本多忠勝の死闘

「あの霊武者です!」


 あの霊武者。


 井伊直政が負かしたとか言っても、所詮は舌先三寸での結果に過ぎない存在。

 しかも仮にとは宴席のためまともな得物もない。


「誰か!」

「それがしが止めまする!」


 その声に反応するように羽織袴のままの本多忠勝が適当な数打を持って飛び出して行った。付き従うように数名の兵が得物を持ちながら忠勝に付き従うが、当然彼らも甲冑など着ていないし得物も手元にある分しかない。


「狙いは」

「おそらく殿…!」

「いかん!」


 この中で一番年嵩の大久保忠世の言葉が、全てを物語っている。


 家康と言う主人自体が愛おしいのもさる事ながら、今ここで家康が死んだら徳川家は瓦解する。それこそ於義丸を立てた豊臣に完全に取り込まれるか、あるいは北条や真田の草刈り場になってしまうかのどちらかになる。一応酒井家次と言う二十四歳の家康の従弟は居るが、家康の子がいるのにそんな存在を立てる理由はない。

 忠世の言葉の真偽とかはともかく、まずは家康だけは守らねばならないと言うのがこの場にいた人間の統一見解だった。




 果たして。


「やらせはせんぞ!」


 家康の下に駆け付けた徳川の重臣たちが見た物は、紛れもなくその霊武者が本多忠勝に斬りかかる姿だった。

 井伊直政と対峙したのと同じように、刀を激しく振っている。


 あまりにも速い。幸いと言うべきか一本だけだが、それでも並みの武士ならばすぐさま首と胴体が永遠に縁切りを強いられそうなほどの速さだった。

 忠勝はその攻撃を受け止め続ける。次々と仲間たちが来るのに気付く事もなく、ただただ自分の果たすべき役割を果たさんとする。



「ジャマ…!」 

「悪いが邪魔をさせてもらう!」

「ヨウ…ナシ!」



 霊武者も忠勝を退けようとしながら、吠える。


 邪魔をするな、お前に用はない。


 では誰に用があるのか。

 家康と言う単語を呑み込みながら、さっきの話を思い出す。


「我が主君を、いや、武田をなぜ憎む?」

「タケダ…」

「武田に連なる者を許さなんだ理由、この本多平八郎に聞かせてくれ!」


 直政が言っていた、武田家に連なる存在に対する悪意。

 その根源がどこにあるのか、もしかしたらその答えが徳川を狙う理由に通ずるかもしれない。


「ウラギリ…」

「武田は貴公を裏切ったと申されるのか!その経緯をどうか頼む!」

「…!」


 また出た、裏切りと言う言葉。

 反復常なきが世の習いである以上、武田とて何かをやって来たのだろう。

 

 と言うか上杉謙信とあれだけ争ったのに長篠の後はむしろ手を組み、あの武田征伐の際にも上杉は最後まで武田を守ろうとした。柴田勝家が越中から攻撃し上杉景虎の一件で不仲になっていた北条も武田攻撃に加わったせいで勝頼や仁科盛信を救う事は出来なかったが、それでも勝頼の弟の安田信清を救う事は出来た。それは武田勝頼が遺した数少ないまともな成果であり、反復常なきゆえの救いの手だった。無論それはもう武田に立ち上がる力がないと言う意味でもあるが、根絶させられるよりはましなのも事実だった。


「南部とてそこまでの事をしたのかもしれぬが何もそこまでするとは」

「ナンブッ……!!」


 それでも南部氏のようにとか言い出そうとすると、これまで以上に霊武者の得物の速さが増した。しまったと言う言葉を呑み込みながら忠勝は得物を振るが、それでも度重なる打ち合いにより数打に過ぎない刀は刃こぼれが目立ち始めた。

「まずい…!」

 

 そう忠世が言うと同時に、霊武者の懐から二本の刀が飛び出す。あの時と同じように飛び掛かった刀は忠世たちを取り囲み、干渉を絶対に許すまいと輝く。

「このままでは!」

「だが落ち着け!かの武者の刃もさほど良い有様ではない!」


 霊武者の振る刃もまた、それほど業物でもなかった。忠勝が今使っているのと同じ数打であり、相討ちのように共に折れる可能性も十分ある。とは言えまだ少なくとも二本を残している以上、このままではどう考えても忠勝が不利。

 ならば!



「皆弾け!命など惜しむでない!」

「おお!」


 そっちがどうしても干渉を許さぬと言うのであれば、こっちはどうしても抜く。一人でも多くの味方が加わるために、いやもう一本でも忠勝に得物を渡すために。


「下がれ!」

「この!」

「動くな!」


 宙を軽やかに舞う刀剣に対し、大久保兄弟や鳥居元忠が斬りかかる。叩き落されても叩き落されてもまとわりつく刀剣を必死に振り払い、その隙間を付くように井伊直政が忠勝に近づく。

「ナゼ…?」

「全てはただ、主のため!」

「アル、ジ…!」

 命などいまさら惜しむ気もない。自分たちを守ってくれる主人のために。いや、守らねばならぬ存在のために。


「カンケイ…ナシ!」


 霊武者は苦しげに唸る。



「敵がいくら増えようが関係ない」ではない。


「お前たちには関係ないのに」だ。


 いったい何を求めているのか。

 武田武田と言ってみたが、こんな場所に武田などいない。いるとすれば越後の安田信清か、さもなくば武田と言う名を背負っただけの万千代丸なる童子一人だけ。その万千代丸の母も武田ではあるが遠縁もいいとこであり、それを殺めて一体何の得になるのか。


「ウラギリハ…ユルサヌ!」


 裏切り。何度目かになるかわからない言葉。


 よほど信頼されていた存在から、よほど手ひどく裏切られたとしか思えない。

 信頼が厚ければ厚いだけ、その悲しみと無念は大きくなる。明智光秀を相当に寵愛していたつもりであった織田信長とて、その無念はいくばくかわからない。信長が蘇って明智光秀の一族を殺めようとしても不思議ではないと言う次第だ。


「答えよ、否答えて欲しい!なぜ、なぜ、ここに!」

「アガメル、ナッ……!アアアア…!」


 崇めるなと言う言葉と共に、振り下ろされる刃。



 その一撃を正面から受けた忠勝は、その結末を見届ける事となった。



 二本の刀が、同時に死んだ。と言うか折れた。

 その隙を突くかのように忠勝は折れた刀を投げ付け、霊武者も折れた刀で受ける中右手を伸ばす。


「ありがたや万千代!」


 二本目の刀を直政から受け取り、早速差し向ける。

 さあ次の戦いだぞと肩で息をしながらも気合は落ちない所を見せ付け、さらにその直政を守るように大久保兄弟も迫る。


「グググ…!」

「教えてもらいたい、なぜ、ここにいる?一体誰に裏切られたのだ?できる限りのことはする!」


 忠勝はなお、話をやめない。


 彼は苦しんでいる。何かを求めている。


 何を求めているのか。


 崇めるな。要するに、自分が誰かを尊敬しているのが気に入らないのか。


 いや、自分ではない。家康が。


「我が主君が何をした!」

「アガメルナ…!」

「何をなのか、何を崇めるなと言うのか!」

「ライ、チョウ……!!」


 いつの間にか宙を舞っていた刀は手元に戻り、両手に一本ずつ持って忠勝と直政に斬りかかる。

 ライチョウと言う言葉と共に振り下ろされた刃の鋭さは全く変わらない。だが重みは増し、忠勝の手に打撃を与える。疲労のない直政は素早く切り返すが、霊武者の刃は鈍らない。


「ライチョウ、アガメルナ…!」

「ライチョウとは何なのだ!教えてくれ、どうか頼む!」

「シラヌ…?シラズニ…!?ノベロ、ト…!?」

「それがしはただ、主のためにここにいる!なぜ、なぜ我が主君を責める!?何の落ち度がある!?どうか、どうかこの身を引き裂かれようとも構わぬ故教えてもらいたい!」


 だがそれでも、ライチョウの意味が分からない忠勝に、霊武者は動揺していた。



 その動揺に呼応するように、刃が鈍る。

「アアッ!」

 高く飛び上がり刃を叩きつけようとするが、大久保兄弟たちが見たそれよりもずっと低く迫力はない。

 うめいていると言うより、嘆いている。悲しんでいる。

 しかも飛び上がった軌道も素直であり、ただ体重を乗っけるためでしかない。


 そのためか、二人ともあっさりと攻撃を受け止められた。



 と言うか、重量がない。



 山道や坂から丸太や岩を転がして妨害できるのは高さや速さがあるからであり、それ以上に落とそうと言う力があるからである。


 だがこの刃には重量も何もなく、ただ刀が振って来ているだけに過ぎない。もちろん高い所から落ちて来ただけの恐ろしさはあったが、それまでだった。



「どうした!」

「ウウ…ナゼニ、ナゼニ…!ヨイカ、オンヲ、アダデ、カエ、ス、ナ…………!ライチョウ、メッ……!!」


 

 三度目となるライチョウと言う言葉と共に、霊武者は刀を捨てて走り去った。

 



「やったか…」

「お館様は!」

「無事です!」


 ようやく凌ぎ切った。そして、再び追い払った。



「これで小平太殿の無念も少しは晴れたでしょうか…」

「小平太、か…………」


 家康と長丸の無事を確認するや、別の名前が思い浮かぶ。


 小平太こと、榊原康政。上田にてあの霊武者に斬られた男。



 なぜ、斬られねばならなかったのか。

 大久保忠世以下多くの将兵が見逃されたのに、なぜ斬られねばならなかったのか。


「小平太の旗は国千代殿が今も受け継いでおるが…まだ八つでありそれこそあと十年はかかる…」

「榊原源氏車の旗が再び戦場に翻り、徳川を導く日は来るのであろうか…」

 康政と同い年の忠勝の子の忠政は十三歳とは言え既に元服している事からしても実に心もとない年齢であり、正直忠勝も大久保彦左衛門も不安でしょうがなかった。



 その不安と疲労感の中で、井伊直政だけが口を半開きにしていた。


 そこには不安も疲労感もなく、思案とひらめきだけがあった。




 そしてそのひらめきのまま、かつての寵童は主人の下に駆け出した。

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