避けられない流れ
十月下旬。
この場にいない畠山義継の遺児・二本松国王丸を救援対象に据えた多数の軍勢が、まだしぶとく残る秋の中北上を開始していた。
「父上、伊達をどこまで潰して良い物でしょうか」
「浮かれ上がるな」
「いえ、不安です。伊達が消えた後は蘆名が伊達の旧領国を得る事になるのでしょうが、そうなると蘆名が肥大化しはしないかと」
「何を言う。蘆名の当主は幼子も幼子。そして蘆名の実質総大将である金上盛備殿は我々に心を寄せている。何となれば喝食丸を押し込めばいい」
その軍勢の中で最大勢力とでも言うべき佐竹家の当主義重は、不安を口にする息子義宣をたしなめていた。
蘆名軍も今回の反伊達連合軍に当然参加するが、党首の亀王丸はまだ三歳であり、実質的総大将は金上盛備と言う蘆名の重臣。その盛備さえ取り込めば、蘆名家の掌握は難しくない。万が一亀王丸に何かあった場合は、喝食丸こと義宣の弟である義広を押し込めばいいと義重は考えていた。もしそうなれば蘆名領と含めて佐竹は百万石近くを把握する事ができ、東北は無論北条をも凌ぐ東国一の大名の座を得る事さえもできるかもしれない。
「ですが」
「くどいな、佐竹が肥大化して伊達のように狙われないかとか言いたいのか。北条がある限り東北諸侯はこの佐竹を無下にできん。西の家康とそれ以上に強い秀吉、さらに上杉がいる限り北条は西へは進めぬ。となれば北を狙うは必至、もし伊達に加え蘆名と佐竹が共に瓦解すればそれこそ北条は喜び勇んで三つ鱗の旗を立てに来る」
「そうです、北条に乗っかって」
「その時はその時だ。まったく徳寿丸、お前もずいぶんと気の弱い事だな。お前はこの戦が自分にとって何だか分かっているのか」
十六歳の義宣をも幼名で呼ぶ義重の顔に、不安など全くなかった。
確かに常陸に領国を構える佐竹の最大の敵は北条であり、北条は西と言うより関東統一志向が強い事は義重も知っている。佐竹が崩れれば北条の関東統一はほぼ完成する。
そして、西に進めないとなると次はどの方角か—————答えは火を見るより明らかなはずだった。
(まったく、頭でっかちでかなわん。少しばかり初陣が遅すぎたかもしれんな)
義宣は、実はこれが二度目の戦だった。別に跡目と言う事で乳母日傘をやって来たつもりもないが、才子を通り越して気弱になってしまっている。ここらへんでもう少し喝を入れてやらねばならないと言うのも、佐竹義重の狙いだったのだ。
十一月一日。
義重は本陣にて諸侯たちの座の中にあった。
一応総大将は蘆名家の当主亀王丸になっているが三歳と言う事もありほぼ上座に座っているだけであり、蘆名家の代表として金上盛備がいる。
その大将の座に一番近い席に義重と義宣が座り、真向かいに岩城常隆が座る。その下座には石川昭光、小峰義親が座し、一番下座には一人の尼僧がいた。二階堂盛義の正室で現在は大乗院を名乗っている、阿南姫だ。
(まったく、これを見るだけでも伊達家を木っ端微塵にする事など出来ぬのがわかるだろうに……せいぜい、ここにいる誰かか輝宗を引き立てて元のおとなしい伊達家に戻せばそれでいいのだ……)
岩城常隆は政宗の従兄、石川昭光は伊達政宗の叔父、阿南姫は伊達政宗の伯母。と言うか佐竹義宣自体が政宗の祖父の晴宗の娘から生まれている以上、政宗の従弟なのである。何なら小峰義親さえも義宣の弟である義広を養子としてあてがわれている以上、伊達家の親族と言えなくもない。
輝宗もまた義重にとっては迷惑だが、政宗とか言う暴走を止めないような男からしてみれば数段ましだ。ましてや畠山義継に拉致されたとか言う時点で武士の名折れもいい所であり、今後強権的な手段に出られない事はまず確実だろう。
「それでです。伊達軍の様子について説明いたします」
司会進行役となった金上盛備により、敵軍の布陣が述べられる。
「伊達軍は田村清顕、相馬義胤と手を組み一万三千で二本松城を攻めている。まだ陥落する事はないがこのままで行けば雪も間に合わず陥落する事は必定であり、一刻も早い救援を求む…と」
金上盛備が話を盛っている事はすぐに分かる。もう半月以上一万三千もの兵で責められているのに未だ落城の二文字の気配がなく、城兵の抵抗が続いている。そしてもうひと月もすれば、東北は雪に埋もれてしまう。そうなれば逃げ切り勝ちだ。
と言うか伊達軍と自分たちが戦うには、少なくとも十日はかかる。その間に二本松城が落ちたとしても、二本松城の将兵の仇だとか吠える事は出来てしまう。ここにいる全員、「二本松城救援」とか言う言葉を真に受けてなどいないはずだった。
「そうなのか」
「ええ。それにしても腹は減っておりませぬか亀王丸様」
ただ盛備の主人の亀王丸はともかく、盛備自身も案外律義な性格だった。
亀王丸の空腹を気にしながら、間接的にこちらの出兵を促して来る。
「冬を越せる分すらないとは思えませぬ。収穫からさほど時も経っていないと言うのに」
「伊達の分にされる危険性もあります」
「金上殿はずいぶんと気になさっておいでですが、伊達軍が我々の存在を知ってそこまでむきになる理由は何ですか」
「誰だって後方を突かれたくありませんから」
その盛備に対し、小峰義広は積極的に反論する。義宣が口を半開きにするが、義重は笑うばかりだった。
義広はこの時及び腰になっている兄の背中を押すように義重から言われており、義重からしてみれば全く期待通りの反応だった。
「すると何ですか、変な童子の噂を気にしていると」
「な…」
そして必死に食いつく盛備に対し、義重自らとどめを刺しに行った。
「伊達政宗めが輝宗を救った童子の噂を流しておりますが、話を真に受ければ亀王丸殿と同じ程度の三歳児が五十人以上の二本松勢を膾にしたとか言う馬鹿馬鹿しさの極みのような話。政宗はそんな存在が味方だぞと二本松勢を脅しておりますが、誰か寝返りでも出ましたか?」
「……」
義重がつかみ取った、二本松義継を殺した「童子」の噂。
あまりにも荒唐無稽なそれを聞くたびに、呆れ笑いするしかできなかった。
どこの忍者だか知らないが、ごまかすにしても下手くそ過ぎる。
これが相手ではこっちは楽であり、向こうは気の毒だと言う気分にしかなって来ない。
「では、話はまとまったようですな。金上殿」
「うむ…明朝進軍を開始、遅くとも十日後までに須賀川への着陣を…」
盛備の沈黙をもって話は終わったとばかりに、義重は衆議の決着を宣言。盛備もうなずきながら続き、諸将も頭を下げて軍議は終わった。
※※※※※※
「残念ですが…」
「チッ…」
十一月五日、伊達政宗は舌打ちするしかなかった。
延々二十日間も包囲していたのに、二本松城はついに落ちなかった。
その間に、連合軍はどんどん北上している。
「合戦まではあとどれほどと見る」
「早くて五日、おそらくは十日ほど…」
片倉小十郎景綱の言葉に、政宗はさらに鼻息を鳴らす。もちろんその時間で落とせればいいが、そんな事が無理なのはわかっている。仮に落城できたとしても、戦後処理の時間がない。
さらに言えば、攻撃されている位置もまずい。
相馬軍は連合軍に所属している石川や白川と領国が近く、これ以上二本松城などに構ってはいられない事からして離脱は確実だろう。そうなると一万三千どころか一万すら怪しくなる。
田村さえも全軍投入は不可能で、この二本松城の抑えも振り分けるとなるとそれこそ八千も出せないかもしれない。
「本宮城を抑えさせろ。そこで敵を迎え撃つ」
政宗には、これ以上のことは言えなかった。
自分なりに必死に攻めたはずなのに、なぜ間に合わなかったのか。
輝宗を殺しかけた悔しさを晴らしきれないまま、政宗は次の戦いに臨むしかなかったのだ。
「しかし一人ぐらい…」
「そんな物を期待しないで下さい」
そして、自分なりに少しだけ期待していたそれが裏切られた事にも。
「残念ながらその状況を見ていた生存者は我々だけです。こんな我々にとって都合の良すぎる話を誰が真に受けますか」
「知っている。だが確実に存在していたのだ」
「全部黒脛巾組のせいにされますよ」
「知った事か、それでも恐れないよりましだ」
輝宗を救った謎の少年の噂を流布させてはみたが、それに呼応する存在など誰もいない。自分で言ってて荒唐無稽であり、信じる方がおかしいと言う話だ。
「しかし気になる事もあるのです」
「何がだ」
「息子です。この前息子は確かに、殿がおっしゃられた童子を見たと言うのです」
—————だが後に片倉重長と呼ばれる事になる存在は、謎の少年を見たと言う。
「いつ何時だ」
「大殿様生還の次の日の晩です。父として幻覚かと思いましたが息子の話を聞いた所間違いなくその童子だったのです」
「まさか幽霊だとでも申すのか」
片倉家は、神主の家系である。と言うか武士になったの自体景綱が初であり、政宗の乳母となった姉の縁で出世したような存在である。
だからといって霊感が云々とか言うのは単純だが、それでも身内ながら他に目撃者がいたと言うのは事実だった。
「まあ、当てにはしておらんがな」
—————輝宗が知っている事など知らない政宗としては、他に何の言いようもなかったのだが。
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