真田昌幸は神の正体を推察する

「伊達が完勝…と言うか佐竹が惨敗…」

「間違いございません」


 十一月二十三日。


 奥州がまだ晩秋なのに、かなり白くなっていた信州上田城の真田昌幸が人取橋の戦の情報を掴んでいた。

 旧暦十一月と言えば新暦十二月であり、それこそ年末年始と言うか初冬である。本来ならば奥州だってこうなる物であり、本年の奥州が暖冬であっただけかもしれない。

 無論、それ以上の理由で今年の奥州は冷えていたのだが。



「上田で起きたような事が奥州でも起きていたと」

「らしいな。だが三十路の男ではなく、三つの童子らしいが」

「そうですか……」

 信幸はまだ、上田でのあの青年の暴れっぷりが信じられなかった。

 まるで戦とは強き者がいればすべて解決するのだと言わんばかりに、こちらの策も奮闘も半ば踏みにじり、徳川軍の尊厳をまるっきり踏みにじった存在を。矢沢軍による奇襲も水攻めも決定打にならず、あの一人で全ていい所を持って行かれてしまった。

 これでは真田の強さを示しきれない—————そう信幸は不満をこぼしていた。


「とにかくだ。佐竹義重と言う重石がいなくなった以上、来年から北条は相当に張り切るだろう。それこそ関東圏を全て我が物にせんとするかもしれぬ」

「となれば上州も」

「上州に踏み込めばどうなるか、それがわからぬ氏政でもあるまい。とりあえず取りやすい方から取るのは世の習いであり、あの北条と言う御家の習性よ」

 

 昌幸は冷静だった。


 北条は川越夜戦に勝利した後は大軍で小軍を叩いたり小田原城と言う無双の要害に頼ったりと大を持って小を討つ戦いに慣れており、今回もその性に逆らう事は出来ないと踏んでいた。

 どう考えても弱り切っている佐竹を討つのが自然であり、上州などに手を出す暇はないと言うのが昌幸の判断だ。だが無論佐竹が済んだらと言う危惧はあるが、その場合でも次の標的は安房の里見だと昌幸は見ている。

 実際問題、真田に手を出すのはあまりいい筋ではない。何せ山深い信州では米も満足に取れず、石高は知れている。その上に真田が強兵な事がこの戦いで伝わっており、さらに此度上杉がやって来たとある。

 佐竹は上杉とあまり仲が良くなく、もちろん伊達とはそれ以上に悪いし蘆名にも佐竹を援護する余裕はない。その上に領国も肥沃と来れば答えは明らかなはずだ。


「問題は伊達がどうするかです」

「伊達は雪がなくなるまではわしらと同じくじっと構えるしかないだろう。問題はその間に蘆名がどれだけ立ち直るかだ」

「蘆名はまだ余力があると思います」

「器だけはな。ただ元から二階堂と言う別の家から当主を押し込んでやっと持たせているような家だ。しかも今の殿様は二歳と来ている。よほどの忠臣かつ名臣が居なければ空中分解は必至だろう。金上盛備とか言う男は、残念ながら名臣ではなかったようだな」

 金上盛備が猪突猛進とでも言うべきやり方を振りかざし伊達軍を粉砕しようと聞いた時、昌幸は鼻で笑った。

 伊達輝宗が出ていない以上、どう考えても「伊達の粉砕」など不可能だ。それなのにとんでもない大勝利と言う名の蘆名の名声だけを追い、あんな無理心中そのものの真似をするなどいい年してとしか言いようがない。その挙句その名声のために二歳児を戦場に連れ込むなどまったく愚の骨頂だ。


「では蘆名はほどなくして」

「だろうな。蘆名を救うとすれば上杉か最上だが、最上は伊達との関係を優先する可能性が高い。せいぜい伊達が過度に肥大化せぬようにくぎを刺すのが精いっぱいじゃろうな。上杉は性格からして本気で来るかもしれんが、それをやった所で蘆名は上杉に頭が上がらなくなる。この真田と同じように上杉の配下となるだろう。無論蘆名がそれでいいならそうなるだろうが、上杉に蘆名を背負い込むだけの力などない。そして最上にはもっとない」

「…詰んでますね」

 蘆名家の領国はだいたい五十万石前後とか言うが、これは上杉家と比べても七割程度の大きさである。そんな領国の面倒を見るなどとてもできるものではない。最上に至っては蘆名の半分程度しかなく、それこそ最上による乗っ取り行為と言われても仕方がない。

 だがどちらかにすがる事が出来なければ、蘆名は伊達の攻撃を受けて木っ端微塵に吹き飛ばされるだろう。

 もっとも第三の選択肢として北条と言うのもあるが、関東統一が第一の北条が陸奥に関心を示す事はない。仮に手を出せば関東管領の末裔を気取る上杉や上田の負けを取り返そうと躍起な徳川にその隙を突かれ虻蜂取らずに陥る可能性が大であり、その事がわからないほど愚かではないと昌幸は見ていた。




「そして何より童神よ。

 その童神をどう扱うか、誰もが戸惑っておる。佐竹や蘆名は無論、伊達さえも振り回されておる」

「童神?」

「一部の東北の兵たちの中ではあの童子を軍神のように思う動きが出ているらしい。童子と軍神を合わせて童神だとな」




 そして最上の問題が、「童神」だった。



 人取橋の戦いのみならず伊達輝宗救出にも関与したらしいその童子が、とんでもない存在として持ち上げられているらしい。働きからすればもっともでしかないが、かと言って持ち上げ過ぎにも思える。


「父上だったらどうなさいますか」

「我関せずを貫き通す」

「それはごもっともですが、一般兵の信仰となると」

「だから一般兵のそれも放置する。下手に水を差すと忠誠心の対象がそっちに行ってしまう危険性がある。何せ英雄譚と言うのは気持ちいいからな」


 実際の戦が英雄譚のように格好のいいそれでないのは常識であり英雄譚など流行らないとか言う考えは正しくない。

 英雄譚に描かれる兵法や人心の掌握術や恋愛物語ではなく、むしろ辛い現実の戦があるからこそ、現実離れしたそれに対する憧れは強くなる。自分たちの所にもこのような英雄が現れ、自分たちを勝利に導いてくれないかと言う期待が膨れ上がる。

 もちろん本来ならそんな者はいないはずだが、東北では現に現れてしまった。しかも自分たちの殿様を親子二世代にわたって救ってくれたとなれば殿様への忠義心がその童神への信仰心に乗っかったとしてもちっともおかしくない。

 

「ただ幸いと言うべきか、伊達は歴史ある御家だ。綿々と続く藤原北家の末裔だからな」

「関係があるのですか」

「この時代に血筋も何もないと思うか?甘いな、むしろ誰も彼も血筋を求めている。伊達のような守護大名上がりはそれだけで勝ち組だ。この真田と違ってな」



 大名と言ってもいろいろある。

 伊達や武田のように守護大名から横滑りしたような家、織田や上杉(長尾)のように守護代から成り上がった家、真田のように国人から大名になった御家。

 三番目が圧倒的に多いがこの戦国時代だが、そんな存在のほとんどが実力だけしかないような連中である。そういう存在はどうしても世間的に言って粗野に思われ、重く扱われない。

 東夷とか言う言葉が未だにまかり通るのが京の都であり、その町にはどこの馬の骨か知れないような存在に委ねさせたくないと言う天皇家や貴族、町衆に至るまでの意識がある。

 真田昌幸は安房守とか言っているが言うまでもなく自称であり、朝廷から真っ当な官位を得るには血筋がどうしても必要になる。


 真田は奈良・平安時代の貴族である滋野氏の末裔と言われており、一応血筋は通っている。だがその後裔で直接の祖先となっている海野氏の段階でその滋野氏との関係が既に怪しく、それこそ本当の本当にどこの誰の血筋かもわかりゃしないかもしれない。もっとも養子相続がちっとも珍しくない以上血筋は二の次だが、島津でさえも惟宗氏ではなく源頼朝の落胤を名乗っているようにいずれにせよ海野氏は御家としては源平藤橘などと比べて余りにも弱い。


「血筋、ですか……」

「ああ。目糞鼻糞ではあるがあの狸親父とて実際に新田源氏の末裔か怪しい物よ。その部下たちもなおさらだ。井伊はまだしも、本多とか榊原とか大久保とかあの辺はどうだか。ああ酒井は徳川と一心同体だから……………………………」




 いきなり、真田昌幸が停止した。

 どうしたと信之が問う前に首を横に振り、深くため息を吐くと今度は笑い出した。


「父上…」

「何、伊達に童神あらば真田には青年の神ありとか言い出すような連中がいては正直困ってしまうと思ってな。さっきああ言ってはみたが、やはり地に足のついた暮らしこそ必要不可欠なのだよ」

「そうですか…」

「人間逆風に立ち向かうのは当然必要だが、そのための方法は案外沢山伝わる。しかし順風に押されてしまった時の対処法は伝わっていない。普段と変わらず節制せよでは逆に好機を逃しただけと言う事も少なくない。うますぎる時は注意せよとか簡単に言うが、据え膳食わぬは男の恥とも言う。世は真に難しい物よな」


 話を打ち切るように立ち上がり、体を震わせる。武者震いと言うより小便が溜まっているのだと言わんばかりに苦笑する昌幸を前にして、信幸たちも同じように笑うしか出来なかった。



(まさか、あの男の狙いは……いや、もしかして、あの童神も……)


 実際に厠へと向かった昌幸の頭の中には、上田の戦いで亡くなった将の事が頭に浮かんでいた。

 

 榊原康政とか言う、家康が未来を期待していた男。

 その力以外別に危惧する事もなかったが、真田忍びが持って来て気にも留めなかった情報を思い返すと頭が急に冷える。



 何より、人取橋のそれだ。


 あるいは—————そんな可能性を断ち切る事をできない現実を吐き出すように、昌幸はつい先ほど体を温めるために呑んだ酒の成れの果てを出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る