大浦為信、大事件を知る
「いつ頃溶けると思うか」
「さあ…」
「しかし殿、この雪が溶けたとしても大坂ははるか遠くですぞ」
「わかっておる。されど今は一刻も早くあのお方にお会いせねばならぬ。そのためにこの城に入り、日々自分なりに内政に身を砕いているつもりだ」
「上杉との交渉は」
「全然進まん」
同じ、天正十四年正月。
それなりには盛り上がっていたものの米沢と比べると小規模な宴の中で、城主は白い息を吐きながら外を見つめた。
見渡す限り真っ白であり、これに比べれば米沢など極彩色だった。
当然酒は温められ、また別の意味で真っ白になりながら皆正月を過ごしている。
築八十年越えの大浦城は歴史を物語るかのように木色を通り越して飴色に輝き、存在感を見せ付けていた。
この大浦城の城主・大浦為信と言う男の今年の目標は、秀吉に接触する事だ。
大浦城は陸奥の中でも北も北であり、蘆名領である会津や伊達領の米沢と比べても僻地も僻地である。そんな僻地の城主ながら自分なりにできる事を探し秀吉と言う存在に目を向ける辺りは、為信はある意味伊達政宗以上の男であったと言える。
だが昨年自ら渡航し秀吉に接見しようとして失敗したように道のりははるか遠く、少なくとも南部家は好感を持たない。出羽を通ろうにも簡単ではないし、最悪上杉家に接触できたとしてもうまく行く保証はない。
一部では上杉は秀吉の配下になったとも言われているが、上杉自身にその気があるか非常に怪しく、庶民上がりとか言う以前に元々尚武の色合いの濃い上杉と秀吉と言う存在はそりが合わないとも言われている。
短身痩躯、自分一人では敵一人斬れたかどうか怪しいほどに膂力はなく、しかも面相も猿と呼ばれるほどには良くない。面相はともかくそのどれもが上杉の好みとは言えない。もし秀吉が天下人でなければ上杉はそっぽを向き、決して上から目線を崩さなかっただろうと言う認識も少なくなかった。もっとも秀吉の師匠であり主人である織田信長も上杉家は別の理由で嫌っていたから水と油なのかもしれない。
さらに進んで能登に行けばそこは前田利家と言う秀吉の親友の勢力範囲だから問題はなさそうだが、そこまで渡航できる技術も船もない。
そういう訳でとりあえず上杉を口説いては見るつもりではあるが、とても簡単ではない目標だ。
「とは言え、三戸からの睨みもありましょう。南部からしてみれば我々は喉に刺さった小骨であり、始末せねばいつまでも安心できない存在です」
「そうだ、小骨だ。しかしそんな小骨にかかずっている暇など南部家にはない」
と言うか、大浦為信自体南部氏の配下である。
南部氏と言うのはそれこそ源平合戦の時代からの伝統ある源氏の末裔の守護大名であり、秀吉は無論「室町幕府の関東管領」である上杉さえも上回る伝統を持つ御家だった。
もっとも南の果ての島津と違いそれほど派手派手しい事はしていないが、それでも南北朝の動乱や今の戦国乱世を乗り越えて勢力を保っている辺り決して並の家ではない。
だが島津との決定的な違いとして内部の統一ができず、余所にその力を伸ばす事は出来ていない。これは南部氏自身の問題と言うより領国の問題であり、南部氏の本来の勢力範囲は島津氏の三倍とまでは行かないが倍以上ある。しかも陸奥と言う北国の中でも北国であり冬及び初春と晩秋には動けた物ではない以上どうしても動きは鈍くなる。
さらに言えば、伊達家である。
伊達家は源平合戦どころか藤原北家の末裔と言うそれ以上に筋の通った家柄でありたやすく対抗できる物ではない。ましてや伊達は米沢と言う南部よりは雪の面ではましな上に肥沃な大地を持ち、絶対的な力は南部氏より強い。
——————————その上に、だ。
「知らぬ訳でもあるまい。人取橋の戦い、いや人取橋の惨劇を」
十一月の段階で既に雪が積もっていた大浦城にすら届くほどの、人取橋の惨劇。
三万が実質六千に敗れただけでもかなりの事件だが、そこに出たと言う謎の童子。
敵軍の将の大半を斬り捨て、三つの家を壊滅せしめた鬼神としか思えないような働きをした童子。
噂話と切り捨てるにはあまりにも鮮烈で、頭から真に受けるにはあまりにも戦果が飛び抜けすぎている。
その童子が本当に伊達に味方しているのかはわからないが、いずれにせよ伊達がその勝利により旭日の勢いにある事は間違いない。いくら伊達の進行方向が南であろうとは言え、北に向かない保証は何もない。また単純に隣国が肥大化する事は恐怖心をあおる事象である。
「なればこそ南部本家は我々を抱き込もうとするのではないでしょうか」
「だろうな。だがそれは我々を生かしておく、と言うかさらに力を与える事になるだろうな」
「それは甘いかと」
「そうでもあるまい。実際人取橋の惨劇の後、伊達軍の手から逃げきったと言うか四散した人間が北へと向かい、南部の領国に逃げ込んだ。その話を聞きつけて動かないのならばそれこそ鈍感の烙印を押されてしかるべきだ」
「で、どうしろと言うのです。我々を加えたぐらいで」
「手駒か囮だろう。さもなくば坊主でも駆り出すか」
主従してずいぶんな言いぐさだが、大浦城にまで入って来た話を真に受けるとそうとしか言えない。
全く体勢を変えないまま後ろ走りし、空を飛ぶ鳥より高く飛び上がり、何十発と矢弾をあびせられながら身じろぎ一つせずにかわす。
その上で敵を斬りまくり、そして本人は返り血一つ浴びない。
そんなどう聞いても人間とは思えない存在とどう戦えと言うのか。
それこそ念仏でも唱えていた方がまだ意味がある。実際亡霊とか魑魅魍魎の類だとして田舎の僧にどれほどの事が出来るのか言ってる本人でもわからないが、やらないよりはましだろうと思ってはいた。
「伝えないのですか」
「伝えた所で真に受けるならそれはそれで問題だ。逆に信じられなければ余計な不興を買う。どっちがいい?」
「これは失礼しました」
もし自分が南部信直だったら、そんな話を真に受けたりしない。
いくら情報源があったとしても、あまりにも突拍子がなさすぎる。おまけに伊達家にとって都合が良すぎる。都合のいい話を真に受けるなは大名のみならず大将の原則だし、伊達家が言いふらしているだけの可能性も少なくない。
そしてそれ以上に、自分たちの醜態をごまかすための作り話だったと言う展開も十分あり得る。三万もの軍勢を率いておきながら六千に惨敗するなど、それこそ末代までの恥であり、適当に敗因を糊塗して責任から逃れるなど決して珍しい話ではない。逃げ込んだのは雑兵だしとか言い出したとしても、それらの兵に自尊心や忠義心がないと決め付けるのは早計だ。
「とりあえず気にするのはよそう。しばらくは適当な理由を付けて呼び出しにも応じずじっと構えているしかない。まあこの雪だからな。
まあ、時と場合が整えば大坂城を見聞してみたいものだがな」
とにかく今は、おとなしくと言うか引きこもっているしかない。それが結論だった。その上で野望も捨てる気はないと言えるのが、大浦為信と言う男だった。
※※※※※※
そして暦は進み、一月九日。
正月の気分がようやく抜けていたその頃。
為信はいつもの日常を取り戻したかのようにゆっくりと起き、朝の稽古だと言わんばかりに木刀を握ろうとした。
「殿!」
「何じゃ」
「寝起きの所のご無礼をお許しください!」
「そんなのはどうでもいい、何があった」
寝巻のまま起き上がった為信が木刀を握りながら飛んだ来た怒声に向かって誰何の声を上げると、ふすまを大音を立てて開けた男がやたら呼吸を荒くしながら伏している。
ただ事ではないと感じた為信が着替えもせずに真剣を握ると男は二歩ほど後ずさりし、ゆっくりと顔を上げる。
「衣川が消えました」
「意味が分からん」
「ですから、衣川周辺の住民が虐殺されました」
「こんな時にか」
寝起きにしては動いていた頭で情報を飲み込もうとするが、咀嚼しきれそうにない。着替えながらも頭を動かすが、衣川の地形を思い浮かべる度に現実味がなくなって来る。
言うまでもなく、現在の陸奥は真冬でありまともに戦が起きるどころか人の往来すらできた物ではない。ましてや衣川など寒風吹きすさんでいるとは言え海沿いの大浦と違い山中も山中であり、まともな行き来など出来るはずもない。
「どこの誰だ」
「あの童子だとか」
「またあの童子か。見た訳でもないのに言うのもなんだが、あれは伊達の味方ではないってこれではっきりしたな」
衣川周辺は南部氏の領国であり、わざわざ喧嘩を売る必要は伊達にはない。伊達の向きはどう考えても南側であり、北の南部を敵に回す理由はない。
子どもが勝手にやりましてとか言う言い訳が通ってしまう話ではあるが、それでしょうがないですねで済ますようなお人好しはどこにもいない。だいたい、子どもでも何でも町一つ分の住民を虐殺するような存在を放置するなど不用心を通り越して無謀でしかない。それこそ喧嘩を吹っ掛けているのとどう違うのか。
「まあ何が我々にできる訳でもない。せいぜい気を付けておけ」
他に何も言う事はないとばかりに真剣を鞘に戻し、男を下がらせる。
衣川と言えばかつて、あの源義経が身罷った地だ。
頼朝に追われ藤原泰衡に裏切られ非業の死を遂げた悲運の英雄の人気は未だに高く、そんな場所を守れる人間はそれなりに人気があったはずだ。
あるいはまさか義経に滅ぼされた平氏の末裔が亡霊になったとでも言うのか。
一応僧でも呼んで祈りでも上げさせておくかと言うのが、為信の判断だった。
そして午前中その通りにして午後適当に政務をこなしながら夕餉を取っていると、また大浦城が揺れた。
「何事だ」
「申し訳ございません!北左衛門佐様が討ち死に!」
「そうか……は?」
衣川壊滅の次は、南部の重臣である北信愛が死んだと言う。話を飲み込み切れず聞き流そうとした為信が呆けた声を出す中、また別の使者が来た。
「どうしたのだ。そんなに震えて、ほら酒を」
「さ、さ、さん…!」
「三?」
「三戸城が落城しました!」
「落ち着いて喋れ」
「ですから三戸城がぁ!」
「そうかそうか三戸城が…ええ…!」
大浦為信は、箸を取り落として動けなくなってしまった。
いや、その場にいた全員が、魂が抜けたような表情で二人の男の方に視線をやっていた。
「間違い、ないんだな!そうだな!」
「はい!とりあえず三戸城から逃れて来た男性を確保しておりますが…!」
「ああ、あああああ!」
他に何ができるかと言わんばかりに、為信は吠える。
吠えたら腹が減ったとばかりに飯をかき込み、その男に会わせろとばかりによろけながら立ち上がる。
下手人の、噂以上の暴虐ぶり。
戦場ですらない所で行われた大虐殺。
その存在を噛みしめるように、為信は早足のくせに重々しく廊下を歩いた。
誰もが何も言えないまま、為信と言う城主に付き従う事も出来ないまま。
為信は必死に、武士の長としての意地を見せようとした。
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