのは明らかなのに、舞にはどうすることもできなかった。
――アオはきっともう隠し通すことができないだろう。もしかしたら、伴雷もそれを知っていてアオに会いに来ているのかもしれない。
アオはもうとっくに、伴雷を特別に想っている。
最初から嫌ってはいなかっただろうが、中学の、アオが両親に会いに行ったあの日からわかりやすく変化した。
あの日、舞はアオと一緒にいくつもりだった。
一人よりは、二人の方がいいと思ったからだけれど、駅で「戻っていい」と突き放された。今思えば、アオは行った先で何が起きているかある程度予測していたからそう言ったのだとわかるけれど、当時はカッとなってアオを右手で打った。駅のホームがざわつく。
アオは何も言わずに、ただ舞を見つめる。
舞もアオを睨み付けて、息を吸い込んだ、その瞬間だった。肩に手が置かれる。ゴールドの指輪のついた、細い指だ。
「――アオさん」
肩に手を置いたのは、おそらく、よろけたからだろう。走って来たらしい伴雷は珍しく汗をかいていて、しかしいつも通りにアオだけを見ていた。二人が学校を抜け出したのを知ってかけつけてきたのだろう。「げほ、うえ」今にも吐きそうな顔で咳き込んで、それでもアオに向かう。
どうだろうか、と舞は思う。この男であっても、アオは一人で行くと言い張るように思えた。何を話すのかと見ていると、伴雷は呼吸を整えて、震える声でアオの行動を否定した。
「行かないほうがいいよ」
アオの目が微かに見開かれる。行くなと言われるとは思わなかったのだろう。
「なんで?」
「なんでも。俺と帰ろ。送ってあげる」
アオに手を伸ばすが、アオは数歩さがって手を避けた。
「はじめて会った時、お父さんとお母さんを見つけてあげようかって言ったのに?」
「あれはごめん。興味持ってほしくてつい」
一番気を引ける話題だと思った、と潔く白状した。
合田伴雷。「アオさんについて教えてほしーなー」などと適当に近付いて来て、アオに付き纏っている男だ。舞は、アオのことについて様々伴雷に教えて来た。伴雷とは、もしかしたらアオよりもよく話をしたかもしれない。アオは、害はない、と言ったけれど、伴雷は甘いだけの男ではない。アオも考えたことがあるはずだ。小学生の時、ある時を境に捨て子だとからかわれることはなくなったのはなぜか。はじめたばかりの素人の動画に反響があったのはなぜか。ヤクザをぶん殴って無事でいられたのはなぜか。――この男が、今こうも焦って会いに来たのはなぜか。
「行く」
「駄目だって」
「伴雷くんに、そんなことを決める権利はない」
「だったら、せめて一緒に行こ」
伴雷は知っていたはずだ。アオの両親が今、何をしているか。アオに何を求めているのか。今行ったら、何を見ることになるのか。
掴もうとした手を払われるが、伴雷は再度手を伸ばす。
「いーから。おにーさんと帰ろう。舞ちゃんも一緒に」
アオの視線が鋭く光る。撮影中に何度も見た『敵』に向ける顔だ。正確には、アオが薙刀を振る時、アオはいつもなにか強大な敵と戦っているように見える。切っても切っても切れないような。消してもまた湧き上がって来るような。手刀を鋭く伴雷に向ける。
「これ以上近付いて来たら、もう二度と伴雷くんとは喋らない」
それは駄目だと舞は一歩前に出る。伴雷はそれを言われると動けないだろう。やはり、自分が止めなければと手を伸ばす。伸ばしたが、アオの手は既に、伴雷が掴んでいた。
「それでも、いーよ。だから、やめとこう」
伴雷は笑っていたと思う。アオは傷付いたような顔をして、一瞬怯んだようだけれど、次の瞬間には伴雷を投げ飛ばして電車に飛び乗っていた。
遠くで起こったことであれば、きっと、なんとでもできたのだろう。
アオの耳に入らないように、抹消してしまうつもりだったのだろう。
舞は転がっている伴雷を引っ張り起こす。
「――舞ちゃん」
「なに」
「さっきの聞いた?」
「絶交宣言のこと?」
「あれが俺にとってツライことだって、アオさんはわかってて言ったんだ」
なにを呑気な、と思う。絶交されてもいいのだろうか。本当にアオが口を利かなくなったとしても、構わないのだろうか。舞はアオの心配をしたらいいのか、伴雷の心配をしたらいいのかわからなくなりながら、とりあえず、目の前にいる伴雷を見下ろす。
「俺の気持ちは、伝わってたんだなあ」
伝わっていたどころか、さっきので思い知っただろう。
アオが考え得る最悪の状況くらいじゃあ、この男は止まらないということを。
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