第32話 気づいたときにはもう日常

 ツクモ研究所の空気が変わった日の翌日。

 まるで神様に祝福でもされているかのように天気はここ最近でいちばんよく、雲ひとつない快晴である。


「うぐっ……ぐはっ……」


 窓から空を見て伸びる創守。その表情からは疲労が見える。

 創守は昨日のことで心身ともに疲れていたが、ルーティンを思い出し、サンダルを履いて家を出た。


 日本工学院専門学校が見えるところまで来ると、ひじを伸ばして両手を学校側に向ける。これが第一形態だ。


(いつもより早く来たからそこまで学生はいないはず)

 

 そう思った創守はいらない優しさからか、あまり時間をかけずに終わらせることにした。


「よし……エネルギー充電完了」


 集まったエネルギーはいつもより少ないはずなのだが、創守のモジャモジャ天然パーマは活気に満ちている。見た目とは裏腹に低燃費なのだろう。


 エネルギーの次はアイデアだ。左手を学校側に向け、右手を頭の上に乗せる。これが第二形態だ。

 アイデアはエネルギーよりも時間をかけるのだが、今日はほんの少しだけ増やすだけにした。


「うーん……イマイチだなぁ。ここらでやめとくか」


 そもそも何も感じないだろとツッコミを入れたくなるが、創守はいたって真剣なのだ。


 思ったよりいい収穫を得られなかった創守は、さっさと帰ってシャワーを浴びることにした。

 いつもは来た道とは別のルートでゆっくり帰るのだが、今日は別は別でも最短ルートで帰ることにした。理由は簡単。この時間帯は中学生や高校生が登校しはじめるからだ。

 モジャモジャ頭に上下セットで無地。おまけにサンダルとなればもうどこからどう見てもニートだ。

 前に中学生に笑われたことがあり、創守はそれを気にしているのだ。気にしているのなら服装を変えるなりスニーカーを履くなりすればいいものを、創守は楽なのがいちばんという気持ちが強いために変えずにいる。


(よし、ここまでは順調だな)


 蒲田駅の近くまではそれらしい学生の集団には出くわさなかった。このままいけば、創守は気分を害さずに済む。


 だが、家まであと数分といったところで後ろから創守を呼ぶ声がした。聞き覚えのある声。というか週末以外はほぼ毎日耳に入る声。そもそもツクモンと呼ぶ人間。

 振り返る前に答えは出ていた。想乃だ。


「何やってるんですかこんなところで」

「あー、ちょっと散歩にね」

「へー」


 想乃の目線が創守の頭からつま先まで移動する。やはり見てしまうような見た目なのか。


「な、なんだよ」

「いやぁ、さすがにちょっとなぁって思いまして」

「これか? 別にいいだろ。楽なのが好きなんだよ」

「別に服装はどうでもいいですよ。散歩なんだから」

「あれ、違うの? えじゃあ何? どこが気になんの?」

「それ買ったばかりですよね? サイズのシールが付いたままですよ」

「マジ? うわっ、ほんとじゃん。はっず」

「着る前に確認しなかったんですか? てかだから付いたままのか」

「まぁ遠くからは見えないからだいじょぶでしょ」

「あはは。そういう細かいところが抜けてるのはツクモンっぽいですね」

「だろ?」

「なんでドヤ顔……」


 創守は自分のことばかりになっている会話を変えることにした。


「そういえば、この時間に制服ってことは今から学校?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれました。そうです。今からあたし、学校です!」

「あそ。がんばれよ」


 想乃は笑顔でグッドポーズをした。創守はひと安心した。

 ただ、自分から話題を変えたのに自分で終わらせてしまった。しかもたったの一往復。下手くそにもほどがある。

 創守が心の中で失敗したと思っていると、それを感じ取ったのか、想乃がまた話を変えた。


「それより、あたしになんか言うことないですか?」

「なんか? なんかって何?」

「ひっど! 今日もかわいいねーとか、制服姿いいねーとかあるじゃないですか!」

「制服は毎日見てるだろ」

「かわいいをスルーすな!」

「どこにかわいい子がいるんだよ」

「ここにいるじゃん! とびっきりのかわいい子!」

「えっ、どこどこ」

「キッサマァァァ!」

「ははっ。冗談だよ、冗談!」

「冗談は頭だけにしてほしいですな」

「おい」

「あははー! 冗談ですよ、冗談!」

「貴様……」


 夫婦めおと漫才でも見せられているのだろうか。近くを通った人たちはそう思ったに違いない。


「そろそろ時間なんで、あたし行きますね」

「あ、あぁ。気をつけてな」

「はーい。じゃあまたあとでー!」

「おう」


 想乃が自転車に乗って離れていった。

 創守はその背中が見えなくなるまでずっと見守る、なんてことはせず、振り返って見ることもなく前に歩きはじめた。



 家に着いたあと、創守はすぐにシャワーを浴びた。モジャモジャ頭は濡れてもモジャモジャのままだ。毛根ひとつひとつのパワーがすごいのだろう。

 バスタオルに水気をよく染み込ませ、ドライヤーで乾かす。すると、すぐに元の状態に戻った。


「さすがは僕の髪の毛だ」


 鏡を見ながら髪の毛を優しくタッチする。創守は想乃のことを自分大好き人間だと思っているが、今の創守を見れば「お前もな」と誰もがツッコミを入れるだろう。



 昨日のことを考えると、人はここまで日常に戻るのが早いのだと思わされる。だが、それはあたりまえのことではない。創守と想乃、このふたりが変わっているのだ。それもかなり。


 ここまでの出来事やふたりの言動を見ていれば、このふたりに一般常識を当てはめようとするのがまちがいだとわかるだろう。


「よし、前に買った服でもチェックするか」


 創守はまた同じミスをしないよう、袋の中に入ったままの新品の服を細かく確認していった。

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