第15話 簡単に散る秘策

 防災行政無線の放送塔から『夕焼け小焼け』の音楽が聞こえてきた。十七時だ。

 これは災害などの緊急時に備え、放送塔が正常に作動するか毎日十七時に確認しているのだ。

 そうとは知らぬ想乃は、音楽に合わせて鼻歌まじりに地下へと階段を下りる。バイト初日は緊張することもあるだろうが、それよりもワクワクが勝つのは誰にでもあるだろう。


「どんな仕事やるのかな。ちゃんと考えてくれたかなぁ」


 想乃はインターホンのボタンを押した。


「はい」

「想乃です」

「いま開ける」


 数秒後に鍵が開き、創守がドアを開けた。想乃が入るまでドアを押さえている。人付き合いがいいとはとても言えない創守でも、こういう最低限の心づかいはマスターしているらしい。

 想乃は「あざます」と言って中に入った。入るとすぐに鍵をかけるのはあいかわらずだ。


「インターホンってさ、普通は名字を言うもんじゃない?」

「えー、いちいちそんなこと気になります?」

「ちょっと思っただけだよ」

「あたしとツクモンの仲なんだから別に名前でもいいじゃないですか」

「その言い方だとまぎらわしい」

「えっ?」

「なんでもない」


 創守のつぶやきは想乃の耳には入らなかった。眉間にしわを寄せる想乃に対し、創守はイスに座るよう言った。


「今日から仕事がはじまるわけだけど、その前に、制服のままで大丈夫?」

「えっ、着替えないとダメですか?」

「いやそういうわけじゃないんだけど、なんかこうバイト用の服とかあったほうがいいのかなって」

「てっきりあたしの制服姿が好きなんだと思ってましたけど、他の服装も見たいってことですね!」

「断じて違う。形を気にするかってことを聞いてんだよ」

「あたしは別にどっちでもいいですけど」

「じゃあ好きにしてくれ」

「はーい」


 想乃はそのまま仕事内容を聞くことにした。


「それで、あたしの仕事内容はちゃんと考えてくれました?」

「あぁ、それは問題ない」

「ホント?! よかったー。何も浮かばなかったからとりあえず帰ってくれ、とか言われたらマジギレするところでしたよ」

「僕だって約束くらい守るさ」

「まぁ名前にもって入ってますしね。守らなかったら存在自体が否定されますよ」

「そこまでじゃないだろ」

「どうでしょうね。てかそれより早く教えてくださいよ!」

「まぁ慌てるな。まだ時間はたっぷりある……あっ、そういえば何時まで働くんだっけ? もしかして聞くの忘れた?」

「あー、たしかに聞かれてないです。罰金五千円ですね」

「なんでだよ!」

「いいじゃないですか。こっちは最低賃金で働くんですよ? そういうサービスがあってしかるべしだと思いますけど」

「罰金がサービスってどんな仕事場だよ」

「サービスというか、臨時収入?」

「ないない。そんなの絶対ない。君のことだから一回でももらったらすぐ調子乗ってあら探しにいそしむだろ」

「それは心配しすぎですって! さすがにあたしもそこまで鬼じゃないですから」

「でも鬼だとは思ってるんだ」

げ足取るなー!」


 創守はこれでもかという顔をしながら想乃をからかった。これまでさんざんやられてきたお返しだ。

 想乃はしくったと思ったが、これ以上は態度に出さないようにした。負けたくないという気持ちが強すぎるのだ。


「ごめんごめん。で、どうする? 何時までとか希望ある?」

「うーん……」

「わかってるとは思うけど、高校生は遅くても二十二時までだからね」

「じゃあとりあえず二十時で」

「了解」

「えっ、もっと一緒に働きたいって? もうしょうがないなー。そしたら二十二時まで働きますよ!」

「いや一ミリも思ってないから。こっちとしては短いほうが願ったり叶ったりだから」

「ひっど! こんなにかわいい現役女子高生が一緒に働くのに」

「じゃあ二十時で決まりね」


 想乃の顔がふくれている。これではますますたぬきにそっくりだ。

 話が進まなくなると思った創守は、そのことには触れなかった。


「じゃあ今から仕事内容を説明するから、記憶するかメモするかしてくれ」

「わかりました」


 想乃はスマホを取り出さなかった。勉強以外に関しての記憶力には自信があるのだ。仕事内容くらいは聞くだけで覚えられる。


「まず一個目。これは昨日言ったけど、事務所内の掃除ね。ほうきで床をいたり、机をきれいにしたり。まぁそんな感じ」

「はい」

「二個目。これも昨日言ったけど、お茶を出すこと。僕がお願いしたらお茶なりコーヒーなりを作って持ってきてほしい」

「お客さんは来ないですよね?」

「来ない来ない。僕ひとりだけだよ。あっ、自分のも好きにしていいから」

「わかりました」


 わかってはいたが、改めてお客さんが来ないとわかるとうれしさが込み上げてくる。想乃は思わず笑みがこぼれた。


「三個目は階段掃除」

「えっ、また?」

「さっきとは別だよ。事務所に入る前の階段を掃除するんだ。それぞれの段とか横の壁とか、あとはドアとかインターホンとか。そこらへんのもろもろを頼む」

「……わかりました」

「四個目は事務所内の片付け。イスを元の位置に戻したり、本を本棚に戻したり。とりあえず散らかってるものはきれいにしてほしい」

「それも掃除と同じじゃないですか?」

「違うよ。掃除は汚れをなくすけど、片付けは散らかりを整える」

「たしかに……」

「五個目はゴミ出し」

「それ! それは絶対に掃除とペアでしょ!」

「違うね。このゴミ出しは、ここで出たゴミを回収日に合わせて地域指定の場所に置くことだから」

「ぐぬぅ……」

「とりあえず次が最後だけど、続けても?」

「ええ、いいですとも」

「六個目は備品の買い足し」

「おっ! それは発明に使うやつってことですか! やっとそれっぽいのがきましたね! ひゅーひゅー! ツクモンったらもったいぶっちゃってぇ、このこのぉ!」

「いや、備品は事務所内のやつだよ」

「はぁ!?」


 さっきの喜びを返せとばかりに、想乃は鬼の形相をしている。

 創守は見て見ぬふりをして話を続ける。


「ガムテープとかゴミ袋とか、あとはトイレットペーパーとかもそうだな。とりあえず使いそうな備品を管理してほしい」

「はぁ……いよいよ家事代行サービスみたいになってきましたね」

「僕はこれから発明という偉大なことをやっていくんだ。だから細かいところまで気が回らないかもしれない。そこで君の力が役に立つというわけだよ」

「いいように言ってますけど、今まで全部ひとりでやってきたやつですよね? ただ面倒なものを押し付けてるとしか思えないんですけど」


 創守はギクリとした。やはり想乃は鋭い。

 だが、創守には秘策があった。


「なんか勘違いしているようだから言っておくけど、君はいわゆる新人だ。バイトの新人には何がある?」

「何がって……あっ、もしかして研修?」

「そう、それだよ。新人には研修が付き物だろ? だからまずはこういう仕事が任されるんだよ」


 創守は勝ち誇っていた。だがまだ勝負は終わっていなかった。

 想乃の表情には笑みが。そう。創守の考えを読んでいたのだ。


「もっともらしいこと言ってますけど、実際の研修はそんな感じじゃないですよ」

「えっ……」

「例えば、スーパーなら品出しだったりレジ打ちだったり、そういう業務に直結するようなものをすぐに教えてもらいます。場所によるとは思いますけど、少なくともあたしのときはそうでした」

「へ、へぇ……」

「でもツクモンが言ってるのは全然違います! 研究所のバイトなのにやることは事務所のことばっか。これってやっぱり面倒なことをあたしにやらせたいだけですよね? それであわよくばやめてもらおうなんて思ってるんじゃないですか?」

「ち、違うって! ほんとに研修用! 研修期間が終わればちゃんと他のこともやってもらうから!」


 再び図星を突かれた創守は、慌ててないことを言ってしまった。


「例えば?」


 想乃の問いに、創守はすぐに答えることができない。


「ほら、やっぱりないんじゃん」

「ぐっ……」

「これだから大人は信用できないんですよ」


 想乃の表情が暗くなった。これにはさすがの創守も気づき、何かワケありなのかと思って想乃をなだめようとする。


「悪かった。たしかにこれじゃ信用できないよな」

「……」

「正直に言うと、考えようとはした。でも、あれしか浮かばなかった。僕は雇われることはあっても、雇ったことなんて一度もないから。だからごめん」

「それ、ホント? 本心?」

「うん」

「……許す」

「ありがとう」


 創守はほっとした。それと同時に女子高生の扱いは難しいと思った。

 だがほっとしたのもつかの間、想乃の口元はみるみるゆるくなっていった。

 何かよからぬことを考えている。創守はそう感じた。そしてそれは当たっていた。


「でも、すぐに考えてくださいね。あたしの仕事」

「えー」

「えー言わない!」

「でも」

「でももなし!」


 想乃に迫られ、創守はとっさにある案が浮かんだ。


「なら研修期間中にやりたいことを言ってくれ。それを頼むかは判断させてもらうけど、これなら自分で考えられるだろ?」

「……わかりました。とりあえずはそれでいいです」


 想乃は創守に考えてほしかったのだが、この際それでいいかと思った。

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