伊達政宗、無人の野を行く(やはり残酷描写あり)
「……………………」
「殿」
「何だ」
「何かおっしゃって下さい」
「何を言えと言うのだ」
伊達政宗と片倉小十郎、鬼庭綱元と言った主従と兵たちは何も言えなかった。
米沢と蘆名との交渉を輝宗と政道、綱元の父鬼庭良直に任せ、こんな所まで来ている自分たちが馬鹿馬鹿しい存在なのはわかっている。だがそれでも、雪が溶け次第行かねばならなかったのだ。
正月からひと月少々が経った二月の初頭。
旧暦二月と言えば現在の暦で行けば三月であり初春であるが、陸奥は未だに肌寒く底冷えがする。
だが今この時は、その底冷えが愛おしかった。
「見るに堪えぬとはこの事ですな……」
「……百聞は一見に如かずとはよく言うが……」
無人の野を行くかのように進んだ伊達政宗一行は、衣川に着くや目を見開き顔をしかめながら鼻をつまみたくなった。
——————————死屍累々。他に何とも言いようがない。
雪がある間までは保たれていた死体が雪解けと共に姿を出し、腐敗を始め出している。
当然犬畜生の類が冬を越した栄養だとばかりに死体に食いつき、その死肉を漁る。
「三戸城すらもこんな状態なのか」
「間違いございません」
「この者たちはみな衣川を守っておったのか」
「ええ。それが文字通りの皆殺し、と言うか根こそぎです」
衣川の地は、無人の野と化していた。
文字通りの死屍累々。
しかも成人した男だけではない。文字通り女子供老人までの皆殺し。
皆南部を慕って来た立派な存在であるはずなのに。
「下手人は」
「見聞した訳ではございませぬが」
「あの童子か…」
幼さゆえの無邪気さと言うか残酷さ。
人取橋の戦いで見せた必要な人間を必要な分だけ殺した冷たい怜悧さはなく、灼熱の如く燃え上がるかのような憎悪。
いや、死屍累々とか言うが「死体」がない。あるのは遺骨ばかり。
骨になるまで食い尽くされたか腐敗したかにしてはいささか早すぎる以上、もう意図的にそうされたとしか思えない。
「ひとからげになってしまう事は残念ではあるが、寺社に持ち込み供養せねばなるまい」
「それが出来ぬとの事です」
「南部がか」
「いえ、僧たちも遺骨を回収しようとしましたがその度に刀剣が宙を舞い、いくら祈りを捧げても近づけぬとの事です」
「わしらは近づいておるが」
面妖極まる話を平然とする小十郎だったが、紛れもない事実だった。
非業の死と言う言葉さえも生ぬるい結末を遂げた人間たちの成れの果てを僧としてしっかりと供養せんと欲した真摯な僧たちに対し、そんな事は許さぬと言わんばかりに刀剣が宙を舞い僧たちに彼らの仲間になるか逃げ出すかと言う鬼のような二択を迫っていたと言う。
それでも必死に僧たらんとした存在は彼らの仲間になってしまい、また別の僧は絶望のあまり袈裟を捨ててしまったとも言う。
それなのに、なぜ自分たちは平気なのか。僧でないから平気だとか言うのか。
兵士たちがじっと遺骨を囲みながら刀剣を回収するが、まるで反応しない。
南部氏に底知れぬ恨みを抱き、南部氏に敵対するそれを歓待しているのか。
「我らの僧はどう見ている」
「さしたる反応もないとの事で」
「当地の坊主で童子を見た者はいるのか」
「おりましたでしょうが今頃は骸となっておりましょう。あるいは僧である事を止めてしまったか」
「後者の人間がいれば接触してみたいがな。
それにしても、案外とおとなしいな。南部氏に連なる存在はほぼ全滅しているとか言う以上、南部領はもはや無秩序状態なのかと思ったが」
「狼藉者たちまで皆殺しにされた可能性もありますが」
犯人を既にかの童子だと決め付けての会話だったが、誰も反応などしない。もうそれが規定事実であり、疑うだけ無駄だと誰もがわかっている。と言うか単純な話、これほどの人間を殺せるほどの軍勢がいればいくら豪雪の中でも探知ぐらいはできるし足跡ぐらいは残せる。
それに南部氏と言う名の権力者が全滅したのがもし本当ならば山賊連中とかが我が物顔に暴れて回っていてもおかしくないが、まだ三戸には程遠いとは言えその手の話も全くない。雪と言う事もあり情報の周りが遅いだけの可能性もあるが、それにしてもと思わざるを得ない。小十郎も言う通りその手の連中まで皆殺しにされているだけかもしれない。
と言うか、正直死体はあっても略奪の跡がない。まるで命を奪う事だけを目的として動き、物資や食料の略奪の跡は全くない。
文字通り、ただ殺戮のためだけの殺戮。
残忍ではあるが不思議と一線は守っている気がする。
「しかし話せばわかる物だな。今は二月なのに」
「彼らは我々に安全を求めているのです。そうでなければ大事な代物を売ったりなどいたしません」
無論勝手に物資を持って行くのはもってのほかだし交渉の対象もいないので自前のそれを使うしかなかったが、それでも生存者は思った以上に伊達軍を歓迎してくれていた。
壊滅した集落の近所のそれの有力者を探し求め、生存者がいればその集落の物資を納めてよいか交渉もする。平たく言えばある種の侵略行為だが、その侵略対象はもういない。
「南部の一族は」
「遅くとも数日前に皆殺しに遭ったようです。今はまだ平穏ではありますが何せ寄る辺なき状態ゆえに…」
「伊達が旗を立ててもよいのか」
「はい…」
二月と言う事もあり人的資源の獲得は出来ないし食料もたかが知れているが、それでも人心を得る事は出来ている。他国の主が領民に慕われていればいるだけ工作はやりにくいのが世の常だが、その慕われている主があんな死に方をしたせいで不安のどん底にある存在を懐柔するのは簡単だった。
西の安東氏や戸沢氏と言った存在もいるし、また先に言ったように賊の問題もある。租税を納めてくれる民がいなければ武士などただの木偶の坊だが武士のいなくとも農民は成り立つとか言うのは驕りであり、自衛力のない農民はただの収奪対象でしかなくそうされないためには農民自ら武力を持たねばならなくなり、それはもうただの武士だ。
「広大なる領国を得たとしてもその運用は難しい。かと言って放置する事も出来ぬ。彼がいったい何をしたいのか」
「武士と言うのは無責任でございます。自分勝手に恩讐を果たし、後の事は考えませぬ。戦は始めるより終わらせる方が、縁は結ぶより断ち切る方が難しい物です」
「北も南部も、あの童子にとっては許しがたき存在だった。だからこそ殺したのだろうな」
「何があったのかなどはわかりませぬ。しかしいずれにせよ感情過多の果てのそれであり、とても為政者のそれではありませぬ」
幼すぎると言えばそれまでだが、あまりにも前後の見境のない暴力。仇討ちと言う名の、無制限の恨みのぶつけ合い。
しかしそれを下手に止めれば逃げ得を許すのかと言うそしりを受け、武士として腰抜けであるとか言う烙印を押される。ましてやそんな事をしたら親兄弟が悲しむとか復讐など望んでいないとか言う最大限に眠たい理屈を振りかざそうものなら、それこそ発言者の方が即座に斬り捨てられる。
それを抑えこむのを成就させるには、結局力が要る。童子を止められない伊達家如きに、そんな資格はない。
ただ戦える人間の命を奪うだけでは飽き足らず、南部氏の中核とでも言うべき存在を根こそぎ殺しているのを見れば少しばかり恐怖感も湧くが、それでも武士としては気持ちがわかると言うのがここにいる人間たちの言い分だった。
だがその結果、南部氏の親族のみならず南部氏の重臣と言うべき北信愛の一族も一人残らず殺され、国内は無政府状態に陥っている。あまりにも後先を考えていない。
「この先が北信愛の居城らしい。重臣ではあるが居城を与えられる程度には信頼されていたと言うのにな」
「この周辺の村も軒並み全滅だとか」
「ひどい物だな。北信愛の死体は」
「どれがどれだか状態です」
やがて北上を続け北信愛の居城、だった物が見えた。
逃げ惑う際に火事でも起きたのか炭ばかりになっており、死体も大半が焼けて骨になっている。逆に見苦しくないとも言えなくはないが、それでもつい去年の年末まで命だった物がこうもなっていると口を抑えたくもなる。しかも見た所、これまでと同じく年齢など全く関係ない。
「織田信長は比叡山にて老若男女問わず根切りにしたと言うが……」
「それを一人でやったのですからね」
「まあとりあえず……」
政宗一行は北信愛たちの遺骨に向けて手を合わせ、遺骨を回収しようとした。
だが政宗が馬を下り手を合わせようとした瞬間、いきなり地面が揺れ出した。
「何だ!」
「ああ、あれは!」
「童神様だぁぁぁ!」
童神とか言う尊称に反応するかのように政宗たちは刀を抜き、北からやって来た一気の騎馬武者の存在を確認する。
間違いなく、あの童子。
いや、童神が、向かって来た。
しかも今度は、馬に乗っている。
「どうしたのだ!」
「クル…ナ…!」
「ブルルルルル…!」
初めて耳にした童神の言葉は、年の割に重たく、それでいて絞り出すような所もない。文字通りの地声風。
さらにそこに彼の乗っている馬が主共々喧嘩を売るかのように力強く震え、こちらを強く威嚇している。
「わしは伊達藤次郎政宗だ。貴殿は何と言い、何を望む」
「…………」
それでも必死に対話を試みる政宗に対し童神は刀を抜こうとはせず、ただ目を輝かせている。無論憧れなどではなく、言葉通りに帰れと言わんばかりの敵意の籠った視線。
「教えてくれ、わしは貴殿には感謝している。なぜ父上を救ってくれたのだ」
「……………………」
「答えたくなければそれでよい。わしは貴殿に何ができる」
「……………………」
政宗の言葉にも、頭を下げる様にも童神は何も変わらず、ただ帰れの三文字をぶつけるかのように政宗たちを睨む。
「……そうか。言いたくはないか。わかった、いやわかり申した。もし次会う事があれば今度はゆっくりと話し合いたいものだな」
「……………………」
この場での対話を諦めた政宗が下がって行くと、安心したかのように童神は目の輝きを細らせて行く。
その戦いに息を呑まぬ存在が、この場に何人いたのだろうか。
そんな少数派を置き去りにしながら、政宗は一人の名将に向かって心の中で秘かに手を合わせてみせた。
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