第34話 素を出せるうれしさ

 学校から帰った想乃は、めずらしく自分の部屋で勉強机を前にしていた。

 机の上には紙が一枚。鼻と口の間にボールペンが一本。


「うーん……」


 イスの上であぐらをかき、その少し上では腕が同じような形で組まれている。その状態で今までにないくらい険しい表情をする想乃。難しい宿題でもやっているのだろうか。


(いま進路のこと言われてもわかんないよねぇ……)


 不満と同時にボールペンが紙の上に落ちる。その紙には一から三の数字と、その数字の横にそれぞれ長方形の空欄がある。これはいわゆる進路希望調査だ。


 早い段階で進路を考えておけば、無駄な時間を過ごさなくていいかもしれない。それは生徒個人もそうだが、生徒たちを支える先生方にも当てはまる。

 生徒ひとりで考えると、進みたい道に進めるように早いうちから努力ができる。

 先生側の視点に立つと、生徒の実力とこれからの伸びを考慮することで、その進路に見合ったサポート度合いを決めておけるのだ。

 ただ逆に早い段階で考えてしまったがゆえに、進路の幅がそれ以上広がらなくなる可能性もある。あるいは、現状のレベルでは無理だと実感して絶望を味わうこともあるだろう。


 想乃がこんな一長一短の紙切れに対していい思いをするわけもなく、ただひたすらににらめっこが続いた。


「あっ!」


 そんなとき、想乃の頭にひとつのアイデアが浮かんだ。どんな状況でも発想力は衰えないのだ。


「いいかもいいかも、これいいかもー! あとでツクモンに教えよ」


 想乃はスマホのメモアプリに思いついたアイデアを入力しておいた。


「よし。次はどんなのがいいかなぁ……って違うわ! 今はこれを考えないと」


 危うく今やるべきことを忘れそうになるが、目の前に置かれた無記入の進路調査票を見て現実に戻った。


「でもなぁ……やっぱ今やりたいことなんてないんだよなぁ……」



 そこから悩み続けて数十分は経っただろうか。想乃はまだ何も書けずにいた。


「ダメだー! なんも浮かばん! ってかこれもツクモンに聞いちゃえ」


 アイデアを生み出す能力はずば抜けているが、自分の進路に関してはまったく頭が働かない。さすがの想乃もあきらめたのか、バイト中に創守に聞けばいいということで落ち着いた。


「そうと決まればもうこれは終わり! そろそろ行くかー」


 想乃はパチンと手を鳴らして立ち上がり、そのまま鏡で髪型をチェックした。

 自分が問題なくかわいいとわかると、部屋を出てドタバタと階段を下り、玄関に直行。家を出てさっと自転車に乗り、研究所へと向かった。



 ——ピーンポーン。


 到着した想乃はインターホンを押した。


「はい」

「想乃でーす」

「……開けた」

「はやっ!」


 事務所のドアの鍵が遠隔で操作できるようになったため、ここでのやりとりはスピーディーになった。

 想乃は事務所に入ると、創守がイスに座ってお茶を飲んでいたことに少しだけ驚いた。前までは手動で鍵を開けていたため、ドアが開けば目の前に創守がいたからだ。


「あっ、ここ遠隔で開けられるようにしたんですね」


 自分で出したアイデアではあるものの、想乃は少しだけ寂しさを感じていた。


「そっか、言い忘れてたわ。まぁ軽く説明すると、インターホンが鳴ったらカメラの映像がこのリモコンの画面でも見れるようになってて、あとはマイクで訪問者と話して鍵を開けるかどうか判断して、開けるならポチッとやるだけ。君のおかげでめっちゃ楽になったよ」

「じゃあボーナスですね!」

「ちょっとなに言ってるかわからない」

「がうぅぅぅ!」


 ふざけて創守に威嚇いかくする想乃。まるでたぬきのようだ。


「やはりそれが本来の姿だったか。さっさと山へ帰りたまえ」

「誰がたぬきじゃ!」

「言ってない」

「きぃぃぃ!」


 想乃は一瞬だけ鬼の形相となるも、いつもは使わない筋肉が刺激を受けたことですっかり忘れていた目的を思い出した。


「あっ、そうだ。今日は聞きたいことがひとつと言いたいアイデアがひとつあります!」

「いきなりだな」


 想乃はいつもどおりホワイトボードの前に立った。


「まず聞きたいのはですね、進路についてです」

「進路?」

「はい。今週中に進路調査票を書かないといけないんですけど、まったく浮かばないんですよ。だから人生の先輩としてなんかヒントとかないかなって」

「浮かばないなら適当でいいんじゃない?」

「ちゃんと考えてください!」

「えー」


 創守はかなりめんどくさそうな顔をしている。想乃はそれに気づき、ジト目に無言で圧をかける。


「いやそんな目で見られても、僕は高卒で就職したから進学とかわからないし」

「そうなの!?」

「あれ、言ってなかった?」

「初耳ですよ!」

「あっ、そう。じゃあいま言った」

「えぇ……。進学する気はなかったんですか?」

「うん」

「えっ、なんで?」

「どうせフリーになるなら早めに就職してスキル増やしたほうが効率いいって思ったからだよ」

「えっ、フリー?! ツクモンってそんな向上心ありまくりだったんですか?」

「そんなんじゃないよ。会社だと人付き合いがめんどそうだから」

「うわぁ……そこはなんか納得ですわ」

「んで、もうこの話は終わりでいい?」

「ちょ待ち! 高卒で就職することに対しての不安とかはなかったんですか?」

「もうそんな前のこと覚えてないよ」

「ですよねぇ……もういったんこの話はいいです」


 想乃は頭の中を切り替え、次の話を進める。


「じゃあ次はアイデアいきます!」

「それを待ってた」

「ふふん」


 想乃はホワイトボードのマグネットに引っかけてあったマジックポインターを手に取り、マジシャンのように一瞬で伸ばした。


「今回あたしが持ってきたアイデアはですねぇ……おなら無効パンツです!」

「……はぁ?」

「いいから聞いてください!」

「はぁ」

「おならって生理現象なんで出るのはしょうがないんです。でも人がいるとどうしても我慢しちゃいます。そんなのダメです! お腹に悪い! 病気になる!」

「……」

「そこであたしは音もニオイも無効にするパンツがあれば最強だと思ったんです。どうです? すごくないですか!」


 マジックポインターを魔法でも使うかのようにぶんぶん振りながら、星が見えそうなくらいキラキラした目で創守を見る想乃。

 だが、創守の反応はため息ではじまる。


「悪いけど、それもうあるよ」

「えっ、そうなの?」

「うん。もちろん無効とまではいかないけど、たしかおならのニオイの三大成分を九十パーセント以上減らして、音もけっこう軽減するとかだったかな。僕もあんまり詳しくはないんだけど、知ってる人は知ってると思うよ」

「そんなぁ……いいと思ったんだけどなぁ」


 肩を落とす想乃に、創守は呆れ顔で最初に思ったことをぶつけた。


「そもそも前も言ったけどさ、君は僕にパンツを作らせたいわけ?」

「あっ……」


 想乃は前と同じミスをしてしまい、赤くなる顔を思わず伏せる。


「まぁおもしろそうだから別に作ってもいいけどさ」

「ばか! 変態!」

「なんだよ気遣ってやったのに」

「気遣いの方向音痴か! 今すぐ記憶消せ!」

「だからそんな簡単に記憶は消えないって前も言ったろ!」

「発明家なんだから自分でどうにかしてよ!」

「理不尽の極み」


 ふたりは言い合ってはいるものの、そこに負の要素は感じられない。

 今ここにあるのは、やりとりを楽しむ温かな気持ちだけだ。


(ツクモンの前だと気が抜けるなぁ……あっ、そういうことか)


 想乃は伊豆田との会話を思い出し、創守といるときがいちばんじぶんを出していることに気がついた。


「なに笑ってんだよ」

「えっ、いま笑ってました?」

「うん。悪いけどちょっとキモかった」

「おい! いや待てよ? 今のを訳すと……かなりかわいかったってことか! いやぁ照れますなー」

「勝手に変えんな!」

「あははー、ムキになちゃっておもしろーい」

「だる」


 創守は想乃の言動に呆れつつも、またいつもと同じ空気が流れていることにうれしさを感じていた。変化を好む発明家のほうが多いだろうが、創守には今くらいがちょうどいいのかもしれない。

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