第9話 脅迫されしミスター益江

「やっぱりいないかー」


 想乃は今、新蒲田公園に来ている。といっても、ここ最近はほぼ毎日のように来ていた。目的はモジャモジャ頭のミスター益江である創守に会うこと。だが、この期間の創守はちょうど研究所でごちゃごちゃしていたため、一度も外へは出ていなかった。

 そうとは知らぬ想乃は今日もまた、誰もいないベンチを見ていた。


「マジでどこ行ったんだろ……」


 基本的に人の行動範囲はそうそう変わらない。新蒲田公園で考え事をしていたらそのまま寝落ちしてしまったのだから、絶対にこの近くに住んでいるはず。


 想乃のこの考えは正しかった。

 現に創守の行動範囲というものは、蒲田に移住してからの数年間でほとんど変わっていない。

 コンビニやスーパーはずっと同じ場所を使っている。気分転換の散歩コースはいくつかあるが、増えることもなければ減ることもなくずっと同じ。


 違うところといえば、突然アメリカに旅行したくらいだ。そもそもインドアすぎる創守が何を思ったか、いきなりひとりでアメリカに行ったことは家族や友達でさえも予想はできなかっただろう。それほどまでに創守が違う行動をするというのはめずらしいことなのだ。

 それもあってか、あのとき変装してたとはいえ、メディアに本名が流れたにもかかわらず、家族や友達からなんの連絡も入らなかったのだ。


「もしかして……あっちかな?」


(あたしが来るのを予想して別の公園を使うことにしたのかも……)


 そう思った想乃はスマホのロックを解除し、地図アプリを開いてルートを確認した。


「よし、覚えた」


 想乃の異様な記憶力は人の顔以外にも当てはまる。いちばんわかりやすい例が今回の地図記憶だ。

 想乃は一度も行ったことがない場所でも、地図アプリでルートをしばらく見ていれば行き方を覚えてしまう。これは空間認識能力がすごいというのもあるが、それだけではここまでの記憶には至らないだろうから、想乃のすごさがうかがえる。


 想乃は自転車に乗り、記憶だけを頼りに西蒲田公園のほうに向かった。



 創守は運が良すぎるが、想乃の前ではあまり恩恵を感じられない。というのも、創守の自宅や研究所は西蒲田公園のほうが近い。つまり、想乃が近くに来るということだ。

 創守がそこに行くわけではないが、想乃がもしかしてと思い始めたら、創守の強運は働くことをやめるのかもしれない。



「とうちゃーく」


 想乃は西蒲田公園に到着した。駐輪場は当日利用で百円だ。お金を払ってまで探す必要があるのかと疑問に思うが、想乃は「あとでミスター益江に請求すればいいか」と恐ろしいことを考えていた。

 一度会話しただけでそこまでの仲になったと勝手に思ってしまう。これは想乃の悪いところだ。あとのことを考えると、創守には同情せざるをえない。


「へー、けっこう広いんだ」


 想乃はここへ来るのは初めてだった。本来の目的はミスター益江を探すことだったが、せっかくならと公園内をゆっくり見ながら歩くことにした。


 風が吹き、木々が揺れる。視界には知らない人の輪がある。

 自然が生み出すさわさわという音が、人々が発するざわざわという音と混ざり合う。たまたまふたつの中間にいれば、体が半分ずつ違う空間にいるような、そんな不思議な感覚を味わえる。


「うーん……こんなところにいるとは思えないなー」


(ミスター益江は人見知りだろうし)


 心の中で軽く創守をディスる想乃。このときの表情を見ていたら、いくら鈍感な創守でもさすがに気づく。それだけ顔に出ているのだ。


「今日はもうあきらめよー」


 この公園で特定のひとりを探すには広すぎる。想乃は仕方なく探すのを断念し、自転車に乗って家に帰った。




 ——ある日の夕方。


 想乃はまた新蒲田公園に来ていた。なぜかはわからないが、ミスター益江がいる気がしたのだ。


「どうかなー」


 最初に会ったときのベンチに行ってみると、その気がしたのはまちがっていなかった。


「うわっ、いた!」


 あのときと同じように、創守はベンチに座って寝ていたのだ。


「てかまた寝てるよ。暇なのかな」


 想乃は近くまで寄ってみたが、創守はまったく気づかない。完全に眠っているので。


(外で寝れる人がほんとに宝くじの高額当選したのかなぁ……)


 想乃は自分がまちがっているかもしれないと思った。


「おーい」


 声をかけても反応がない。聞こえてくるのは静かな寝息だけ。


「またあれやっちゃうか」


 想乃は木の枝を拾い集め、モジャモジャ頭に差し込もうとした。とそのとき。頭が前にぐわんと傾き、枝がぶすっと突き刺さってしまった。


「やばっ」

「いった……ってまた君かよ。今度はなに? 殺す気だった?」

「あはは、大げさだなー。人はそんなんじゃ死にませんよ」

「わかってるわ!」

「すみません」

「はぁ……」


 想乃は少しだけ申し訳ない気持ちになった。他人に木の枝をぶっ刺しておいて少しだけというものなかなかだ。たぬきに似ているというのは顔だけじゃないのかもしれない。


「あっ、そうだ。ミスター益江ってこと、誰かにバレました?」

「まだそう思ってんの?」

「えぇまだ逃げるつもりなんですかぁ? もうあたしの頭の中ではお兄さんがミスター益江だって確定してるのに?」

「その自信はどこから出てくるんだよ……」

「わかりました」


 ここで想乃は勝負に出ることにした。


「今ここで正直に認めないと、お兄さんがミスター益江だってことみんなにバラします」

「なにそれ脅迫じゃん。警察呼んでもいい?」

「ふふん、警察が来たとしても言いますよ。その警察がお金が欲しくて欲しくてたまらない人だったら、何されるかわかりませんね。くっくっく……」

「怖い怖い。君のほうがよっぽど怖いって」

「もーいいかげんにしてよ! めんどくさいなー! 早く認めなさいよー!」


 想乃はここぞとばかりに大声を出した。これは意図したものではない。ただ本当に面倒でイライラしはじめたからだ。なんとも自分勝手な女だ。


「あーもうわかった! わかったから! 頼むから静かにしてくれ! 耳が終わる!」

「えっ、じゃあ?」

「ああそうだよ。本人だよ」


 想乃のだる絡みに耐えかねた創守は、とうとう自分から正体をバラしてしまった。


「やりました……ついにやりましたよ奥さん!」

「なに言ってんの?」

「いやぁ、全国の奥様たちに報告しないと不公平じゃないですかー」

「いや絶対やめて? ほんとにマジで。誰にも言うなよ?」

「えー、どうしよっかなー」

「くそっ、調子に乗りやがって……」

「あれぇ? そんな態度でいいんですかぁ? バラしちゃいますよぉ?」

「はい、すみませんでした」

「あはは、冗談ですよ、冗談!」


 創守の顔がすごいことになっている。例えるのも難しいほどに。

 そんな創守を見て、想乃はただただ楽しんでいた。ここまでおもしろいのは久しぶりだと思うほどに。

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