大浦為信、伊達政宗と会う
「ふぅ……」
「小十郎…」
「気が気ではありませんでしたぞ」
「わしは礼を失するのが嫌なだけだ。
それにしても南部も気の毒だ、あそこまで嫌われるとはな」
小十郎が初春と言うかまだ晩冬のくせに汗を掻きまくっているのを笑いながら、政宗一行は再び北上する。
あの童神の目付き。
はっきりと、至近距離で見たのは初めてだったはずの目。
背格好からしてやはり三歳児前後の童子であったが、その眼力と、何よりも気配が三歳児のそれではなかった。
童神とか言う呼び名に騙りはなく、その眼力だけで大の男たちをひるませるに十分すぎるほどの迫力がある。
それほどの存在が北信愛、と言うか南部を恨んでいる。
いったい何者で、何をしたと言うのか。
見た所卑しい生まれの存在ではない。言うまでもなく武士と言う名の支配者階級の人間。
あれほどの生まれの存在が、いやあれほどの生まれゆえにああなってしまったのかもしれない。
「かの者と、その愛馬。おそらく彼らは相当な恩讐を南部に抱いているのであろう。しかし佐竹義重も災難と言うか不運と言うか……」
「ええ。どうやら佐竹義重の愛馬であったとか」
「それもつい数か月前に手に入れたとかであろう。まさかその馬と童神が」
「それは理屈からしてはおかしゅうございましょう、理屈からしては…」
佐竹義重の愛馬であったはずの存在が、童神と共に南部領を荒らしまわる理由は何なのか。
そんな理屈でどうにかなる存在ではないだろうが、それでももしそうだとすれば人取橋の事もつじつまが合ってしまうかもしれない。あらかじめ童神と馬が口裏を合わせていたとか言う無茶苦茶な話も、童神だとすればできなくはないかもしれない。
「しかしこの長い街道の領地を一体誰が治めるのか……」
「他人事のようにおっしゃいますな」
「他人事であった方がいい。こちらにちょっかいを出さない人間が治めていれば正直誰でもいいのだ」
「ですがね。普通に戦を行った時の様に本城に入城して降伏させてとか言う事は出来ないのですぞ」
「また一から城を建てると言うのか…」
城など、一つ建てるだけでも年単位の時間がいる。ましてや南部氏とか言う歴史を持った大名のそれの代わりの、米沢の数倍の領国の城ともなるとそれこそ生中な大きさでは済まないしもちろん材料も費用も要る。いくら領内の城が全滅した訳ではないとは言え、三戸城ほどの城を見つけるのは困難だ。
三戸城は大半が焼失し生存者はわずか二名と言う聞くだけで酸鼻を極める状況な上、その少し南の九戸城もまた当主を含む人間がほとんど皆殺しの目に遭っており、城郭こそ三戸城よりましだがとても人の住める環境ではないと言う。
「申し上げます!前方から兵が来ております!」
「何、数は!」
「五百ほどです!」
「体制を整えよ!」
そんな所に入る、別の軍勢の到来の報告。南部軍の総兵力がどれほどのそれかわからないが、それでもひと月もあれば五百ぐらいなら動員できるだろう。ましてや南部領に入り込んでからはもう七日は経っている。ここに来るまで全くの無抵抗同然だったことが一番の異常事態であり、それに備えて五千の兵を組織して来たはずだった伊達軍は各地の治安を守るために兵を撒きまくっているので三千になっていた。
「もちろん交渉第一ですが」
「わかっている。一応当地の治安を守るためだと伝えてはいるがな」
「私が参ります。千人ほどお貸しください」
「わかった」
小十郎に兵を預け、自身はゆっくりと首を振る。
この先には何があるのかとか言う好奇心と、他の部隊が来ないのかと言う武家の長としての責任と、戦を仕掛けたも同然の行いに対する後ろめたさと。
その全てが、勝手に体を動かす。
「殿」
「どうし、た……」
そして待ち人の余りにも早い帰還に、前を向く事を忘れ苦笑いする。
—————敵では、ないらしい。
その感想を抱くまでの間に、刀剣を後ろの者たちに預けた百名ほどの集団が千人の伊達軍に付き従って付いて来ていた。
「これは伊達殿、お初にお目にかかります。大浦弥四郎でございます」
自分よりかなり年上であるがためらう事なく頭を下げる男だったが、それでも目付きはかの童神さえもひるみそうなほどだった。
肉体的には頭を下げているが心理的に屈従する気はなく、それでいて殴らせろとでも言えば平気でそうさせそうに思える。
その一瞬だけで、大浦弥四郎こと大浦為信の器のほどを政宗は見抜いた。
※※※※※※
やがて落ち着いて両者は近隣の農村の名主の屋敷を借り、お互いに座を囲んだ。
座と言っても伊達側が伊達政宗に片倉小十郎、鬼庭綱元に数名の兵士がいたのに大浦側は為信一人だったが、為信の目に恐怖心などびた一文なかった。
「さて、三戸城はやはり」
「ええ。壊滅状態でございます。他にも南部に連なる存在はほとんどが殺し尽くされておりまして」
「南部と言う事で言えば」
「それがしは奥州藤原氏の二代目当主基衡が末裔でございます」
その中で、為信はいきなりずいぶんと有り得ない方向からの爆弾を投げて来た。
政宗とて南部家の家柄はわかっており、大浦為信もまた南部の一族だと思っていた。広大とは言え数百年単位で治めていれば一族の血はすっかり行き渡っており、大浦氏もまたしかりだと見ていた。
「藤原基衡と言うと」
「ええ。次々代の泰衡が不誠を働き討滅されてしまいましたが、それでも奥州の地に足跡を残した英傑藤原経清の末としてここにおります」
「どっちつかずの果てが悲しい物ですな」
奥州藤原氏の祖は藤原清衡だが、その父である藤原経清の武名とその不遇ぶりは東北人の間でも未だに語り継がれており、四代目の泰衡はともかく三代目の秀衡以前の当主の名声もまたしかりだった。
「それで居城は大浦と言う事になりますが、ここまでは」
「雪解けと共に兵を進め、南部氏が消えた後の領国をぶしつけながら頂戴して参りました。そこで三戸城から逃げて来たと言う母娘を庇護しましたが、彼女たちは我々に懐いておりません」
「まさか大浦殿がやったと見ているとか」
「いえ、三戸城を焼いた童子と馬に懐いております。その童子は自分たち以外のほぼ全てを焼いたのに実に優しく、この上なく純朴な笑顔を向けてくれるとか。手を触れる事は出来ませんが馬もまた実に和やかであり、それがしたちがいくら寝床をやってもちっとも馬小屋から離れようとしませぬ」
「彼女たちは三戸城で虐げられていたのですか」
「いえ、ただの城勤めの侍女とその娘です。まあ夫は戦で亡くなっており頼れる親族もない親一人子一人の身ですがそれでも侍女と言うのは少なくとも寝る所はありますから」
城の侍女と言うのは例え下働きでも為信の言うように寝食は保障されているし、何なら殿様や重臣に見初められて…と言う道のりも存在するから農民に比べれば出世栄達の道はある。まあ彼女たちの場合おそらくは最下層かそれに近いだろうが、それでも城内でいじめのような事をされていたとか言う話はないらしい。
「それが自分たちから全てを奪ったはずの存在に懐くとは…」
「ええ。彼女たちに聞いたのですが母の方はなぜかわからぬ、と。
しかし娘は言ってくれました。何か懐かしい感じがすると」
「懐かしい?」
「ええ、よくわからないけど懐かしいと」
——懐かしい。
聞けば五歳だと言うその少女が懐かしがる存在など、父親か兄弟かぐらいしかない。だがその馬は牝馬だし、兄弟姉妹もいないと言う。と言うかそもそもが佐竹義重の愛馬であり、南部家には何の縁もないはずだ。
「彼女たちは南部の恩を忘れたと言うより、それ以上の恩で上書きされた感じです」
「それ以上の恩で」
「はい。どちらかというと運命と言うべきか…」
運命。
まるでそうなる事があらかじめ決まっているかのような展開。
「それだけですか」
「もちろんそれだけではありません。我らの手で、不来方に城を築きたいのです。そしてその地より北を我々にと言う事で。
そして我々が手を組み、蘆名や佐竹をも飲み込むのです」
そしていい加減本題に入れと言わんばかりの小十郎に対し、為信は一挙に畳みかけに来る。
不来方と言うのは三戸城より少し南の地。
交通の要所としては悪くない地であり、三戸城よりは雪もまだましである。
だがその流れで伊達と大浦での領国の分割を持ち出し、さらに蘆名や佐竹の統合をもせよと言うのには小十郎も綱元も驚いた。
「しかしそれは…!」
「私自身は、秀吉殿に接近したいと思っております、いやおりました。しかしそれはあくまでも大浦と言う御家のため、いや自身を認めさせたいがため。
おそらく秀吉殿は九州を優先しており、早ければ翌年にはこっちを向きます。それまでに我々は大きくならねばなりませぬ」
「戦うにせよ従うにせよ、か………………」
秀吉と言う存在にいずれ相対させられる自分たち。
そこまでに何ができるか—————。
自分よりさらに中央から遠い場所にいるはずの人間から突き付けられたその問題を前に、政宗は隻眼を細めた。
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