惨劇の国、南部(残酷描写注意!!)
一月六日の陸奥。
取り分けその最北の三戸郡は当然ながら雪深く、誰も行き来など出来ず小さな村々の中で息を殺して雪融けを待つ。
農兵はそれこそ雪融けの後に田起こし、苗代作り、田植えといろいろやらなければならず、出兵はそれこそその後となる。ましてや雑草や害虫駆除などもせねばならないので、どうしても兵の動きは鈍くなる。
もっとも南部信直に本年特に出兵する予定もなかったが、それでも南の伊達の伸長は見逃せるものでもない。現在の進行方向は南方だが、こちらが下手に手を出せば逆襲されかねない以上うかつには動けない。
だからこそおとなしく構え、とりあえず家内を平定しておけばいいと考えていた。
「意味が分からん。衣川で何者かにより大虐殺が起きた上に信愛ほどの者が討たれただけでなく一族郎党が」
「はい!」
そんな時に飛び込んで来た、北信愛の一族が皆殺しに遭ったと言う報告にも信直はたいして反応できなかった。
あまりにも非現実的すぎた。
確かに信愛は六十四になるが、日々の壮健ぶりからして賊一人に殺されるとは思えない。ましてやその息子たちを含む郎党たちもまた南部家の中核を担うに値する強者ばかりで、数こそこの雪のせいで少ないが専業の武士だけにそうそう賊ごときに後れを取るはずなどない。
「本当の本当にか」
「いかにも!そして!」
「そして何だ」
「北様の死に憤った農兵たちが我を忘れて突撃し、下手人を捕えんとしたのですが…!」
「この雪でか!」
「雪も顧みず、かろうじて通れる道を進んだのですが……多くの者たちが」
「凍死したのか!」
「いいえ、轢き殺されました…!」
「……………………」
轢き殺す。
その単語で利直は動けなくなった。
そんな事が出来るのは人間ではない。人間だとしたら車だろうが、こんな雪の中を走れる車がどこにあるのか。
「そ奴の見た目は…」
そこまで言うと同時に、三戸城が揺れた。
誰かが騒いでいる訳ではなく、文字通り揺れた。
「何だ!」
「狼藉者めぇぇ!」
利直の声に呼応した訳ではないだろうが、何者かがこの三戸城に突っ込んでいる事は間違いない。それも相当な強者であり、北信愛を殺めた下手人でもあるだろう人物。
「者どもであえ!狼藉者を捕えよ!甲冑を持て!」
「しかし」
「しかしも何もあるか!」
利直は侍女を呼び付け、甲冑を持たせ自ら身にまとう。一月のそれは非常によく冷え、着ける者の体を引き締めさせる。当然刀も持ち、寵臣のかたき討ちへと向かうその姿は誰よりも勇ましく、名門南部家の当主としてふさわしい物だった。
ただ一つだけ、あまりにも悠長すぎた事を除けばだが。
※※※※※※
「ぎゃああ!」
「ば、バケモノだぁぁぁ!」
「ここは通さねえぞぉぉ!」
この時既に、下手人は三戸城の城門などとっくに越えて城内に入る間際だった。あわてて城兵たちが立ち向かうが、下手人は何十人単位の農民を殺した暴れ馬と共に刀を振り、手向かう存在を次々と切り捨てた。
馬の方はそんな事より目的を達成させろと落ち着きがないが、その目的が本丸への突入であったから城兵たちは手に負えない。
「コノヤロォ!」
城兵の一人が目をつむりながら槍を突くが、馬は巧みに動いて槍を交わし下手人の刀がその城兵の頭を叩き割る。そして下手人は槍をつかみ取り、二刀流のように武器を振り回す。犠牲者はさらに増大し、本丸を守る兵の数は減って行く。
「ああその先は!」
いや、兵だけではない。
下手人と馬が向かった先は、本丸は本丸でも、本丸屋敷だった。
「何を…」
その言葉と共に、一人の女性の胸に槍が刺さった。
北信愛殺しの下手人にして今一人の女性を殺した人間がついさっき突き付けられた、槍が。
「ひああああ!」
「ああ奥方様!」
「母上ぇ!」
「そんな、こど…」
そんな甲高い言葉にもひるむ事なく、下手人は殺戮を止めない。
むしろ興奮したと言わんばかりに得物を振り回し、女子供関係なく命を奪う。わずかに正体に気付いたらしい侍女もすぐに首を斬られ、城を赤く染める。
もし彼女に非があったとすれば、それはこの城で最も権威ある女性の側にいた事だけでしかない。
「まさかあの童し…」
その権威ある女性もまた、他の侍女と同じように屍となった。彼女の子女たちも次々と下手人の手にかかり、父親より先に不帰の旅人となってしまう。
「何と言う事ぉぉぉ!」
そしてその殺戮者が振るう刃を正体を失った一人の侍女がとんでもない物で受け止めた結果、最悪の事態が発生した。
「ああそれはぁ!」
雪明かりとか簡単に言うが基本閉め切りの場所で室内を快適にするためには、どうしても蝋燭が必要だった。
その蝋燭を立てていた灯台が斬られ、火が点いていた蝋燭が畳に落ちた。
その上にこの大混乱で走り回っていた侍女たちが火鉢を蹴倒しまくったものだから、あちこちで火種が上がった。
そして、下手人こと三歳児の二刀流剣士は、もはや殺すべき存在は殺したとばかりに本丸屋敷を飛び出す。
紅に染まった刀を手に、新たなる殺すべき存在を求めて。
※※※※※※
「本丸屋敷が焼かれたと申すのか!」
「この混乱で…!」
「ああくそ!とにかく絶対に許さぬ!」
信直はこれ以上他に何の言いようがあるのだと言わんばかりに駆け出す。
数は千人、いや二千人。
普段から家臣にそれなりに慕われていたこの主君らしく、武士のみならず侍童や侍女たちまで集まっている。雪を投げ付けるだけでも使えるかもしれぬと言う彼女たちの思いを無下にできない、それが信直と言う人物だった。
「ユル…サヌッ!」
そんなある種南部家の全力を集結した一団に向かって突っ込んで来る、一人の童子。
血まみれの武器を持つその姿はとても小さく、とても大きい。
「まさかあの童神」
「うるさい!何をひるむ!」
「はい!」
信直がひるまないものだから侍女たちもそれに従い、次々と雪を拾っては投げ付ける。当たったとしても痛くはないかもしれないがひるめばよし、武器を持つ手元を狙えば叩き落せるかもしれない。
その気持ちを込めて次々と投げ付けられるが、童子はちっともひるまない。
それどころか、当たっているはずなのに、当たっていない。
「そんな!」
「後は任せろ!」
侍女たちの代わりにとばかりに兵たちが突っ込むが、結果は変わらない。
何十本と突き出された刃は一本も童子に当たらず、童子の得物に当たるのが精一杯だった。
そして決定的な違いとして、命が奪われた。
一人や二人ではない。それこそ、立ち向かおうとした人間全員の。
男も女も、成人も子供もない。
文字通りの、殺戮劇。
「きゃあああ!」
「バカなぁぁ!」
「いだい、いだいよぉ…」
「無慈悲なぁぁ!」
一人、二人、十人、二十人、百人。
それこそ武士の本懐だと言わんばかりに徹底した殺戮が行われ、純白だった三戸城は真紅に染まって行く。
そして本丸屋敷だけでなくあちらこちらでも混乱を極めた城内で火鉢の蹴倒しなどによる失火が発生し、また別の意味で赤くなる。
この寒さとは言え燃えやすい存在に移った火は消える事はなく、次々と乾燥した空気の力を借りて雪を溶かし、白を消して行く。
「ふざけるなぁ!」
もちろん南部信直はこんな状況にひるむような存在ではなかったがそれでも童子には関係がないと言わんばかりに、武器が飛んで来る。
そう、飛んで来たのだ。
「な…」
一本ではない、三本、いや五本。
自分が斬り倒した兵の武器を拾い、大きく後ろに飛びながら手を放す。
要するに、倒れた兵の武器を拾って投げ付けたと言う訳だ。
それでも一本や二本ならば受け止められたが、五本同時に飛んで来た。
しかもまともに投げる体制もとらず、文字通り刀剣を操るかのように飛ばしている。
「ナゼ…!コロシタッ!」
ついさっき出た許さぬと言うそれに次ぐ第二の言葉と共に、さらに多くの武器が宙を舞う。
城よりも高く舞い上がり、なぜ殺したと言いながら全てを殺さんと欲する。
三歳の童子の言葉と言うにはあまりにも重たく、それ以上に真に迫っている。
お前が言うなとか言う軽口を叩ける存在など、どれだけいるのかわからない。
信直ですら例外ではない。全身が震え、何も言う事が出来ない。
そんな状態で宙を舞う刀剣を防ぎ切れる訳もなく、最終的に身じろぎ一つできないまま信直は六本の刀剣をその身に受けた。
「ああああああああああああああああ!」
「と、殿、殿ーっ!」
とか言う悲鳴に交じり
「はがぐげげごごががぎぎりぃ…」
「あわがらがぐえでへへえぐれえ…」
などと言う人間のそれとは思えない音が響き、赤くなった雪に黄色が混じり出す。
そしてそれがさらに赤で上書きされて行く。
文字通りの、地獄絵図。
「一体我らが何をしたと…」
事ここに至ってようやくそのセリフが出たのは、それだけ南部氏及び信直に対する忠誠心が深かったからと言えるだろうが、此度に限ってはそれが完全に裏目に出た。
そうごもっともな事を言った侍女もまた飛んで来た刃に胸を裂かれ、信直の所へと向かった。
それからの一昼夜をかけて、三戸城はより赤くなって行く。
上は信直から下は草履取りの小者まで、ありとあらゆる存在が殺された。
数千人単位が居住していた、二十代以上続いた南部氏の本拠の人口は、わずか一日で二人になった。
その内逃亡と言う形を取れたのはわずか三人であり、そのうち一人が大浦為信の部下に発見され、一人は逃亡中に凍死。
もう一人は一つの村へと逃げ込んだが、そこは北信愛の領地であり信愛が殺されると共に村民たちもほとんどが殺されており、絶望の果てに自害したのである。
※※※※※※
そして炎と血で赤く染まった三戸城に残された二人の母娘は、泣いていた。
彼女たちがいた兵糧庫だけは襲われる事もなく、ただ二人だけ生き延びていた。
その彼女たちの前にも、童子はやって来た。
なぜかわからないが、涙が止まらない。
だが恐怖心も湧かないし悲しくもならない。
むしろ、嬉しくなって来る。
この三戸城で母娘して侍女をやっていた生活に何の不満もなく、今日一日で全て奪われたはずなのに、なぜか悪い気持ちにならない。
「……」
その童子が連れて来た馬を見るや、母娘は生きる希望を得たかのように立ち上がった。
そして馬に飼い葉を与えるべく焼け落ちた厩へと母は向かい、娘は馬の背を撫でた。
馬は彼女たちに感謝するように、和やかに鳴いた。
そこだけには、殺戮の二文字はなかった。
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