第8話

アオは少し考えて首を横に振った。


「いらない」

「えっ、あれえ!?」


 自信満々な、薄い笑顔は簡単に破れ、突然慌て始めたのをよく覚えている。「ウソだろ、そんな無碍に?」集団下校の同じ班の子共はなにが起こったのかわからないようでアオと伴雷を交互に見ている。アオは、伴雷の横を通り抜けて歩く。「あ」と短い声が聞こえたが無視をした。


「誰? 今の」

「知らない」


 隣に並んでいた舞に答えた。知らない人だ。しばらくは知らない人だった。が、伴雷は数日おきに現れてアオにあれこれ話しかける。目的はわからなかったが自分の事は聞かない限り話さなかった。伴雷は「おばあちゃんの昔の武勇伝聞きたくない?」とか「次のテストの問題知りたくない?」とか「クラスに嫌なヤツいない? 弱味握ってこよっか?」とか、アオが感心のありそうなことばかりを口にしていた。アオの答えはいつでも「いらない」という一言であり、その度に本当に傷付いたような、悲し気な顔で「そ、そっかあ、いらねーかあ」と笑っていた。

 小学校三年生になっても続く。舞と二人で下校していると、ゴミ捨て場の前で近所の人と話をしていたが、輪を抜けてこちらにやってくる。


「今日はプレゼントがあります」

「いらない」

「まだ何も言ってないのに!?」


 隣にいた舞が笑った。


「おじさん、飽きないね」

「おにーさんだよ」


 舞もすっかり伴雷に慣れていた。怪しくはあるが危害を加えて来る人ではない、というのがアオと舞との共通認識だ。その日、伴雷はポケットからどこにでもある消しゴムを取り出す。新品で、使われた様子はない。


「はいこれ」


 アオはじっと消しゴムを見て、やはり「いらない」と言う。


「昨日の内に買ったから、もうある」

「え、ああ、そう……?」

「そりゃそうだよ、おじさん。昨日の内に渡しに来ないと」

「いや俺おばあちゃんに見つかるとすげー怒られるからさ……」


 伴雷は大人しく消しゴムをポケットに引っ込めて肩を落とす。確かに、昨日であれば貰ったかもしれない。無くなってしまって困ったと言う話を舞としていた。


「折角情報売ってあげたのに」

「またよろしくおねがいします」


 だから消しゴムだったのか、と納得した。プレゼントが消しゴムだった理由はわかったが、消しゴムを渡そうとしてくる理由はわからない。


「なんで?」

「おっ、聞きたい? 聞いてくれる?」

「うん」


 アオが尋ねると、伴雷は嬉しそうにしゃがんでアオと視線を合わせる。「それはさ」声を潜めて得意気に言う。


「返報性のルールってのがあってネ」

「へんぽうせい」


 アオと舞は顔を見合わせて首を傾げる。


「それなに?」

「人から何か貰ったらこっちも何か返さなきゃーって思うでしょ。そういう気持ちの動きのこと」

「ああ、だから一生懸命アオにみつぐのね」

「ハハハ、舞ちゃんは難しい言葉知ってるネ……」

「また一つ賢くなったわ!」


 アオの保護者、つまり海原さくらは伴雷を良く思っていないが、舞の両親は伴雷のことを警戒していないようだった。にこやかに挨拶をしている姿を見たことがある。と言うより、伴雷を危ないと思っているのは、アオの周りの、近しい大人だけであるように見えた。だからアオは、伴雷をどう思ったらいいのかわからないまま日々を過ごしていた。悪い人ではない、はずだ。しかし、なにか欲しいものがあってアオに近付いてきているのだとしたら、それは一体なんだろうか。


「私は、あげられるもの持ってないよ」

「え?」


 今度は、舞と伴雷が顔を見合わせていた。アオはそのリアクションが予想外で「え?」と少し慌てる。なにかおかしなことを言っただろうか。


「いやいやいや、違う違う」

「違う?」

「逆だよ、そうじゃなくて――」


 伴雷はそのあと「俺が」と言ったと思う。そこから先は聞こえなかった。遠くから、アオを呼ぶ声がした。声は、伴雷の言葉を引き裂くように鋭い。


「アオ!」

「やっべ」


 海原さくらが大股で近付いて来ている。「あ、おばあちゃん」練習用の薙刀を背負い、交通安全のたすきをかけた、紺色の袴の老人。テレビの取材が来た事もあるくらいに有名だった。主に、こういう時の為に、さくらはよく地域の活動に参加していた。

 伴雷は慌てて立ち上がり、さくらがいる方とは反対の方向へ走り出した。


「またね、アオさん。舞ちゃんも、また良い情報よろしく」

「報酬次第ね」


 アオはひらひらと手を振って、去って行く伴雷を睨み付けるさくらを見た。近くに来るなり「なにもされませんでしたか」とさくらはアオの顔に触れる。アオは頷く。


「アレと話をしては駄目と言っているのに」

「でも」

「でもじゃありません」


 さくらの拒絶は日を追うごとに強くなる。アオはさくらをじっと見つめ返しながら考える。

 もしかしたら、逆なのかもしれない。

 さくらは伴雷を警戒しているわけではなく、アオを警戒しているのかもしれない。

 自分さえいなければ、伴雷は誰にでも好かれていられるのかもしれない。

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