第12話 拒否権のない提案

「単純な話じゃないですかー。ミスター益江があたしを雇うってだけです」

「いやいやいや、まずなんでそうなる」

「だってお金の使い道に困ってますよね?」

「いや別にそんなこと言ってないけど」

「いーや! その顔は困ってます。絶対にね」

「どこからその自信が出てくるんだよ……」

「金は天下の回りものって言うじゃないですか。ずっと持ってても意味ないですよ。さあ、社会に貢献こうけんするときです!」

「人の話聞いてる? 別に困ってないんだよ。それにさ、君を雇うことが社会貢献になるとはとうてい思えないんだけど」

「で、どうなんです? あたしを雇う気になりました?」

「あれ、耳ある……よね?」


 創守は両目をこすったり眉間をギュッと押したりして何度も確認した。たしかにそこに、耳はある。


「あたしのかわいい耳がどうかしました?」

「いや、なんでもない。都合の悪いことは全部スルーってことはわかったから」

「で、どうなんです? あたしを雇う気になりました?」


 想乃は同じ質問を繰り返す。どこまでもしつこい。だが、これに関しては意図したものではない。天然だ。だからこそ厄介やっかいなのだ。


「はぁ、またそれか。この短時間で変わるわけないだろ。そもそもスタート地点から進んでないから」

「あーもう! そんなんだからモジャモジャ頭なんですよー」

「これは生まれつきだ!」

「えぇ?! 赤ちゃんのときからモジャモジャだったんですか? なにそれすごっ! 写真見せてー!」

「だる……」

「ねぇ見せて見せてー!」

「だるいだるい、ほんとにだるい!」

「ケチ」


 創守は本気で言っているのか疑問に思ったが、考えるのはすぐにやめた。はじめて会ったときに答えは出ていたからだ。


「君さ、ほんとはたぬきだろ? 金欲しさに人間に化けて出てきやがって」


 創守もたいがいアホだった。


「そんなメルヘンチックなことが現実にあるわけないでしょ!」

「いやまぁ、それはそうなんだけど」

「それに、どこからどう見ても超絶かわいい女子高生じゃん!」

「はいはい、そうですねー」

「ミスターさ、眼科行ったほうがいいんじゃない? たぶんなんかの病気だよ」

「病気じゃないわ! てかミスターってなんだよ。いきなり省略すんな」

「いいじゃん別に。めんどくさいし」

「はぁ……」


 創守はとことん呆れている。そして、いま自分の目の前にいる女子高生があまりにも変わっていることで、本当にたぬきなのではないかと思ってしまう自分にも呆れていた。


「そんな顔しても無駄ですよ。あたしはここで引くような女じゃないです。何度だって聞きます。あたしを雇う気になりましたか?」


 これまでふざけて言っていると思っていたが、このときの想乃は真顔だった。ひとりの女子高生が自分を雇えという前代未聞な提案を真顔でするのを見れば、誰だって何か事情があるのではと思ってしまう。創守も例外ではなかった。


「そんなに雇え雇えって言うけどさ、なんでここなの? もっとちゃんとしたところあるでしょ。カフェとかコンビニとかさ」

「あー、あたし接客NGなんですよ」

「嘘つけ。初対面の相手にここまでガツガツいけるのにそれはないだろ」

「だからですよ」

「えっ?」

「どんな人にもそうだから、失礼だってなってすぐクビになるんです」

「あぁ、なるほどね」

「納得すんな!」

「いやするでしょこんなの。超納得だよ」

「うっざ! てかいいかげんにしてください! 早くあたしを雇え!」

「ほんとにしつこいな。接客じゃない仕事だってあるだろ。それはなんで選ばないんだよ」

「そんなの仕事仲間に嫌われるからですよ!」

「なるほど!」

「だから納得するなー!」


 想乃は誰にでも分けへだてなく同じ態度で接する。それもかなりくだけた感じで。そのせいでお客さんからのクレームは絶えず、同僚からも避けられてしまう。今までのバイトはすべて一週間以内にやめているほどだ。


 創守はひどく納得していた。まだ会うのは二回目にもかかわらず、前よりも自分に対する態度が軽くなっていると思ったからだ。


「もうわかりました」


 突然、想乃が静かになった。創守はやっと終わるのかと思った。だが、そうではなかった。


「こうなったら最終手段を使います」

「へ?」


 想乃がいきなり物騒なことを口にしたのだ。最終手段と聞けば、言われた側が不利になることは容易に想像できる。どんなに鈍感な創守でも気づくのだ。

 しかし、気づいたときには遅かった。口を閉じさせることができなかった創守の負けである。


「あたしを雇わないと、ミスター益江であることをバラします」


 終わった。それを言われてしまえば、創守は抵抗することができない。自分が宝くじの高額当選者であることが世間にバレてしまっては、静かに暮らすという小さな夢はそのまま叶うことなく散る。完全敗北だ。


「くそがぁぁぁ! マジで言わなきゃよかったぁぁぁ!」

「……あははー、おもしろーい!」


 後悔とともに騒ぎ出す創守に、少しだけ驚き笑う想乃。悲哀と歓喜という相反するふたつが部屋の中に満ちている。それも混ざり合うことなく、お互いに主張しながら。


 しばらくはその異様な状態が続いたが、観念したのか、創守が立ち上がった。


「はぁ……君のしつこさには負けたよ」

「えっ、じゃあ?」

「雇うよ」

「ホントに?」

「うん」

「やったー!」


 想乃は飛び跳ねながら喜んでいる。こうして見ると、とても無邪気でかわいらしい。まるで子どもが欲しかったものを買ってもらったときのようだ。

 創守は思わず笑みがこぼれた。


「なに笑ってるんですか?」

「なんでもない」

「ふーん、変なの」

「そうだ。今さらだけど名前は?」

「衣里想乃です」

「衣里さんね。わかった」

「想乃って呼んでいいですよ。衣里って言いにくいですし」

「いや、いい。別に言いにくくないし」

「えー、なんで? もしかして照れてる?」

「んなわけあるか。いきなり名前で呼んで仲良くなったって思われても困るし。こっちは仕方なく君を雇うことになったんだから」

「あれ、言わないとどうなるのかなぁ?」

「はぁ……もうそれやめろって」

「じゃあ呼んでください」

「わかったわかった」

「……」

「なんだよ」

「呼ばれ待ちです」

「だるいだるい。あとで呼ぶって」

「はーやーく!」

「はぁ……じゃあ、想乃」

「やっぱり照れてんじゃん! あははー、超ウケるんですけどー!」

「マジでうざい……このままだとハゲる……」


 創守はモジャモジャの髪の毛を両手でガシッとつかみ、少しだけ安心した。まだ影響はない。

 だがこれから先、何度イラつくことがあるだろうか。予想もできない未来に、創守は静かに肩を落とした。


「じゃあ次はミスター益江の番ね。周りからはなんて呼ばれてるんですか?」

「普通に名字か名前」

「えー、それじゃつまんないですよ」

「はぁ?」

「なんか決めましょうよ」

「なんでだよ。いいだろ別に普通で」

「でもそれをあたしが呼んでるのを誰かが聞いて、もしかしたらってなったらどうするんですか?」

「そうはならない」

「言い切れるんですか? あたしみたいな人がいたら終わりですよ?」

「……たしかに」

「ということで、呼び方の案をいくつか出すのでそこから選んでください」

「えー」

「拒否権はありません」

「だよね。わかってた」

「じゃあ……」


 想乃が出した案は、まっすー、マスえもん、つくりん、モジャモジャの四つだ。


「最後のなんだよ、最後の」

「えっ、それがいいんですか? 長いから呼ぶのめんどいんですけど」

「なら最初から候補に出すな!」

「ほら、残り三つですよ。選んでください」

「くそ……まぁでも聞いたときから決まってるけど」

「そうなんですか? 運命ってやつ?」

「違うわ。二個目と三個目はゆるキャラみたいだから嫌だし、四個目は論外。残るは一個目のまっすー。最初からこれ一択だよ」

「ふーん。じゃあその間を取って、ツクモンに決定!」

「はぁ? 人の話聞いてた? 選択肢外からとか卑怯ひきょうだぞ!」

「いいんですよ。はじめたのはあたしです。つまり、あたしが神! ルールを決めるのも呼び方を決めるのもあたしの自由なんですよ! はっはっは!」

「……正義とは? めちゃくちゃ悪役じゃん」

「はい、そこ静かにー。男なら一度決まったことに文句言わない!」

「うわっ、それは差別だぞ」

「うっさいなー。じゃあ一度決まったことに文句言うな! これでどう?」

「……もういいよそれで」

「おっけー。じゃあこれにてミスター益江の呼び方会議を終わります。一同、礼」

「いつから会議になったんだよ」

「礼!」

「……くそ」


 創守は力が抜けたようにへにょへにょしながら頭を下げた。

 それを見た想乃は自分が王様であるかのように感じ、笑いながら仁王立ちしていた。



 ここまでなんだかんだあったが、創守はまさかバイトを雇うことになるとは思ってもみなかった。

 あのとき新蒲田公園に行かなければ。創守は何度もそう思ったが、いま目の前にある現実を受け入れるしかなかった。


 それでも、宝くじを当てる前の代わり映えしない日々に突如として現れた嵐のような存在を、創守は口で言ってるほど気に入らないというわけではなかった。

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