最上義光の手紙

「………………………………ああ、我ながら出羽の鬼姫が聞いてあきれるわ」


 

 義姫は珍しく、酒を呑んでいた。

 


 もう数か月は経つと言うのに、未だに話を飲み込めきれない。



 少しばかり吠える事しかできないような女の何が鬼姫だか、小鬼姫どころかコオニユリ姫ではないか。



「奥方様、お気を落とさずに…」

「無理を言うな。小十郎にはああいってみたが、正直わらわ自身も深刻に考えるのが役目だと思うておる……まあそれもまた驕り高ぶりなのだろうがな…………」


 この時代の女性の地位うんぬんを抜かす気もないが、義姫自身夫を過小評価していたのは紛れもない事実だった。


 輝宗が上田城にてあの童子と極めて似た特徴を持っていた男の存在を政宗に伝えたのは昨年の年末であり、義姫が知ったのは昨日だった。

 なぜ伝えなかったとか言えば油断して欲しくなかったとか敵になるかもしれなかったとか自分や小十郎が言いそうな事を言い、その上でかなり出来の良い童神の絵を見せ付けて来る。


 もちろん当主としてもそれらしく振る舞い、三月中には「蘆名政道」を誕生させる手はずも整っている。金上盛備の暴走により蘆名家は乱れており、その子の盛実や彦姫が必死に当主の亀王丸を守っているが勢力は弱く、何よりその亀王丸が最近病勝ちであるとか言う報まである。ただでさえ人取橋の大勝もあって伊達の傘下に事実上加わるべきだと言う流れがあるだけでなく、輝宗の甥の亀王丸が死ねばそれこそその亀王丸の従兄弟の政道が継いでも何もおかしくないと言う理屈がまかり通る。

 伊達・蘆名連合となれば陸奥に逆らえる御家などない。もちろん佐竹もまた加わるしかない可能性も高く、そうなれば下手すれば二百万石まで行ってしまうかもしれない。

 一見凄まじく聞こえるが、そんな巨大勢力を放っておく秀吉ではない。今すぐにとは言わないがいずれこちらに大軍を差し向け、それこそ服従か滅亡かの二択を迫って来る。服従したとしても勢力の解体は確実であり、そうしなければそれこそ滅亡までの果てしない殺し合いが繰り広げられる事となる。




 とか言う話はこの際いいとしても、ついこの前届いた手紙の存在は無視できなかった。


「私は一体何だと言うのですか兄上!」


 その手紙が届いた時には、人払いを済ませていた自分の用意の良さに

 九年前そうしたように、兄と夫や息子が戦おうと言うのならばその間に割り込んで止めるぐらいの勇気はあったつもりだったが、そんなのが無謀と言うよりただのええかっこしいだった事を知らされるほどには、義光の手紙は恐怖だった。


 —————まさか、わかっていたとでも言うのか。



「藤次郎はいつ戻って来るのじゃ」

「大浦殿との交渉は鬼庭様に任せるとの事でもうしばらくは…」

「大浦は南部の分家ではなかったのか」

「…違うらしいです」

「どう違うのじゃ……!」


 一瞬口ごもった侍女に対して吠えてやるが、武家の家柄に詳しくない存在に対し何を求めているんだとすぐに口ごもった。


 大浦為信が、いきなり藤原清衡の末裔であると言い出したと言う話は既に政宗から聞いている。


 南部の分家の陸奥源氏だったはずなのにいきなりそんな古の英雄の名を持ち出すなど胡散臭いにもほどがある。確かに藤原清衡の末裔と言うのは東北人には受けがいいが、それでも少しぐらい根拠を持って来いと言いたくもなる。

 もっとも話を聞く限りでは大浦為信とか言うのはなかなか煮ても焼いても食えない男でありそれぐらいの事はやりかねないと言うのは納得できるが、それでもいささか無理があると言うか不安でしかない。


 そのはずだったのに、だ。







「お前には言わなかったが、最近調べていて気が付いた事がある。この兄の先祖は安倍貞任の娘婿となった最上義任であり、最上氏は安倍氏の末裔である」







 ずいぶんとか言う言葉では現しがたい言い草だ。

 最上氏が室町幕府の征夷大将軍足柄家の親族である斯波氏の末である事は二百年来の常識であり、それをなぜ変えなければならないのか。と言うか最上義任とか言う完全に取って付けた名前がなぜ出て来ると言うのか。


 安倍氏と言うのはそれこそ俘囚とか呼ばれ朝廷から蔑まれた東北人そのものであり、奥州藤原氏のような源平藤橘の一角ですらない。はっきり言って、藤原清衡以上に奥州のために迎合した人選だ。



 義姫は妹として、兄の事はよく知っている。


 父親である最上義守はそれなりにしたたかな人物だったが、義光はそれ以上の存在であり現在の最上の主力である最上八楯と言う地元の有力者たちをまとめて敵に回した上で父親と戦い当主の座を勝ち取り、それから十年かけて出羽内での領国を広げた男であり生半な存在ではない。

 それがこんな真似をする以上意味がないはずはないのだが、あまりにも短絡的ではないか。


「小十郎は」

「今は三戸ですが」

「違う、小十郎の子が」

「まだ三つですぞ」

「知っとるわ。夫も良直も地に足がついとらんと言うか危なっかしいと言うか」


 いくら一寸先は闇の乱世とは言え、それでも単純に親として息子が心配だった。


 大浦為信と言い義光と言い、正直何がしたいのかわからない。そんな相手と仲良しこよしをやるなど、伊達家と言うか政宗自身も危ないではないか。




「……あの童子か」




 そんな事にしたのはいったいどこの誰かと言う問題の答えはあまりにも簡単であり、あまりにも難解だった。


 夫の死の回避も、人取橋の大逆転も、南部の壊滅も。


 無論伊達の味方などではなく、あくまでも自分たちの欲望のためだけ。

 三度目の話ではっきりしたその事実がやっぱり政宗の手綱を引き締めるべきだと言う理性と、畳みかけるようにやって来る事実。


 自分の手には負えない。


 さらに、西の信州に出たと言う謎の男。


 その男も童子と同じように音も立てずに走り、次々と無慈悲に人を斬り、そしてそのまま消えた。

 真田を助けたと言う訳ではなく、あくまでも斬りたいから斬っただけ。


 伊達と真田に決定的な違いがあるとすれば、その大きさだ。


 元から五十万石以上の大きさがあった大名の伊達に対し、真田とは武田の従属勢力だった数万石の家。五十万石と数万石では立場が違うのはわかっているが、少しでも真田のように肝が据わっていれば…………と思いたくもなる。

 ただ真田があまりにも動かないのについては、不可解と言えば不可解だ。せっかくの好機のはずなのに上野にも信州にも手を伸ばさず、自分の領国を守る事にのみ腐心している。そう言うのを見るとほれ見た事かとか騒ぐ気持ちも分かるが、どうしても女親として安定を求めたくもなる。


「もし武家の娘でも何でもなくば、こんなにも悩まずに済んだのやもな……」


 秀吉の妻のおねは一応武士の家系ではあるが末端の末端であり、百姓の秀吉と差などない。無論母親のなかも完全な農婦であり、武家としての教えなど全く受けていない。秀吉の立身出世に伴いとか言うには政宗が生まれた時には既に五十三である以上そういう思想を身に着けるには時間が経ちすぎている。

 で、織田信長の母の土田御前は武家の女性だが信長を嫌い信勝を偏愛して来たような女でありそういう意味では真摯な武士としての教育を受けていない。


 室町幕府と言う武士の時代が終わった以上、次は武士でない人間の時代が来ると言うのか。

 そんな訳があるか、鎌倉幕府とか言う武士の時代が終わった後、また室町幕府と言う武家の時代が来ただけだ。

 いくら秀吉と言う存在が権力を握ったとしても、その天下が続くかどうかわからない。続いたとしても、どうせどこかで武家の色に染まって行く。結局武士と言う名の大多数の権力者がそのやり方を飲み込まない限り、天下の治め方が変わる事などない。


(しかし…どう治めるのかは変わる、か……だがどう滅ぶかは変わらぬだろうな……)


 鎌倉幕府は北条家が利権を独占しすぎて、つまり御家人たちに御恩をやらなかったから奉公もされずにそっぽを向かれて滅んだ。

 室町幕府は応仁の乱による将軍継嗣問題とか言う、各地の守護たちからしてみればどうでもいい問題で無駄に揉めたせいで幕府を各地の人間が見捨て、戦国乱世が始まった。


 どうせ秀吉や次の政権だって、滅ぶ時は同じだ。




「どうなさいましたのです」

「小次郎に会いに行く。母として言い聞かせてやらねばならぬ事があるのでな」




 おそらくはこれも童子のおかげであろうがあまりにもすんなりとうまく行った小次郎の蘆名家入りの前に、親として言い聞かせねばならぬ事が出来たのは間違いなかった。無論、政宗にも。







 決して、恩を仇で返すなかれ、と。

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