第12話

芥善助は、さくらに宣言した通り、そのままの格好で住所の場所へと向かった。スーツは途中で脱いで、ジャケットを腕にひっかける。一度店に戻ると、車に乗り込み、目的地を設定した。シャツのボタンをいくつかあけるとサイドブレーキを下げて車を発進させる。

 改めて目的地を確認する。予測される目的地までの時間は一時間半程度。

 高速道路を降りると、コンビニとガソリンスタンドだけがあって、その他には田んぼしか見当たらない。山道を通って行く必要があるようで、ここからまだ一息かかりそうだった。

 海原アオに会ったのは、まだ善助が極道組織に所属していた時のことである。七歳のアオは真っすぐ背筋が伸びていて、ランドセルを背負っていた。何故か、身の丈くらいの黒い傘を持っていたのが印象的だった。今思えば、それは薙刀を模したもので、いざと言う時はそれを駆使して逃げろというさくらのメッセージであったとわかる。

 アオは、逃げるどころか危ないことに自分から首を突っ込んできた。

 平たく言えば同じ組の構成員同士の派閥争いで、善助は一人町におびき出されて大勢に囲まれていた。どうにか減らしたとは言っても、数が多かった。逃げきれずに追いつめられて、しかしこうなればできるだけ堅気に迷惑はかけまいと路地に入った。三人が追いかけて来て、その後ろに、アオがついてきていた。

 アオは静かに傘を構えて善助の正面の男の膝を打った。バランスの崩れた背中を数度突き、低くなった頭を殴った。それでも倒れなかった男の鳩尾へ追撃するなり、アオから見て左の男へ突っ込んで行った。男は微かに反応したが、アオの攻撃を受けることも躱すこともできず、股間を突かれて悶絶していた。「っこの、クソガキ……ッ!」ようやく右の男がアオに襲い掛かったが、アオは自分から腕の中へ入り、胸のあたりを傘の先端にひっかけて男を投げた。勢いのまま宙を浮き、壁に顔を激突させる。


「は……?」


 アオは次に善助の手を引いて走り出した。何が起こったのかわからない。組長が寄越した用心棒かなにかだろうか。そんなことを考えていたが、その内、アオの手が震えていることに気がついて、連れて来られたのは長閑な民家で。直接アオにどうしてあんなことをしたのかと聞けば、困った顔で言うのである。


「そうしなきゃいけない気がして」


 そこでようやく、善助は大笑いしてアオの頭を撫でた。さくらはあまり事情を聞かずに手当をしてくれて、また困ったらいつでも来るようにとも言った。

 その後は、何度か内輪で小競り合いを繰り返し、結局、下らない内部抗争が上にバレて喧嘩両成敗という形で所属していた組は解散して、構成員は霧散した。善助は、アオやさくらに危険が及ばないか心配をしていたが、心配していたようなことは起こらなかった。今にして思えば、運が良かったのではなく、合田伴雷が動いていた可能性が高い。

 組がなくなって、伴雷と会うこともないと思っていたが、アオに付き纏っているところを見た時には驚いた。一瞬どこの怪しい奴かわからなかったくらいだ。よくよく見れば、知っている怪しい奴であった。


「迷惑だったら言えよ」


 と最初はそう言っていた。アオは物分かりの良い顔で「わかった」と言ったきりで、伴雷についてなにか言ってくることはなかった。放置しているのが不思議でならず、今度は。


「なんとかしてやろうか」


 と言ってみた。アオは一つ頷いて「大丈夫」と言い切った。

 アオは伴雷に興味がないように見える。何度見てもそう思うのだが、アオが他の人間に対して興味を抱かない、ということが不思議でならなかった。ああも必死に自分に向かってくるものに対して、何も思わない人間ではないはずなのに。

 ――助手席に放り投げていたスマホが震えている。

 丁度踏切が鳴りはじめたので車を止めた。その間に画面を確認する。表示されている文字は『合田伴雷』だ。善助を使いっ走りにした、その報告でも聞かせろという電話だろうか。スマホを顔と肩に挟んで出る。


「もしもし」


 伴雷は「あー」と気の抜けたような声を出した。


「なんだよ、報告でも欲しいってか?」

「違う。アオさんの両親のところに行くことになったんでしょ。報告はいらないよ。わかってっし」

「じゃあなんだ」


 伴雷はまた「あー」とうめき声のようなものをあげて黙った。


「用がねえなら切るぞ」


 言いながら、アオのことであろうとは予測していた。この男が必死になって動くとしたら、海原アオのこと以外ありえない。


「アオさん、さあ」


 やはりそうだ。スマホの方へ視線を向ける。いつも以上に声に覇気がない。顔は見えないが、気落ちしているような気配を感じた。


「アオがどうしたって?」

「アオさんが」


 いくら待っても続きの言葉が聞こえてこない。タイミング的に、なにか、アオの両親に関する情報でも入ったのだろうか。


「なんだお前、なんかわかったのか」

「いや、わかってんのは結構前からわかってたけど」

「はあ!?」

「やっぱいいや」


 それだけ言うと伴雷は一方的に電話を切った。「あ、おい!」と咄嗟に言った言葉は聞こえていないだろう。スマホをもう一度助手席に投げて溜息を吐く。


「なんなんだ、あの野郎」


 意味がわからないのはいつものことだが、あまり、無駄なことはしてこない。とするならば、さっきの電話にも意味があったはずだ。アオに関係することで、なにか。重要なことのはず。考えていると、胸の奥がざわざわとしはじめる。

 車を一度道路わきに停めて再びスマホを持つ。アオに電話をかけてみるが出ない。留守番電話に切り替わる。もう一度連絡してみるがやはり電話には出ない。今日は木曜、平日の昼過ぎだから授業中だ。出ないのは当たり前なのだが、どうにも気にかかる。

 幼馴染である、舞のスマホにもかけてみる。やはり、電話は出ないが、舞からはメッセージが飛んで来た。


『アオ、そっちにいる?』


 まるで、アオは学校にいないみたいな言い方だ。


『いねえよ。どうした?』

『だったら、アオはここにいるかも』


 舞から位置情報が送られてくる。『もし行けるなら行って見てあげてほしい』送られてきた位置情報は、今善助が目指している場所だった。アオの両親が指定した住所だ。


『わかった、今からいく』


 正確には、もうすぐつくだ。『ありがとう、よろしく』もっと詳しく聞けばよかったか、とアクセルを踏み込みながら考える。しかし、考えると、舞も住所を知っていた、ということは、アオの両親は、さくらにだけ接触を図っていたわけではなかったのかもしれない。最近は随分必死だったようだし。――そう、例えば動画。あの二人が作っている動画のコメントか、舞のSNSにメッセージを送るとか、方法は他にもある。


『ごめんなさい』


 舞は最後にそう送って来た。

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