馬場城の戦い
「何をやっているのだ!」
北条軍の大将、北条氏邦は馬上でわめいていた。
人取橋で決定的な打撃を受けたはずの佐竹軍を相手にして、自分たちが押されていると言うのだ。
「とは申しましても連中、案外と余裕と準備が出来ておりまして…」
「うるさい、準備も余裕もあるか!」
佐竹義宣が思うよりずっと早く、それこそ義宣が拒否したという返事を持ち込まれてからすぐ北条軍は出兵したはずだった。
だがいざ出て来てみると予想外に敵軍の体制が整っており、義宣が長い間不在であった動揺もない。兵は神速を貴ぶとばかりに突っ込んだ北条軍の兵たちが練度が低いはずの佐竹軍の迎撃の前に次々と後退させられ、逆に押されている。
「やはりあれだな、少しばかり時間を与えすぎたと…」
「宋襄の仁とはよく言ったものだ!但馬守はどうした!」
「城門を開きこちらを迎え入れる体制は整っているようです」
「ああもう、負傷者だけでもそちらに入れるように言っておけ!」
但馬守こと江戸重通は佐竹の家臣であったが人取橋の戦いをきっかけに佐竹を離れ北条寄りとなり、居城の馬場城も北条に開放している。油断ならない男であったのは間違いないが、それでも佐竹の状況を見れば味方したくなくなるのも仕方がないと思っていた。
「ったく、佐竹の小僧はどうした!」
「まだ来ませぬ」
「小僧が来る前に軍勢を叩いておけば重畳であったのだが!もうやめたやめた!退くぞ!」
心底うんざりと言った様子で踵を返す氏邦に続くように、氏邦の重臣たちも西を向き出した。
無傷だったり軽傷だったりした兵は氏邦に従い、一定以上の打撃を受けた兵が馬場城に向けて吸い込まれて行く。
馬場城はかなりの堅城であり大丈夫だとは思いたいし実際江戸重通が出て来てくれた以上大丈夫だとは思うが、それでも正直業腹だった。
「佐竹め!一時の勝利に浸っていろ!」
負け惜しみとしか取れない言葉をわめき散らしながら、馬場城をすり抜けるように氏邦は馬を走らせた。
※※※※※※
「この調子なら馬場城まで行けそうですね」
「あわてるな。馬場城は堅固だ、落とす事など簡単にはできないぞ」
そしてこの勝利は、佐竹勢にとっても予想外だった。
「若君様が苦心している以上、我々が何とかせねばならぬと言う事だ!」
「そうです、若君様のためにも我々が何とかせねばなりませぬな!」
人取橋の戦いによる大損害が義宣の心を蝕んでいる事を知っていた彼らは、義宣のためにもと張り切っていた。
佐竹は鎌倉時代から続く名族ではあるが戦国大名化したのは義重の代からとかなり遅れており、その分義重のカリスマ性も大きくなっていた。嫡子で後継者の義宣にはさらなる期待がかかっており、その義重と義広が失われ義宣の心を折りかけた人取橋の衝撃がある意味佐竹の闘志に火を点けていた。
なればこそ、この事実上の初戦は何があっても勝利せねばならない。させねばならない。それこそが自分たちの役目である。
兵たちは全力で立ち向かおうとしていた。
「とは言え少しばかり」
「何、敵も二年間待ったのだ。それこそ返事に断りを入れればその瞬間攻撃を開始する予定だったのだろう、それこそ兵を組んでな」
「とは言えこの結果がこれでは…」
「何を言うか、あの裏切り者の江戸を倒さねば気が済まぬし面目も経たぬ!馬場城へと突っ込み、包囲せよ!」
だが、あまりにも簡単すぎはしないか。北条の兵がこちらの油断を当て込んでいたとしても、あまりにも平易に崩れすぎているように思える。
それに、そもそもの兵数としてここにいる佐竹軍は二千。北条氏邦軍は江戸軍込みでやっと二五〇〇。いくら佐竹の状態が状態とは言え、攻撃をかけるにしてはあまりにも少ない。
佐竹家はだいたい四十万石前後だから一万の兵を動員可能だが、人取橋で精鋭が消えていた事もあり今ここにいるのは大半がその弟・息子や普段軍役に加わらない零細農民であり、さらに言えば西の佐野への備えもあるため佐竹義宣でさえも動員できる兵はあと三千がいい所である。北条の動員兵力と比べるとあまりにも少なく、これに里見が加わったとしても北条のそれには及ばない。一応上杉には西から足を引っ張るように要請はしているが、あまり相性の良くない存在だけに助けてくれるかわからない。
しかしそんな当然なはずの理屈は今、全く力をもっていない。人取橋の戦いからすっかり自信を失っていた佐竹軍にとって名誉挽回の絶好の機会であり、自尊心を取り戻す最後の好機だった。その好機を逃すまいとばかりに、七珍万宝にも等しい勝利を取りに行く。
その集団を、誰も止めようとする者などいなかった。
そして集団は勢いのまま、馬場城を北から包囲。逃げ遅れた北条の兵たちを次々と殺め、そのまま弓と鉄砲を城へと向けた。
「裏切り者め!」
「その首叩き落してやる!」
何の反応もない馬場城に向かって、佐竹軍は吠えかかった。その間にも体制を整え、今か今かと馬場城突入の時を待ちわびる兵たちの目に、敗北の二文字は映っていない。
「耐えろ!耐えれば敵軍は後退するぞ!」
ようやく江戸重通が出て来て激励の声を飛ばすが、そんな物が何になるかとばかりに佐竹軍は突っ込む。全体で五百、無傷の兵となると四百もいない以上これ以上もたつく事もないとばかりに一気呵成に攻めかかるその姿は、完全に勝軍の姿だった。
※※※※※※
「お疲れですか」
「まあな。しかし止まっている暇はない」
佐竹軍が馬場城に迫るその間、新しい馬に乗っていた男は竹筒の中身を飲み干し焼き米を喰らっていた。汗だくではあるが疲労の色はなく、まだまだだと言わんばかりに肩を回している。
「北条の兵の数を忘れてしまったような連中にはお仕置きが必要だな」
「お仕置きと言うのはしつけのためにするのでしょう。死んだらお仕置きも何もないかと思いますが」
「お前は休んでいろ。馬場城の兵たちをわしは助けに行って来るからな」
北条氏邦のその声と共に、また別の部隊が飛び出した。
その数は、五千。
いくら佐竹を舐めていると言っても二千などで来るわけがないだろうとか言うごもっともな考えの通りの数だった。
「しかし合わせてこれだけの数の兵を持ち込んだとわからぬ物ですかね」
「里見も今回ばかりは役に立つ。下総にいくら兵を置いたとしても里見か佐竹かわかりにくからな。今回は里見を狙ったと思ったのではないか、自分たちがあんな状態なのに」
確かに強い方と弱い方がある中強い方を攻めるのはあまり得策ではないように思える。だが強い方を叩いて黙らせれば弱い方は勝手に服属するしかなくなり、結果的に戦の手間を省ける。
(戦は手段であって目的ではない…)
そう内心嘯く氏邦の顔に、疲労の文字はなかった。
そして。思惑通り馬場城を攻めていた佐竹軍と遭遇した。
「さあ行くぞ!」
打ち合わせ通りだと言わんばかりに、氏邦は声を上げる。
四十歳と若くはないがそれほど老けてもいない、今が男盛りだと言う年齢である氏邦の声は響き渡り、兵たちに力を与える。
「そんな!もう戻って来たのか!」
「まずい!」
「馬鹿めが!」
佐竹軍の動揺を嗤うかのように、氏邦の威を受けた兵たちが突っ込んで行く。当然ながら疲弊しておらず、猪突猛進して来た佐竹軍とは体力も違えば練度も違う。
と言うか下手に攻めこんでいて三の丸を落としかかっていた佐竹軍は身動きが取りにくくなっており、北条軍に対応できる兵はかなり少なくなっていた。その兵たちが必死に北条軍を止めた所でどれだけの兵が馬場城から逃げ出して逃げ切れるのか。
「よし間に合った!ここからが本番だ!」
当然ながら馬場城の将兵とも示し合わせており、江戸重通も声を張り上げ将兵に奮起を促す。少しばかり休憩して少しは傷がふさがった兵もここぞとばかりに猪突猛進した佐竹軍に襲い掛かり、ついさっき出た数倍の犠牲をもたらさんとする。
「佐竹の小僧め、今頃になりようやく出兵の準備を整えておろうな!全てが終わってからでは遅いと言うに!」
北条氏邦は、勝ちを確信していた。
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