第26話

だいたい全ての部屋を見終わると、いくらか落ち着いてきた。ソファに座って電源の入っていないテレビを見る。リビングと、奥のキッチン。手前に座るアオと、奥でお湯を沸かす伴雷が映り込んでいる。

 静かだ。

 お互いがただそこに居て、お互いが立てる物音しか聞こえない。

 さくらと暮らしていても、善助と働いていてもそういう瞬間はよくあるけれど、そのどちらとも違うように思えた。アオは自分の部屋を緊張した様子で歩き回る伴雷をみている。黒い画面のテレビを見ながら、アオは広いソファに横になった。

 テレビの上、壁に時計がかけてある。木版のウォールクロックだ。いちいちオシャレだなあと笑うと、微かな笑い声を拾って、伴雷がこちらを見た気配があった。もうすぐ日付が変わる。


「眠たい?」

「眠たいのかな」


 疲れてはいるような気がした。体を起こすと、伴雷に黒いタオルを渡される。ひんやりしていた。中に保冷剤が包んであるようだ。伴雷は自分の左頬を指差して言う。


「痛くない?」

「……忘れてた」

「ええ?」


 指で患部に触れると、だいぶ熱を持っている。貰ったタオルを押し付けて、タオルのやわらかさに驚いた。目の前に置かれたカップも黒く重厚感がある。「血がつくかも」「黒いから大丈夫」黒くても血がつくのはどうだろうか。頬から離そうとするとそっと上から、伴雷の手が添えられる。

 伴雷は、昔からただそこにいるだけだったけれど、最近よく手を差し出されたり、触れられたりするようになった。じっと顔を見ていると伴雷はハッとして、大袈裟に両手をあげて数歩下がった。


「すみません、調子に乗りました」

「そしたら私は、いきなり転がってるけど」

「家だと思ってどんどんだらだらしてよ。俺はそれを目に焼き付けておくから」


 大きなソファはアオが独占している。伴雷が座っているのは一人がけの小さなソファだ。アオは転がったまま手を伸ばす。ずっと気になっていたことがあった。

 伴雷はアオにされるがままに手を取られ、アオは金色の幅の広い指輪に触れた。


「どうしたの?」

「冷たい」

 手も冷たい。アオは自分の熱を分けるように手を握る。「あー、ほら、それは」伴雷は空いている手で保冷剤を持ち上げてアオの頬にくっつける。


「氷触ってたから」


 じゃあ、もっと温かいものを触っていたらあたたかくなるのだろうか。反対側の手も伸ばして、指先を包んだ。指が長くて手が大きい。暫くそのまま温めていて、指輪を触るとぬるくなっていた。


「なるほど」


 アオが頷くと、小刻みにタオルが震えていることに気がついた。伴雷は必死に笑いを堪えていたが、やがて堰を切ったように笑い出した。アオもつられるように笑う。思い切り笑うと、殴られたところが僅かに傷んだ。

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