第29話 心が痛む不在着信

 想乃は事務所を飛び出したあと、まっすぐ家に帰ってきた。

 玄関のドアを開ける前に空を見上げる。暗くなりつつあるのはわかるが、どんよりしていてはっきりしない。


「……ただいま」


 家には誰もいない。まだ仕事から帰ってきていないのだ。

 想乃は少しだけほっとした。いま自分の顔を見られては、絶対に心配させてしまう。何があったのだとしつこく問いただされてしまっては、また感情的になってしまうかもしれないのだ。


 想乃は二階に上がり、自分の部屋に入った。

 リュックを床に置き、そのまま前からベッドに倒れ込む。すると、無造作にそこへ置かれていたパジャマが少し跳ねた。その抜け殻からは、まだ今朝のワクワクを感じ取れる。


「あぁぁぁもぉぉぉ!」


 叫んだあとはしばらくうつ伏せのままだったが、想乃は息苦しくなって仰向けになった。

 目線の先には無点灯のシーリングライトが。なんともいえないむなしさだ。


「はぁ……なにやってんだろあたし」


 想乃の頭の中にはいろいろなことが浮かんでいた。

 学校のことや家族のこと、バイト先のことや創守のことなど。考えていなくても流れ出てくる。それらはまるで走馬灯のようだった。


「あれじゃ絶対クビだよねぇ……。また新しいバイト探さなきゃなぁ」


 そう言ってはいるものの、本心ではやめたくないと思っている。ずっとあそこで働きたいと思っているのだ。

 だが、あんなに感情をさらけ出してしまってはもう合わせる顔がない。このまま離れて自然消滅。それがいいのだ。


「楽しかったなぁ……」


 短い期間ではあったが、今まででいちばん濃い時間だった。

 想乃は楽しい思い出を記憶から引っ張り出しているにもかかわらず、目に映る天井はまるで気ままに揺れる水面のようだった。


 ただ、想乃にはひとつだけ後悔があった。

 もっと給料をもらっておけば。もっといろいろ作ってもらっていれば。そんな自分勝手なものではなく、創守に対してのものだ。


「ちゃんとツクモンに言っておくんだったなぁ……あたしの過去と今」


 想乃の過去というのは、いま不登校ぎみの保健室登校になっている原因のことだ。



 それは半年前のある日。

 季節の変わり目で想乃は体調を崩してしまった。ただの風邪ではあったのだが、それをずるずると引きずって二週間ほど休んでしまった。


 もう大丈夫だという状態になり、久しぶりに学校へ行ってみると、周りの目がやけに重く感じた。自分との間に壁があるような、そんな感覚にも襲われたのだ。

 もちろんクラスメートたちは普通に過ごしていただけなのだが、想乃にはそう感じてしまった。人の見た目から機微を感じ取ることに長けているせいだろう。


 その場にいるのが耐えられなくなった想乃は、その日は保健室で過ごすことにした。

 保健室の先生である伊豆田いずたからは「久しぶりで緊張していたのではないか」と言われた。想乃はたしかにそうかもしれないと思い、次の日も学校には行くことにした。

 だが、次の日になって学校へ来てみると、想乃は昇降口にすら入れなくなっていた。そしてそこから逃げるように家へと帰った。

 そのあとはすぐに担任から連絡があり、保健室登校の提案を受けた。それが今に続く保健室登校の始まりだったのだ。


 このことを想乃の両親は知らない。想乃が担任と伊豆田に言わないでくれと懇願こんがんしたからだ。心配かけたくないというのもあるが、何事もなかったかのように戻るためには必要なことだと判断したのだ。


 半年前から続く保健室登校にも慣れてきてはいるものの、まだ完全に復帰できる状態ではない。たまに行くのが嫌になり、数日の不登校となる。


 過去の想乃と今の想乃を創守はまったく知らない。もし知っていたら、創守も余計なお世話はしなかっただろう。

 想乃はそうとしか思えず、言ってなかったことを後悔しているのだ。


「でももう遅い……もう終わっちゃったから」


 このあと両親が帰ってくるまでに、想乃はシャワーを浴びてすっきりした状態になっておいた。これでバレることはない。



 ——翌日。


 想乃は学校に来ていた。保健室で自習を続けていたが、午後になると気分が悪くなり、帰ることにした。


「衣里さんのペースでいいのよ」


 伊豆田はいつも優しい。その優しさに頼ってばかりではいけないのだが、想乃にはまだ必要だった。


 学校から帰る途中、想乃は新蒲田公園に寄ることにした。もしかしたら創守がいるかもしれない。またあのときみたいにベンチに座っていれば、すんなり声をかけられるかもしれない。そう思ったのだ。


 公園に着いてベンチを遠くから確認する。だが、そこには誰もいなかった。


「やっぱりいないかぁ……」


 想乃はベンチの前まで行き、創守の影が見える場所に座った。

 風が通り抜け、木々のざわめきがかすかに聞こえてくる。小鳥たちのさえずりも一緒になり、自然のハーモニーが作り出された。ここにいると、なぜだか心地よかった。


 そのあと、想乃は創守が来るかもしれないという淡い期待から、二時間ほどベンチでぼーっとしていた。普通に考えれば二時間というのはかなり長い。だが、バイトの思い出に浸っていた想乃にとってはあっという間だった。


 結局、創守は来なかった。想乃は残念に思いながらも、長居は無用ということで家に帰ることにした。


「ちょっとそこのお嬢さん」


 声をかけられたのは立ち上がったときだった。想乃の目の前には、見るからに怪しい格好をした女性がいた。この時代に似つかわしくないマントを羽織はおっている。


「あたしですか?」

「ええ。あなたの運気がとても悪くなっているから、声をかけずにはいられなかったの」

「は、はぁ」


 想乃は変な人にからまれたと思った。だが、それと同時に引っかかることもあった。運気が悪くなっているということだ。

 いま自分が置かれている状況はすべてそのせいだったのでは。そう思うと、気になってしまった。


「わたくし、こういう者です」


 怪しげなその女性は笑いながら名刺を渡してきた。


「占星術師?」

「ええ。星占いって言えばわかるかしら」

「あー」

「少し前からあたなを見ていたのだけれど、運気の部分に影が差すのがはっきりわかったの」

「へー。やっぱりなんか悪いことが起きるんですかね?」

「言いづらいけどそうなるわね。もしかしたらすでに起きてるかもしれないけど」


 想乃は占いは好きなほうだ。信じるも信じないも自分次第というのがしょうに合っているのだろう。

 基本的にはいいことしか信じないようにしていたが、悪いことで当たっている現状を考えると、このまま話を聞いたほうがいいと想乃は思った。


「……どうすればいいですか?」

「あなたがあなたらしくいれば、運気は回復してくるはずよ」

「あたしがあたしらしく……」

「じゃあがんばってね」

「えっ、お金はいいんですか?」

「こちらが勝手にやったことだから気にしないで」

「あ、ありがとうございます」


 突然現れた占星術師はマントをひらりとさせ、そのまま立ち去っていった。


「なんかかっこいい……」



 家に帰った想乃がびっくりしたのは、一時間ちょっと経ったころ——十七時過ぎだった。

 ベッドに寝転びスマホで漫画を読んでいると、突然スマホに着信が入ったのだ。

 想乃は驚いてスマホから手を離してしまい、顔面に落としてしまった。


「いったぁ!」


 着信音が鳴っている間もしばらく悶絶していた想乃だったが、誰なのか確認しなければと、涙目になりながらも画面に目を向けた。


「えっ!?」


 電話をかけてきたのは創守だった。想乃は驚きのあまりそのまま固まってしまった。ただ、もし動けたとしても電話に出る気はなかった。気まずすぎるからだ。


「ツクモン……ごめん」


 スマホに向かって謝る想乃。ロックを解除し、着信履歴を見る。そこにはツクモンという文字があった。今の想乃は、この文字を見るだけでも心が痛んだ。



 そしてその翌日。

 同じ時間帯に創守から二度の連絡があったが、想乃は電話に出ることができなかった。

 一度目は昨日よりも絶妙なタイミングだったからか、スマホを鼻の上に落とすハメになった。折れたんじゃないかと錯覚するくらいの衝撃だったため、そもそも電話には出られなかった。

 二度目があると思わなかった想乃は、再び訪れたチャンスでスマホに手を伸ばしていた。だが、どうしても出ることはできなかった。勇気がなかったのだ。

 想乃は三度目の正直を期待したが、創守からの連絡はそれきりだった。



 そのまま週末になり、想乃は暗黙の了解を思い出した。そもそも今も有効なのかは疑問だが、そうであれば二日間は連絡が来ることはない。

 そしてこのルールは想乃からも連絡はできない。もどかしいと感じつつも、いったん忘れることができそうでよかったと思った。




「うわぁ……こんなときでも降りてくるんだぁ」


 日曜日の夜。想乃の頭にアイデアが降ってきた。

 結局、この二日間は創守を忘れることはできなかった。ずっとあのモジャモジャが頭から離れなかったのだ。そのしつこさはオナモミ以上だった。


 だが、想乃の気持ちに変化が見られた。


「言いたい……。このアイデア、絶対ツクモンに言いたい!」


 明日の夕方、事前連絡なしで事務所のインターホンを押す。

 想乃はそう決心し、ベッドにダイブした。

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