第27話 つまらないケンカ

「お疲れさまでーす。想乃でーす」


 十七時少し前になると、想乃はいつもどおり事務所のインターホンを押した。


「おーっす」


 創守の適当な返事が聞こえてきて、それから数秒でドアが開く。これもいつもどおりだ。


「前から思ってたんですけど、このドアの鍵って遠隔操作できるようにしたほうがよくないですか?」

「えっ、遠隔?」

「だっていちいち鍵開けるのめんどくないですか? あたしが来たってわかったら、リモコンかなんかで遠隔操作して鍵開ければ楽だと思います」

「あー、たしかに。あたりまえのことすぎて今までまったく気にならなかったわ」

「あたりまえのものこそ発明のチャンスですよ」

「へー、いいこと言うな。それ僕も使っていい?」

「どうぞどうぞ。こんなのいくらでもあげますよ」


 創守は想乃の名言を脳みそにしまった。いつ使うのかはわからないが、名言というのは覚えておいて損はない。いつか迷ったときに心の支えとなってくれるのだ。


「事務所のドアの鍵、今日中にでもやっちゃおうかな。思い立ったがなんとやらって言うし」

「吉日のほうが一文字少ないですけど」

「そんなのいちいち気にすんなよ」

「だって省略できてないですもん」

「なんとやらってさ、別に省略したいから使うってわけじゃなくない?」

「えっ、そうなの?」

「たしか婉曲えんきょく表現ってやつだよ。遠回しに言うことでそれとなくにおわせる的なやつ。学校で習わなかった?」

「さぁ? 習ったとしても覚えてないです」

「あっそ」


 創守は研究所へと入る前、本棚ドアも全自動にしたほうがいいのではと思った。

 考える創守を見て察した想乃は、やらないほうがいいと伝える。


「えっ、なんで? 自動のほうが楽でしょ」

「これは手動だからいいんですよ。てかそれが男のロマンってやつじゃないんですか? あたしは女だからわかりませんけど」

「たしかに。これが自動になったら本棚である意味も薄れるわな」

「ですです」

「ふぅ、危うく無駄なことをするところだった。ありがとな」

「いえいえ」


 創守が半自動の本棚ドアを開けて研究所へ入ると、想乃はテーブルの上に宿題のプリントを広げた。


「よし、やりますか」


 この宿題はおととい保健室登校をしたときに受け取ったもの。それを今日になってやるということは、昨日は学校に行かなかったのだ。


「うーん……宿題やってくれる装置作ってくれないかなー」

「それは夢あるけど絶対に作らない」

「うわっ、びっくりしたぁ。さっき入ったばっかなのになんでここにいるんですか!」

「お茶持ってこうかと思って」

「あっ、あたし作ります」

「いいよ別に」

「ダメですよ! これはあたしの仕事ですから」

「そう? なら頼むわ」

「はーい」


 想乃は席を離れてお茶を作りはじめた。

 創守はふとプリントに目をやる。上部には一昨日の日付があり、少しだけ引っかかった。


「できましたー。どうぞ」

「あっあぁ、ありがとう」


 創守はビクッとしたが、そのままお茶を受け取った。


 ちなみにバイト中に宿題をやることについてだが、これはちゃんと創守の許可は取ってある。仕事が落ち着いたら勉学にはげむのをよしとしているのだ。


「てかなんで作ってくれないんですかー?」

「えっ?」

「自動で宿題やってくれる装置ですよ」

「あぁ、宿題の意味がなくなるからだよ」

「いいじゃないですか別に。どうせみんな適当にやってるんですし」

「みんなが適当なら自分も適当でいいのか?」

「なんですか急に。説教ですか?」

「いや、そうじゃないけど。宿題くらいは自分でやったらどうだってことだよ」

「……ケチ」

「なんか言った?」

「なんでもないでーす」


 ねる想乃に対し、創守はついさっき引っかかったことを聞く。


「その宿題さ、月曜もらったやつだろ? なんで今になってやってんの?」

「あー、これですか? 実は昨日、学校サボっちゃったんですよ。で、明日は行こうと思って今やってるんです」

「えっ、まるまる一日?」

「はい」

「おいおい……」


 創守は呆れた。と同時に、初めて会ったときの記憶を思い出した。


「そういえば最初に会ったときもサボったとか言ってたけど、今までけっこうあんの?」


 創守は思わず聞いてしまった。聞かずにはいられなかったのだ。

 一方、想乃は他人に興味がなかったはずの創守が自分のことを聞いてくるのが妙にうれしかった。


「ありますよー。それはもう数え切れないほどに」

「マジか……それ、親御さんは?」

「たぶん知らないです。言ってないですし」

「お前なぁ……」


 想乃はここで引っかかった。初めてと言われたのだ。そう言われること自体は気になっていないのだが、創守の顔を見るとなぜかモヤモヤした。


「なら学校はちゃんと行かなきゃダメだろ」

「は?」


 想乃のモヤモヤは確信へと変わる。これはイラつきだ。ただ、今までのそれとは少し違う。心の底からイラッとしたのだ。


「親御さんがお金出してくれてるんだろ?」

「なんで今その話?」

「いや、大事だからだよ。もしサボりすぎて単位取れなかったら留年になる。もうそうなったら基本的には自主退学だ。僕は何人か見てきた。君にはそうなってほしくないんだよ」

「関係ないじゃん……」

「僕にはね。でも親御さんの気持ちは考えたことあるか? お金払ってるのに娘にはサボられてるんだぞ? このまま変わらないなら、学校なんてやめて自立したほうがいい。そのほうがお互いのためだろ」


 想乃はテーブルを思いっきり叩いた。


「ツクモンには関係ないでしょ!」

「いやでも……」

「もういい! あたし帰る!」

「ちょ……」


 想乃は荷物をまとめてドアへと走る。


「ちょっと待てって」

「ついてこないで! もう顔も見たくない!」


 勢いそのままにドアを開き、想乃は事務所を飛び出した。

 地上へと続く階段が、いつもと違ってゆがんで見える。


(おかしい)


 目をぎゅっと閉じる。直るどころか、視界はよりひどくなった。


(あれ、変だな……)


 想乃は何度も目をこするが、こぼれる気持ちは収まらない。


(もういいや。このまま帰ろう)


 そう思った想乃は階段をかけ上がり、自転車に乗ってペダルを踏んだ。



 事務所を出てから家に帰るまでの間、想乃は一度も振り返らなかった。もし創守が後ろにいたら。そんなことを考えると、振り返る勇気もなかった。

 少しだけ丸まったその背中からは、今までにない悲しい空気が流れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る