第33話 心が軽い理由

「おはようございまーす」

「おはよう」


 想乃は創守とわちゃわちゃしたあと、いつもより軽い気持ちで学校に来ることができた。保健室の先生——伊豆田へのあいさつからも、今日はいつもと違うことがわかる。

 もちろん、先生はその変化に気づいた。声だけじゃなく顔からもわかるからだ。


「どうしたの? 朝からいいことでもあった?」

「えっ、なんでですか?」


 想乃は自分の顔に出ていることに気づいていない。感情がわかりやすいのは想乃のいいところでもあり、弱点にもなりうる悪いところでもある。


「顔を見ればわかるわよ。それに、声もなんだか元気だし」

「そ、そうですか? たしかに今日は心が軽かったような気がしますけど……これといっていいことはなかったと思います」

「ほんとに? じゃあ楽しかったこととか、おもしろかったこととかは?」

「あっ、それならあります。でもなんでそんなこと聞くんですか?」

「もしかしたら、今後の衣里さんにとって大切な道しるべになるかもって思ったの」

「な、なるほど……」


 理解したようでしていない表情をしている想乃。わかりやすいことこの上ない。

 想乃のこういう態度に慣れている伊豆田は、止まることなく話を聞く。


「それで、楽しかったこと? それともおもしろかったこと?」

「あぁ、えーっと……両方、かな。朝ここに来る前にバイ、じゃなくて知り合いに会ったんですけど、その人が着てた服にサイズがわかるシールが付いてたんです」

「あー、たまにそういうのあるわよねぇ」

「その状態で朝から散歩しててあたしが言うまで気づかなかったっていうのが、その人っぽくておもしろかったなって感じです」

「へー。知らないから言ったら悪いけど、その人ってけっこう抜けてるのね」

「そうなんです。すごい人ではあるんですけど」

「あら、そうなの? それはどういう感じですごいの?」

「うーん……」


 想乃はどう言えば発明家だとバレずにすごさが伝わるのかを考えた。別に発明家であること自体は口にしても問題ないのだが、それに慣れてしまうと創守の情報を漏らしてしまいそうで怖かったのだ。

 ただ、考えれば考えるほどモジャモジャが意識に入り込んでくる。そのせいで言葉に詰まった。


「……別に浮かばないならいいのよ?」

「いやほんとにすごい人ではあるんですよ。でもそのぉ……いや、すみません。今日はやめときます」

「ふふっ、わかったわ。じゃあそれはまた今度として、楽しかったことっていうのは?」

「あぁ、えーっと……軽い冗談の言い合い? みたいなのがあって、それがちょっと楽しかったかなって。まぁ会うといつも似たようなことしてるんですけど」

「ふーん。じゃあその人とは仲がいいんだ?」

「んー、あたしはそうだと思ってますけど、向こうがどう思ってるのかはわからないですね」

「ふふっ、そうなのね」


 伊豆田は何かがわかったようで、思わず笑ってしまった。

 別におもしろいことを言ったわけではないのに、と想乃は少し疑問に思う。それも顔に出ていたため、伊豆田はさらに笑った。


「ふふっ、何がおもしろいんだって思ってるわよね。ごめんなさい」

「い、いえ」

「先生ね、衣里さんがなんで今日はいつもと違う感じがしたのか、わかっちゃったかもしれない」

「な、なんででしょう?」

「いま話してた知り合いに会ったからよ」

「えぇ……」


 想乃は創守のモジャモジャ頭を思い出し、笑いながらも眉間にしわを寄せる。


「その人と会って話したのは楽しかったんでしょ?」

「まぁそうですけど……いつもどおりというか、特別いいことっていう感じじゃないんですよね」

「それよ、それ」

「へ?」

「さっき、心が軽かったような気がしたって言ってたじゃない?」

「あぁはい」

「でもそのあとに、これといっていいことはなかったとも言ってたわよね?」

「そう……ですね」

「ふふっ、やっぱりそうだわ。衣里さんはその人に心を許してるのよ」

「なっ……」

「そしてその人といることがあたりまえになってるの」

「ちょっ……」

「だから心は軽くても、いいことがあったとは思わないのよ。それが衣里さんのいつもどおりになってるから」


 伊豆田の言葉を聞いて想乃は恥ずかしくなりつつも、そんなことないと思うことはなかった。


「まぁでもこれは先生が思ったことだから、ほんとにそうかは衣里さんにしかわからないんだけどね」

「……先生」

「ん?」

「たぶん先生が言ったとおりかもです」

「そう。ふふっ、よかった」

「えっ?」

「最近ね、少しずつだけど明るくなってる気がするなとは思ってたの。でも、口に出すと変に気にしちゃうかもしれないでしょ? だからあえて言わなかったのよ」

「は、はぁ」

「でも、気がしたんじゃなくてほんとにそうだったってわかったから安心した。その人に出会えてよかったわね」

「そ、そうです、かねぇ……」


 想乃は再びモジャモジャを頭に浮かべた。

 最近と言われると、たしかに当てはまる。創守と初めて会ったのも世間的に見れば最近だ。そこから今日この日までの間で変わったと思うところがあるのなら、それは必然的に創守の影響が大きいということになる。


 伊豆田に言われてそのことに気づいた想乃は顔が熱くなっている気がした。慌ててほっぺたを両手で押さえるも、それはむしろ逆効果。いつもとは違う熱さを自覚してしまい、より熱くなってしまった。


「どうしたのそんなに赤くなっちゃって。もしかして、その知り合いって男の人?」

「べ、別に好きとかそういうんじゃないですからね!」

「ふふっ、まだ何も言ってないわよ」

「い、いやぁ、もしかしたら勘違いされてるかもなので早めに否定しておこうかなと思いまして……」

「あっ、そう。でも恋愛感情じゃない好きもあるじゃない? 友達としてだったり、尊敬する人としてだったり。そういうのならどう?」

「んー、まぁそれなら好きってことになりますけど……」

「それでいいのよ。衣里さんが一緒にいて楽しいって思ったり落ち着くって思ったりするなら、それがいちばんだもの」

「……そうですね」


 硬い表情が少しずつ柔らかくなっていく。そんな想乃の姿を近くで見てきた伊豆田は、名前も知らない想乃の知り合い——創守に感謝した。それと同時に自分はまだまだだなと思い、これからはもう少し想乃の周りのことも考えながらフォローしていこうと心に誓った。


「まぁでもそういう人が将来の旦那さんになってるってことあるのよねぇ」

「いやー、やめてくださいよ。絶対ないですから」

「あら、そうなの? 残念ね」


 伊豆田に軽くからかわれ否定した想乃だったが、頭の中にひとつの未来が思い浮かんだ。それは創守がビジネスパートナーとしてこれから先も一緒にいることだった。

 今はまだぼんやりとした映像でしかなかったが、案外おもしろいかもと思う想乃だった。

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