蘆名政道の誕生へ向けて

「さて、深刻な話をするぞ」

「からかわないで下さい!」



 十一月二十一日。

 

 勝利の宴から一日後の朝、伊達政宗は陽気に小十郎に話しかける。


 すっかり酔いも覚めた小十郎が昨日の事を忘れようとしている中、上座に座った政宗の側に控えるのは、なぜか輝宗だけではなかった。


「母君様…」

「小十郎。昨日は済まなんだ。その方のような地に足のついた人間の存在は実にありがたい。だが皆が浮かれている時に引き締まった所を見せるのはうぬぼれに類するぞ。深刻な顔をすべき時に深刻な顔をすればいい」

「はい…」

「とにかくそなたは武将で良かった。神主だったら御神酒も頼めそうにないからのう…」


 なぜかもう二十歳近い息子の側に母がおり、小十郎を的確に責めて来る。

 世の流れに惑わされず自分を持つと言えば格好いいが、ともすればそれは和を乱すだけと言う事にもなる。命がけの戦を終えたのになお三日間も戦場にいさせられた兵の事を思えば、少しぐらい気を抜いても罰は当たらない。

 その上で酒癖が悪いと冗談交じりに言う義姫の顔は、実に陽気だった。


「母上、話は済みましたか」

「済みました。では始めなさい」


 母にきっちり確認を取り、政宗は家臣たちに向けて議の始まりだとばかりに扇子を差し出す。



「さて知っての通り、全くの僥倖により我々は勝利した。その流れに伴い、二本松城も開城させ城兵たちは武装解除させた。

 これは全く諸君らの働きによるものでありこの伊達政宗、改めて礼を申すものである

 そしてやはり知っての通り、人取橋の戦いに参加した連合軍諸侯の内岩城家は既に服属を要請しており、石川軍も壊滅状態である。これもまた諸君らの働きによるそれである」

「ははっ…」


 決して浮かれ上がる事なく、冷静に諸将の功を称える。

 もっとも三日前にも同じ事をやっているから今更ではあるが、それでも落ち着いた場でやると言う事はまた別の意味を持つ。これがお前の見たかったわしであろうと言いたげに得意そうにする政宗に対し、小十郎も内心ため息を吐く事しかできなかった。



「で、だ。

 大事なことなのでもう一度言うが承知の通り、我が伊達に挑みかかった連合軍は大打撃を受けている。岩城軍については既に投降を受諾する事となっており、石川家もまたしかりだ。

 また佐竹家も当主の義重、次男の義広とその養父である白川義親を失いこちらに干渉できる力はおそらく残っていない。佐竹は長男の義宣が継ぐ事になるだろうがどうも元より義宣はこの出兵にあまり積極的でなかったようで、そういう意味でも気にする事はなくなる。

 と言う事は、だ。

 残るは蘆名と二階堂と言う事だ」

「しかし二階堂は元より少数ですが」

「二階堂の実権を握っているのは阿南姫、知っての通り我が父の姉上だ。その阿南姫様がかなり積極的でな、此度も人取橋に出兵しようとして家臣に必死に止められたと聞いている」


 阿南姫は現在、須賀川城の城主である。この時代女性が城主になる事は相当に珍しく、そういう面からしても一筋縄ではいかぬ事は明白だった。何より二階堂軍は人取橋の戦いでほぼ唯一かすり傷で帰って来た軍勢であり、その事も相対的にながら武名を上げていた。

「姉上は元より真面目で良き女子であったからな……伊達以上に二階堂の人間として、最後までその立ち位置で戦おうとするだろう……ましてや彦の事もあるからな……」

 輝宗がつぶやいた通り、二階堂にいるのは阿南姫だけではない。

 蘆名の嫡男盛興を経て盛隆の妻となった彦姫は輝宗の妹であり、蘆名亀王丸の母である。

 彦姫自身は蘆名の人間だが、蘆名盛隆が二階堂盛義の息子である事からしても彼女に二階堂を守らない選択肢はない。



「と言う訳でだ、わしは蘆名を叩いて行くべきだと考えておる」



 その上で、政宗は蘆名攻撃を提案した。


 どう考えても、明らかに大きい方をだ。


「蘆名を叩くと申されますと」

「二階堂は正直、奇跡のような存在だ。ギリギリの所を必死に保っている。それを崩すにはあの童子ぐらいの奇跡がもう一発起きないとかなりの時間がかかる」

「奇跡ですか」

「ああ奇跡だ。奇跡を倒すには奇跡をもってするしかない」

「それは…」

「だが蘆名はいい。あの執権が北条時政並みにやってくれたからな」


 小十郎をやり込めた上で、政宗は思わぬ名前を繰り出す。


「北条時政?」

「ああ。北条時政と同じように晩節を汚してくれた。まったく、最後の最後にいい事をしてくれたものよ」



 政宗は笑う。


 

 北条時政が源頼朝の義父として頼朝を支え鎌倉幕府を作り上げた大功績者である事は論を待たないが、同時に晩節を汚してしまったのもまたしかりだった。

 執権の座を息子の義時に譲り余生を過ごすはずだった時政だったが、後妻の牧の方に押され平賀朝雅を将軍にしようとした結果息子の義時と娘の政子に放逐され、天下人同然であった身分からただの隠居爺に成り下がってしまった。その後時代は完全に義時のそれになり、時政は最高権力者であったにも関わらずひっそりとこの世を去る事しかできなかった。


 そして盛備は時政と違い女に溺れなかったが、勝利と忠義心に溺れた。


 自分たち蘆名の手で伊達を破らねばならぬと思い、自分たちが一番有利になるだろうこの時に戦を仕掛けたのは、確かに正しかった。

 だがそのために三方から囲まれても知った事かと言わんばかりの突進を続けるその有様は猪武者と言う単語の擬人化であり、同じぐらい無理心中と言う単語の擬人化でもあった。


 人取橋の戦いにおける蘆名軍二千の犠牲の内、伊達が討ち取ったのは千人前後であり、残る千人の内八百人以上が逃亡と言うか離散し、残る二百人は強引極まる進軍のせいで転倒、そのまま人や馬に足蹴にされての圧死である。

 首が飛ぶよりも悲惨な死に方であり、遺体を回収した兵たちも顔をしかめていた。


「逃げると言う言葉を頭から失ってしまったせいで、勝ったとしても恨みを買って当然だろう。それが負けてしまった上に、友軍の死の報告を戯言だと切り捨てまくり撤退の機会を失ってしまった。そんな人間を誰が慕うと思う?」

「……」

「無論わしとてああでなかった訳でもない。だが盛備にとっては自分に反する存在は全て敵だったのだろう。伊達は無論佐竹のみならず蘆名以外の全ての連中が敵であり、その全てを飲み込まねばならなかったのやもしれぬ。哀れな事よな、栄光の代わりに罪を独り占めしているような有様らしい」



 盛備はどうやら、全ての敗戦の責任を死人に口なしでおっかぶせられそうになっているらしい。

 蘆名軍を全軍突っ込んで伊達と無理心中を図ったとか、後の軍勢は全部蘆名の保険に過ぎなかったとか、二本松城も奪い取って蘆名の一族を据える気だったとか、根も葉もないならともかくありそうな噂さえも蔓延し、盛備の信頼は急降下していた。ひどいのになると謎の童子の存在をわざと黙っていた上で邪魔になりそうな諸侯や佐竹をも攻撃させ一人勝ちを狙っていたとか言うのもある。これはさすがに伊達が流した噂だが、それでも蘆名が謎の童子に狙われなかったのは事実であり、それなりの説得力を帯びてしまっていた。


 当然金上盛備の息子の盛実の地位は急速に低下し、蘆名家での実権を握る事はおろか家内にいられるかどうかすら怪しくなるかもしれない。



「そこで、だ。今こそ小次郎を押し込むべきであると思うのだが」

「亀王丸を無視するなど乱暴ではありませんか」

「亀王丸ですか?あれは二階堂の子です。と言うか我が祖父の晴宗の一族でもある以上、伊達の血族とも言えます。何なら小次郎でも十分蘆名の一族です。と言うか、落ち着くべく所に落ち着くと言うだけではないですか」


 三歳児の蘆名亀王丸を一番ごり押ししていたのは生母の彦姫を除けば、金上盛備だった。その盛備が名前をどん底まで落としている以上、亀王丸の名前も落ちている。

 前蘆名当主の息子とは言え蘆名直系ではない亀王丸は結局力が弱く、それこそ蘆名家が安定するなら誰でもいいと言うのも現実だった。


「ずいぶんと遠回りをしたものですな」

「急がば回れですよ」

 今になってみると事前にこの話を通されていたからこそ来たのだと言わんばかりに義姫は苦言を呈すると言うより苦笑を浮かべる様子であり、伊達の人間ではなく政宗と小次郎の母親としての彼女の笑顔にぎこちなさはなかった。


「兄上のお望みのままに…」


 小次郎こと伊達政道は、深く頭を下げる。

 元からその方向だった輝宗と小次郎本人、さらに母上までその調子である以上家臣たちに反対する理由はない。



 無論今すぐとは行かないにせよ、冬には冬なりの戦がある。



 これもまた戦の一環である事を、この場にいる誰もがわかっていた。








「で、だ。あの童子はどうした」

「どうやら米沢を通り過ぎ、さらに北に向かったと言う話が入っております」

「佐竹義重の愛馬はすごいな」


 そして議が終結しかかった所で、政宗が楽しそうに話を振る。

 やはり、その話をしたくてしょうがないのだろう。義姫は半ば諦めていると言うか飲み込んでいるが小十郎はまだ不満そうだったが、実際影響力を考えないとしない訳にも行かない。


 もっともそれ以上の情報は誰にもなく、益体もない言葉と共に平和に話は終わったのだが。

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