第7話 心と研究所に防壁を

「よし、追ってはこなかったな」


 創守はひと安心して地下にある研究所へと続く階段を下りた。


「あーもう……あの子はいったいなんだったんだ……」


 研究所に入ると同時に不満が漏れる。それに加えて不思議な感覚も味わっていた。

 人見知りの創守が初対面の女子高生と普通に話すことができていたのだ。不思議に思って当然だろう。


 ——ぽとん。


 突然、何かが落ちる音が聞こえた。創守は下を見てみると、そこにはなぜか木の枝がある。


「は?」


(意味がわからない。ここに木の枝があることの説明ができない。僕の体に付いていたとしても、ここまで歩いている間に絶対に落ちるだろ)


 創守は頭がこんがらがり、その気持ちのまま頭に手をやる。


「え?!」


 手に何かが当たった。頭に何かがあるのだ。創守は鏡を見た。


「くっそ……やられた……」


 ここでようやく想乃のおふざけに気がついた。と同時に、帰り道でやけに見られると思ったことに納得がいった。見てきた人の目を思い出すと、顔から火が出そうになる。創守は目立ちたくないのに目立ってしまったのだ。


(最悪だ。まさかこれがあの占星術師が言ってたことだったのか……)


「二度と会いたくないわ」


 創守はイライラしながら頭からすべての枝を抜き取った。数えると八本もある。どう考えてもやりすぎだ。これに気づかなかった自分にも腹が立っている。


「にしてもなんで女子高生があんなところにいたんだよ……。でもあの制服は見たことないから、ここらの高校の子ではないことは確かだよな」


 この近くには東京実業高等学校と東京都立蒲田高等学校がある。少し離れるとまだいくつか学校があるが、さすがに創守はそんなところまで覚えていない。

 もちろん、ふたつの高校の制服も覚えているわけではない。この付近で見たことがあるというだけで、近くの高校のものだと勝手に思い込んでいるのだ。


「どうしよう……わりとあの公園気に入ってたんだけどなぁ」


 またいつ会うかわからない恐怖を感じながら行くようなところではない。かといって、いまさら他の公園に行く気にもならない。


「まぁ、また会ったとしても話さなければいいだけか」


 創守は再会したとしても心を開かないようにしようと思った。

 だがしかし、想乃はかなりしつこい。初対面にもかかわらずあのしつこさを出せるというのは、ある意味神がかっている。まるで納豆のねばねばのようだ。

 創守がいま危ぶんでいるのは、そのしつこさがこの研究所まで影響を及ぼすのではないかということだ。


 このビル自体はそこまで大きくない。オートロックもなければ、自動ドアでさえも存在しない。そもそも地下へと続く階段は外から丸見えだ。ここに入る瞬間を見られでもしたら、すぐにでも突入してくるかもしれない。


(このままだともしものときになんの抵抗もできずに終わるな……)


 創守は考えた。ありとあらゆる対策を。


「よし……まずは防犯カメラだな」


 大きなビルなら外も中もしっかりと設置されている。だが、このビルはせいぜい各階にひとつかふたつ。外側にいたっては設置すらされていない。

 つまり、どんな人間でも簡単に地下に入ることができるのだ。たとえそれが犯罪者だったとしても。


「階段スペースは狭いから、ひとつあれば問題ないか」


 創守はスマホからネット通販のアプリを開いて検索した。


「うーん……これでいいかな」


 選ぶのに時間はかからなかった。カートの中には防犯カメラがひとつだけ入っている。

 これにて外側の対策は終了。もちろんこれだけでは足りない。だが、あまりやりすぎるとオーナーに怒られる可能性がある。

 深い信頼を得ることができれば、あとからどうにでもできる。今は最低限でなんとかやっていくしかないのだ。


「次はそうだな……さすがにインターホンは必要か」


 創守は検索バーに『インターホン 取り付け簡単』と入力し、検索ボタンをタップした。


「へぇ、便利な世の中だなぁ」


 候補に表示された商品の数々は、どれも創守の心を動かした。その中でも特に気になったひとつの詳細ページを開き、さっと確認してカートに入れた。

 これにて玄関対策も終了。怪しい人物が来たとしても、ひと言ふた言で門前払いできる。


「これでとりあえずの対策はできてるよな……よし、購入」


 創守の表情筋がほぐれてきた。まだ注文したばかりだというのに。




 ——それから数日が経って、注文した商品が研究所に届いた。


 驚くことに、今日まで創守は一度も研究所から出なかった。家にも帰らず、宅配サービスで食事を済ませていた。このままでは研究所が自宅兼用となってしまうのも時間の問題だ。


 だが、これには理由があった。勘の鋭い女子高生が近くにいないとも限らない。そう思った創守は心配しすぎて出るに出られなかったのだ。心配性にもほどがある。


「さっさと取り付けるか」


 創守は器用な手先を巧みに動かし、ものの十数分で防犯カメラもインターホンも設置しおわった。さすがの技術力だ。

 これだけの技量があれば発想次第でなんでも作れるというのに、まったく残念な男である。


「ふぅ……終わった終わったー」


 創守は研究所の中を見渡した。がらんどうとまではいかないが、ここまでの空間が本当に必要なのかと疑問に思った。


「いや、待てよ。まだできることがあるぞ」


 このとき創守の頭には、突拍子もないアイデアが浮かんでいた。それは、中に防音壁を取り付けて研究所のサイズを三分の二に変えることだった。

 残りの三分の一は事務所のような見た目にすることで、中に入っても研究所の存在に気づくことはない。ちなみに、研究所への入り口は隠し通路を使うことになる。


 創守はここまでをセットでいきなり思いついたのだ。表情には驚きとともに、勝利の喜びに満ちている。自分で考え出すことができたのだと。


「もしもし——」


 創守は一応オーナーに確認することにした。あとからがみがみ言われるのは面倒だからだ。


「現状復帰ができるならいいですよ」


 オーナーの返事は軽かった。退去するときに元の状態に戻せるなら問題ないというのだ。あくまで戻せるならの話だから、あまり大がかりなことはできない。

 それでも、できることはできるのだ。


「もしもし——」


 創守は続けて業者に電話をした。防音壁を取り付けてくれる業者だ。これは探せばいくらでも出てくるが、情報を漏らさないかついらない詮索せんさくをしてこない。それがいちばん望ましい。

 そんな業者がこの世に存在するとすれば、社会は闇でいっぱいだろう。


「かしこまりました。ではご希望の日程をお伺いします」


 創守が連絡を取ったのは仕事の早さに定評はあるものの、いたって普通の業者だった。変な業者を呼ぶくらいなら、そのほうが安心安全だ。




 ——これまた数日後。


 研究所に呼ばれた業者は、なんと即日で対応してくれた。そこまで大きな空間ではなかったことと、壁をまっすぐに設置するだけでよかったことが、今回のスピード対応といううれしい結果をもたらしたのだ。


「ははっ、これで完璧だ……」


 創守は感動のあまり腰が抜けてしまった。とそのとき、隠し通路がまだだったことに気がついた。


「うわぁ……そうだった」


 すでに崩れ落ちている創守の体が、ドロドロのスライムのようにぐにゃりと床に広がった。


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