第14話
父と母であったものにそっと手を伸ばした。
空気が揺れたことにいち早く気がついた蠅がぶわりと飛ぶ。少し目を眇めて、それでも手は止めなかった。けれど、母の顔には届かなかった。後ろから勢いよく引かれ、身体を抱き留められた。
「――善助くん」
「お前は、なんで」
そこからは言葉にならないようで、善助はアオを引っ張って外に連れ出し、警察に連絡をしていた。人が死んでいる。アオの父と母だった。久しぶりに見たが、やはり、二人でいれば幸せそうで、アオが必要だったとは思えない。
警察が来る前に、善助はアオを連れてアパートを離れた。
「聴取とかあるものなんじゃ?」
「ほっといても居所突き留めて来やがるから気にすんな」
「そういうもの?」
「そういうもんだ」
助手席に座って外を見る。電車で来たから、この道は通らなかったな、とぼんやり思う。窓の外を眺めていると、善助が突然ハンドルを叩いた。驚いて、善助の方を見る。
「なんでお前はそんな顔してんだ!」
善助は目から涙を流していた。流れるままに任せて運転をしている。そして、言葉はアオの方に向いている。アオは自分の頬に触れると「そんな顔って」と聞いた。たぶん、その声があまりいつもと変わらなかったからだろう。善助はぎり、と歯を鳴らした。
「なんでお前は……!」
善助はコンビニに入って車を停めた。涙を拭って飲み物を買ってくる。ミネラルウォーターを二本。一本はアオに渡した。何度か深呼吸をして、水を一気に飲む。アオはその様子を横で眺めていた。この時間は、善助が頭を冷やすのに必要だったようだ。改めて運転席に座り直すと善助は言う。
「なんで、会う気になったんだ」
「会う気になったわけじゃなくて、もしかしたら、死んでるんじゃないかと思ったから」
朝、学校へ行くと、舞に父と母と思われる人からのメッセージが来なくなったことを伝えられた。それでもやはり、会いたいと強く思ったわけではない。脳裏を過ったのは、あの二人ならありそうな、一つの終わりの予感だった。
アパートにはなにもなかった。家具も家財も食料も。それどころか、電気も使えず、蛇口から水が出ることもなかった。あったのは彼ら二人の体と二人が一緒に寝られる布団のみ。
二人はきっと限界だったのだろう。
アオはゆっくりと思い出す。父が仕事へ行く時、母は今生の別れのように、昼過ぎまではじっと悲しみに暮れて玄関扉を眺めていた。それが二人の毎日で。そういう毎日が耐えられなくなったのだろう。そんな時、たまたま舞と作った動画を見た。成長したアオは逞しく見えたのかもしれない。あの子供なら、従順に、二人の為に働くだろうと思った。そして接触を図って言うつもりだったのだ。すなわち「助けてほしい」と。
――ありそうだ。アオは眼を閉じて、助手席のシートに体を預けた。
「これでおばあちゃんは、二人の心配をしなくて良くなる」
「お前はそれを、本気で言ってんのか」
善助は再び泣きそうな顔でアオを見る。
「お前は今、そんなことしか考えられねえのか」
「二人はやっぱり、死ぬほど、お互いが好きだったんだね」
「それは、なあ、お前それはよ、今言うことか!?」
掴みかかって来そうな剣幕だった。殴られるかもしれない、そう思いながらも、殴られないためにできることが思いつかない。善助は自分がどういう反応をしたら満足だったのだろう。きっとこれではないだろうなと思いながら、善助に向かう。
「二人に全く興味が無いように見えるから怒ってる?」
きっとそれが気持ち悪くて堪らないのだろう。
「そうだね」
アオは眼を閉じる。殴るなら思い切り、意識が飛ぶくらいに殴ってくれたらいいなと思う。
「きっと私も、誰かを好きになったら『ああ』なるんだ」
善助がアオを殴ることはなかった。その代わりに、車の窓を何度も殴ったせいで、運転席側のドアガラスに大きなヒビが入った。
アオは自分の言葉が体の中で反響するのを聞く。誰かを好きになったら。『ああ』なる。たぶん、望んで『ああ』なってしまうのだ。それが一番幸せだと信じて、周りの目や言葉など気にならなくなるに違いない。
回避する方法は、たった一つしかないように思えた。
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