第34話

アオは、アオの作った朝食を有難そうに食べる伴雷を見る。伴雷の家に転がり込んで一か月が経過した。伴雷は本当にどこにいても仕事ができるようで、特に困った様子はない。朝食を食べ終えると、三日前から見始めた海外ドラマを再生する。ソファに並んで、感想を言い合ったり、アオがアクションシーンの解説をしたりする。


「伴雷くん」

「ん?」


 アオが手を伸ばすと伴雷もアオの手に触れた。何十年も暮らした場所に帰って来たような安堵感に包まれる。「伴雷くん」もう一度呼ぶと、伴雷がドラマの再生を止めた。「ん?」アオは時々、考えていることを伴雷に話す。それは前々から気になっていたことだったり、ただの雑談だったりするのだが、今日のは、ちょっと大事な話だ。


「私はやっぱり、あのお父さんとお母さんの子供で、きっと、同じことができちゃうと思う」


 この一か月で、わかったことを口にする。


「俺とこのまま死んでもいいってこと?」

「そう。――だけど。同じことはしたくない、とも思う」


 怖くて堪らなかった。ずっと、ああなってしまうかもしれないと怯えて過ごしていた。どうにか変えたいと思っても駄目かもしれないと、駄目だったらどうしようかと、自分は最悪な人間だと、そう思っていた。しかし、伴雷と二人だけでいるうちに、一つずつ整理がついてきた。伴雷と話をしたからなのかもしれず、もしそうだとしたら、伴雷が誰にでも必要とされる理由がよくわかる。きっと彼は人によって接し方が違っていて、その使い分けが大変に上手いのだ。

 アオに対しては、ひたすらに丁寧だ。何分でも、あるいは、何年でもアオの言葉を待っている。

 ドアをノックし合うみたいな会話だ。ノックすると、同じような音が返って来る。一定の距離を保たれていて、決して近すぎず、遠すぎず。


「二人は、幸せそうだった」

「うん」

「幸せそうだったんだよ」

「ん」


 ああはなりたくない。でも、ああなりたい。


「私も、幸せになりたい」


 夢の中のようなぬるま湯につかっている。溺れそうなくらいに気持ちがよくて、なにもしたくなくなる。自分は伴雷から離れたくないと思っている。運命の相手が伴雷であればいいと思っている。伴雷も幸せであればいいと思っている。自分も幸せになりたいと思っている。両親のような最期には、絶対にしたくない。子どもを捨てるような親にもなりたくない。――どうしたらいい親になれるのかはわからない。想像ができなすぎて、やっぱり怖くもある。


「アオさんは今、どうしたい?」


 どうしたいか。

 今、自分は十五歳で、伴雷は三十歳だ。ここで死ぬことは難しいことじゃない。けれど、やっぱりさくらや善助、舞は悲しむだろう。同じ死ぬでも、納得できるものであればいいと思う。


「もっと、がんばってみたい」


 舞は当然のようにこれからの話をしてくれる。伴雷も「次はなにをする?」と次の話をしてくれる。


「はは」


 伴雷の手の力が強くなる。


「なにかおかしかった?」

「ほら、大丈夫だったでしょ」


 だから、心配しすぎだって言ったんだ。伴雷は満足そうに笑う。手を繋いだまま、アオの前に移動してきて伴雷は言う。


「アオさんは、アオさんが思うように生きられる」


 室内だというのに色のついたサングラスをかけている伴雷が、アオを見下ろして、アオの手を両手で包む。


「大丈夫」


 伴雷がそう繰り返す。背を押すような、少し前で待っているような。そういう響きが込められている。


「アオさんは、アオさんが思い描いた通りに、幸せになれる」


 伴雷の狙いはこれだったのだとようやく気付く。でも、どちらでもいいと思っていそうだな、とも思う。そう思うと、少し笑えた。この男は海原アオのことを好きすぎる。


「アオさんなら、大丈夫」


 まずは、さくらと善助とはちゃんと話をしなければならない。


「本当に、そう思う?」

「思うよ」


 アオは立ち上がって、和室の荷物を片付ける。片付けるというほど入れなきゃならないものはない。毎晩、きれいに片付けていた。伴雷はそれを後ろで見守っている。いつも通りだ。いつだってこうだった。少し、関係が変化したけれど。


「ありがとう」

「――もう、帰っちゃう?」


 試すように伴雷は言った。帰りたくないという気持ちもある。帰りたいという気持ちもある。きっとどこまで行っても同じなのだろう。なにをしていても、誰と居ても、相反する気持ちは現れて。その度に、自分がこうしたいと思ったほうへ手を伸ばすしかない。

 アオは手招きをして伴雷に屈んでもらう。

 伴雷がひょいとしゃがむ。かけているサングラスを奪って、ぐっと顔を近付ける。

 唇が触れるだけのキスをした。


「また来るよ。伴雷くんさえよければ」


 伴雷は動かない。


「伴雷くん?」


 呼ぶと、顔を真っ赤にして床に転がった。「やべー……」と何度も繰り返し言って転げまわっている。「伴雷くん」もう一度呼ぶと、伴雷は壁の方を向いて丸くなりながらとても小さい声で言った。


「アオさんがかっこよすぎて動けないからもうちょっとそこにいて」

「いいよ」


 仕方ないな、とすぐ傍にしゃがんで伴雷が動き出すのを待った。

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