佐竹義宣は鹿島神宮にすがる
「正体は」
「わかる訳がないだろうが!」
政宗たちがのほほんと米沢で座を囲んでいる頃、常陸の国では世界の終わりが来たかのように大騒ぎになっていた。
佐竹義重と白川義広の死までは最悪中の最悪ながら想定の範囲内だったが、その展開が最悪の上を飛び越えた最悪だった。
三歳児がいきなり刀を持って襲い掛かり、佐竹軍の勇士たちを次々と斬り伏せた。
それこそ牛刀をもって鶏を割くと言われても知った事かいとばかりに矢玉を撃ち込んだが当たらず、いや当たったのに傷一つ負わなかった。
そしてその勢いのまま佐竹の当主と次男坊を斬り、それ以上に将兵の心を膾切りにした。
人取橋の戦いから生還した佐竹軍の将兵五千の内およそ千人が、戦意を全く喪失し兵として再起不能になっている。千人の口は倍々になって広がり、佐竹軍全部をあっと言う間に恐怖に包み込む。
まともな兵でも北条にはいないぞと言う言い方しかできず、それこそ伊達とはもう戦えないと言う事を逆説的にではあるがいかんなく示してしまっている。
「では何だ、五千人全部が幻覚を見たとでも言うのか!」
「そんなことは言わないが…」
「じゃあどう説明する!」
「説明できるわけがないだろうが!」
———否定しても否定しても、何千の単位の口から吐き出される言葉が説得力を増強して行く。
そんな存在を相手にして、どう勝てと言うのか。
将も兵も日がな一日騒ぎ立て、中には佐竹の終わりだと泣き叫ぶ人間もいる。もし彼らが酒宴の際の片倉小十郎を見ていたら、嫌味にもほどがあるとその頭をかち割ろうとしていただろう。
もっともこれは佐竹に限らず、あの人取橋の戦いに参加した軍勢の平均的な有様だった。
とっとと伊達に投降した岩城軍はまだしも壊滅状態に陥った石川軍も生き延びた兵たちにより惨状が事細かに話され、蘆名軍もまた恐怖の最中にあった。元から佐竹の付属勢力であった白川軍は言うまでもない。
二階堂だけはまだまともだが、それでも伊達とは元々の力が違い過ぎる。これから冬でありあの死闘でまだ力がないから戦いにならないだけであり、その気になれば文字通りの鎧袖一触だろう。
「北条だ!北条めがやったのだ!」
「そうか、北条か!北条かぁ!」
「おのれぇ!」
そんな佐竹がある意味すがれるのは、北条しかなかった。
北条と言う仇敵により領国を追われた存在が多くいる佐竹からしてみれば、北条は最も使い勝手のいい標的だった。
殿様を置き去りにして、家臣たちは勝手に立ち直って行く。
ある意味理想の展開ではあった。
※※※※※※
一方で佐竹義宣もまた、別の場所にすがっていた。
「初七日は…」
「まだ五日しか経っておらん!」
血走った目のまま、正座して頭を下げまくる。
父の死により家督相続を余儀なくされる事となった十六歳の青年は、その気配だけならこの場所で生まれた刀の神とでも言うべき存在さえも凌駕していたかもしれない。
「これまで粗略にして来た事についてはいくらでも詫びる、いや詫びさせてくれ。父たちの罪、いや先祖全ての罪を背負うつもりでいる!」
本来静粛かつ厳正なる空気が漂ってしかるべき場所で鳴り響く大声は、そのまんま義宣本人の魂の叫びであり救いを求める言葉だった。
義宣本人は、実はあの童子を見ていない。だがそれでも父親と弟の首と馬を奪った存在のあるがままを聞かされ、その上であの戦いで浴びてしまった空気に包まれた彼はもはや名家の御曹司ではなくなっていた。
「熱心な事を悪いとは言いませぬ。しかし戦後処理の方は」
「終わっていなければ来ぬ!」
「我々は貴公を粗略には致しませぬ。ですが」
「わかっている!付け焼き刃である事は先刻承知!その事については!」
義宣自ら、安直な事だけを詫びていた。それ以外はどうとでもいいと言わんばかりと言えば非常に体裁は悪いが、そんな事を突っ込める人間はここにはいない。
鹿島神宮は、今佐竹義宣に占拠されていると言っても差し支えなかった。
人取橋から生還した義宣は本城に戻る事なく鹿島神宮に入り、それからずっと上杉謙信にでもなったかのように神殿に籠って祈り出した。
敗残兵を連れ込んでの乱入とでも言うべきそれに神宮の関係者は色めき立ったが、義宣自らが土下座して来たせいで武装解除を条件に入宮を認めるしかなくなった。
そしてそれからと言う物、義宣はまるでこの宮に生まれて育った敬虔な徒のように祈りを捧げていた。
「お食事は…」
「ありがたい…」
威圧的と言うより、ただひたすらにすがり付いている。
それこそ、何でもいいからすがれるのであればすがりたい。
そんな義宣の本音を感じ取った宮子たちは、義宣に親切だった。
初日にあれだけおびえていた宮子たちも二日で警戒はほぐれ、三日目で丸二日ほとんど寝食を取っていない義宣に次代神主のような待遇をし、五日目の今ではほとんど賓客扱いだった。
まるで三日間何も食べていなかったおとといと同じように出された食事にかぶりつくその姿に浅ましいとか卑しいとか言えるような人間など、ここにはいない。仮にも武家の長となる事を運命づけられて来た人間が弱ってしまっている現実を前にして冷たくする事など誰もできない。
目こそ血走っているが体重は減り、頬はこけ呼吸も荒い。
と言うかそうしていないと今すぐ死んでしまいそうなほどに受けた衝撃が何なのか、実はまだ誰も聞いていなかった。
「佐竹殿ですか」
その佐竹義宣の前に現れた、純白の着物に赤い袴を穿いた白い髪の女性。
この鹿島神宮の物忌———————巫女頭とでも言うべき存在が、ゆっくりと救いを求めて来た哀れな子羊の前に歩み寄って来たのだ。
「物忌様!」
「そうかしこまらずとも結構です。元より武士、剣に生きる者は悲しみを背負う物。そう卜伝様も申しておりました」
「そうですか…私も仮にも武家の長として、命が失われ、また自らの手で人を骸に変える所を見て来たつもりでした。しかし、あれはまったく想像もできない事件でした………………」
義宣はこれまで以上に頭を下げる。それこそ一番対面したかった人間であり、悩みを解決する筋道を教えてくれるかもしれない人間の到来はそれこそ悲願と言うべきそれでしかなかった。
「私は戦の事は知りません。しかしそれでも、戦場で何が起きたか知り、その上で言葉を交わす事はできます。
いったい何が起きたのか、話してください」
「はい…」
他の巫女たちと同じく義宣に優しかった物忌にすがるように、座を組んだまま義宣は話し出した。
時につっかえ、時に早口になり聞こえませぬと言われてしゃべる速度を落とし、その上で急に泣きじゃくりなぜこうなったと訴える姿は、義重や母である宝寿院ですら見た事のないそれだった。
「なるほど、三つほどの童子が…」
「ええ…父や味方たちを次々に屠り、そしてこちらがいくら殺めようとしてもまったく当たらず……」
そしてここに来てようやく、鹿島神宮の人間に童子の事を話した。
理屈では解決できない話だからこんな所で持ち込んで来たのかと叱責されるのは覚悟の上であり、感情が整理できなくとも覚悟だけは出来ていた。ましてやこんな血生臭い話をするなど。
義宣は閻魔大王にでも対面したような気持ちで、全てを吐き出した。
「……それもまた幻にして現なり」
「幻?」
全てを聞き終わった物忌は目を閉じ、これまでと違う口調と空気で義宣を見下ろし言葉をゆったりと紡ぎ出す。
「刀剣に御霊宿りし事は珍しからず。されど我が身立てに因れば、此度はまたそれとも違う」
「はて…」
「かつて、無念のまま死んだ御霊が、何らかの故あってこの世に舞い戻った」
「教えてください、佐竹だからなのですか!」
「その御霊がなぜ佐竹殿を憎むかは未だわからぬ。されど、その御霊は今たまたまその剣に宿りしのみであり、いずれは宿主を変える事は必定」
「では……!」
そして、あまりにも絶望的な言葉。
使い捨てられたり多くの命を奪った刀剣に御霊が宿るのは珍しくないのは義宣でも知っていたが、その可能性も否定された。さらに、その御霊が決してこれっきりと言う訳ではないと言う、それ以上に厳しい言葉。
「……報いなされ」
「何をですか!」
「御恩と奉公です。恩ある者に賞を与え、決してその事におごってはなりません。それは神と巫女でも、武士でも同じ事なのです」
絶望的な顔をしただろう義宣に対し、元の表情と言葉に戻った物忌はゆっくりと喋りかける。
「……原点回帰、ですか」
「そうとも言えます。
言っておきますが私とて、ただこの神宮に籠っていた訳でもありません。あなたを慕う者たちから、ある程度のあらましは聞いたつもりです。彼らの言葉と、神のおぼしめし。その両方を足した結果、こうなったのです」
「誠にありがたいお言葉、深く感謝申し上げます!」
義宣の体が跳ね上がり、その反動のように深々と頭を下げた。
ここ数日の、いやそれ以上前からわだかまっていた全てを吐き出したかのように体が軽くなって行く。
問題の完全な解決でない事はわかっていたが、それでも問題を理解してくれた人がいた事、そして問題について答えをくれた存在がいた事は誠にありがたかった。
「俗人の行いではありますが、今後は鹿島神宮を決して粗略にせぬと誓います!」
「ありがたきお言葉ですが、大丈夫ですか」
「やります!」
元気を取り戻した義宣は物忌の手を握り、何度も頭を下げる。
実際、他に誰も何もできなかったかもしれない。
佐竹義重にも、義宣と同名の先祖にも。
鎌倉幕府時代から続く名家、佐竹氏の一大事を。
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