第33話

平野舞は、ついに善助に捕まった。

 今までも、何度もアオの居場所を聞かれていたが、今度は言い逃れできそうにない。


「学校の門の前で待ち伏せなんて、まるで合田さんみたいですね」

「一緒にすんな」


 いいから来い、と連れて来られたのは病院だった。さくらは昨日倒れて、数日入院することになったようだ。体が細く痩せてしまっている。衰弱しているのが見て取れた。善助に押されて、個室の病室へ入る。さくらが舞を見上げる。


「舞ちゃん、ごめんなさいね」


 起き上がろうとするので、善助が支えに行った。


「アオの居場所を、本当に知らない?」


 昨日も会いに行っていたので、もちろん知っている。

 アオに「子供が出来たから学校辞めるらしいって噂流れてるわよ」と言うと、彼女は「子供」と目を丸くしていて、伴雷は転んでいた。顔からだ。もう数週間一緒にいるというのに伴雷はアオに手を出すことはなく、それらしいことと言えば手を触れる程度なのだそうだ。アオは黙って考え込んでから言った。伴雷は冷や冷やしながら聞いている。


「上手く想像できないな」

「格闘技やらせる?」

「どうだろう。でも、戦う手段を得ると、戦ってしまうかも」

「でも戦わなきゃいけない時に、戦う手段があるといいじゃない」

「それなら、勝てるくらい強くないと」


 アオは安定しているように見えた。ゆっくり考える時間ができたのはアオにとってはいいことだったのかもしれない。他人には揺れているところを見せず、一貫していたアオであったが、伴雷が一緒に居る時は「恋愛しない」とか「好きにならない」とかそういうことを言えないようだった。

 アオは父と母の、呪いのようなものと戦っていた。そして、どうするのが一番いいかと考えていた。

 しかし、アオの思う一番いい考えにアオの気持ちは反映されていない。全くというわけではない、迷惑をかけたくない心配をかけたくないと思うのもアオの気持ちだ。しかし、一番大きくて、無視できない気持ちがあるくせに、抑え込もうと必死だった。

 たぶん、アオは無意識に誘導されていた。

 それしかないと、じわじわと思い込まれていった。結果、身動きが取れなくなってしまったわけだ。

 中学二年の時だった。話題の恋愛映画を観た帰りだ。アオは言った。


「運命って、変えられるものかな」


 両親のことを言っているのか、伴雷のことを言っているのか、両方なのかはわからなかった。舞は考えて、それから、一本指を立てる。


「中国に袁了凡って人がいたのよ」

「へえ」

「袁了凡は医学の道に進もうとしてたんだけど、ある時予言を受けてね、医者じゃなくて官僚になるよう勧められるわけ。官僚の道に進んだ時、そうしたら、いついつにこういうことがあるとか、この時のテストの点数はこの点数とか、そういう予言を受けて、そこまで言うならって官僚を目指してみれば予言通り。ことごとく全てが言う通りになって行く。だから、まんま予言を受け入れて生きてた」

「うん」

「でもある時、なんとかって禅のお坊さんに怒られるの。それは怠惰だって。今までだってがんばってないわけじゃないでしょうけど、もっともっとがんばって人の役に立つことをたくさんしたら、いくらでも良い方に変わるって言われるのよ。それでまたその通り生きるんだから、まあ、素直な人間だったんでしょうね」


 祈るような気持ちだった。予言はできない。これから先のことはわからない。だけど、諦めてほしくない。アオと伴雷が二人でいる姿が好きだ。これからもずっと見ていたい。伴雷がアオを大事に想っていることは、たぶん、舞がよくわかっている。自分でもアオをの写真を撮りたいと言い出したあの男は舞にあれこれ質問したが、一向にカメラの腕が上達しない。

 アオが舞を見ている。


「そしたら、何歳で死ぬって言われてたの通り越して長く生きたし、子供も生まれないって言われてたのがちゃんと子供が生まれたのよ」

「そっか」


 そっか。とアオはもう一度言う。

 アオが率先して人の役に立とうと意識して行動し始めたのはこの頃からだ。感情で動きがちで、どうにかしたいと思ったら突っ走るところがあったが、この話をしてからは困っている人間を探してさえいる。

 改めて、やせ細ったさくらと目を合わせた。

 さくらと善助は舞からの言葉を待っている。


「大丈夫、アオは元気ですから」


 さくらが息を飲む音がした。


「あなた、やっぱりアオの居場所を知っているのね!」

「言ったら、どうしますか」

「もちろん、連れ戻すわ。あの男とはもう二度と会わないようにして」

「アオは、そんなに信用がありませんか」

「舞、お前な」


 善助がなにか言いかけるが、舞はアオを真似て二人を見据える。


「アオは、全部投げ捨てて自分勝手に生きるような子?」

「現に今家出して、伴雷の野郎と一緒にいるんだろうが」


 アオが怒るのも無理はない。アオは何故自分がムカついたのかわからなかったかもしれないが、たぶんこれが理由だろう。


「――じゃあ二人は、今まで一度も間違ったことはしてこなかった?」


 常に正しい道を歩いていたと自信を持って言えるか。アオにとっても、本当に良いことを提示できるか。そんなものはないと、舞は思う。そしてアオは、どんなに過酷な道だったとしても、姿勢を正して前を向いて、生きていけると信じている。強くてかっこいい、けどちょっと抜けている、自慢の親友だ。


「間違わないように努めるのが、大人の役目よ」

「本当に、間違っていないと言えますか? アオと、伴雷を引き離すことが正しいことだと、自信を持って言える?」

「当然でしょう。合田伴雷は十五も年下の女の子に手を出そうとする、定職にもついていない男です。そんな男が、アオを幸せにできるはずが」

「合田さんは、アオに手を出したことなんてない」

「誘拐しているでしょう!」

「違う。これはアオの家出です」


 さくらが咳き込むので、善助が背を擦った。

 ふざけて「もっと際どいの撮ってこようか」と言ってみたことがある。伴雷はそれはそれは揺れていたのだけれど、結局「でも舞ちゃん、アオさんの友達でいらんなくなっちゃうよ」と返して来た。「押したら行けるって」と唆してみたことがある。伴雷はやはり相当に揺れていたのだけれど「アオさん、そういうの怖いと思ってそうだからなあ」と返して来た。八年だ。それだけ年月が経てば伴雷のあれは恋であって、恋ではない。今となっては、毎日、アオが元気に生きているということを喜んでいる。――ただ存在していることを、有難がっているのである。

 運命があって、相手が決まっているとしたら、アオの運命の相手は伴雷だったらいいと思う。アオには伴雷で、伴雷にはアオであればいいと思う。そしてその道がもう決まっていて、悪い方へ行くのだとしたら、少しでも良い方へ押してやりたいと、そう思う。


「舞、お前はそれが、アオの為になると思ってんのか」

「思ってる。心配を押し付けるよりよっぽど」

「舞ちゃん、あなただって今、あることないこと言われているでしょう」

「だからなんですか」


 クラスメイトが囁く声は無視している。今に見ていろ、と、そう思う。伴雷はアオと一緒にいる為に必死に力を尽くしているし、アオもまた一生懸命足掻いている。お前達はなにを見ていた。海原アオは、自分の親にだって負けはしない。


「子供作って出てったとか、恩を仇で返したとか、そんな風に言われてムカつかない? 腹が立ちませんか? アオを舐めるなって、アオはもっとすごいんだって、強い子なんだって思いませんか!? 本当は、アオは自分勝手に逃げ出して、そのままでいるような、そんな子じゃないってわかってるでしょ!?」


 好きな人と永遠に一緒に居たいと思うこと自体は、おかしいことではない。アオの父と母は『それだけ』になってしまったけれど。アオは。伴雷は。


「……アオは帰って来ます。絶対に」


 善助もさくらも、これ以上舞からアオの居場所を聞き出そうとはしなかった。

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