吉凶禍福

「ああもう!」



 天正十四(1586)年、正月。

 二十歳になった伊達家当主、伊達政宗は畳を叩いた。


「そんな調子では将としての資質が問われますぞ」

「小十郎、貴様こそその賽に何か仕込んではあるまいな!」


 正月早々ずいぶんな事を言う小十郎に対し政宗も食ってかかるが、小十郎は笑うばかりである。


「二人して大はしゃぎの所悪いのですが、勝敗の方は」

「見ればわかるだろうが!」

「そもそもお殿様が盤双六をやろうと言い出すからではありませんか」


 大名から小者まではしゃぎまくるお正月の中、伊達家で一番偉いはずの存在と上位から見てひとケタに入る人間が二人して小さな盤を囲む姿は、面白くはあるがあまり社交的ではない。

 もっとも展開の方は政宗が騒ぐように小十郎が一方的に押しており、政宗はそれこそゾロ目を連続するしか勝ち目はない状態だった。もっとも先に小十郎がゾロ目を出しまくって次々と駒を進めているような状態であり、鬼庭良直に言わせればどっちもひよっこである。


「だったら旦那様の賽と私たちのそれを取り換えてもよろしゅうございますが?」

「これこれ、自分の道具で勝負させてやれ。人様の刀で戦って勝っても嬉しゅうないだろうに」


 そんな政宗に対し、やたら陽気に声をかけるのは愛姫だった。


 彼女も男たちと同様に賽を振り、駒を進めている。

 もっとも、彼女が振る賽は一個であり、盤はやたら色彩豊かであったが。


 愛姫が義母と一緒にやっているのは双六は双六でも絵双六であり、各マスに花や仏教の説話などが描かれている良くも悪くも運任せの代物だった。


「そっちはどうなのだそっちは」

「まったく夫婦して不甲斐ないとしか言えぬ。特別に三度続けて同じ目が出たら勝ちにしてやると言うのに、まだ全然進めておらぬ」

「それは特別と言うのですか」

「そっちだってゾロ目が出れば良いのじゃろう、何の違いもあるまい」

「小十郎、終わったら私と変わってくれ。兄上と最後の勝負をしたいのだ」

「これは失礼。ですが」

「ああ小十郎、もうお前の勝ちでいいぞ。と言う訳で小次郎、来い」

「はい」



 さらには伊達政道まで加わり、遊びをせんとや生まれけむと言わんばかりに浮かれ上がっている。

 二人の父である伊達輝宗は兄弟たちの仲良しぶりに目を細めながら酒を呑む。

 義姫にも、出羽の鬼姫の姿はない。

 正月とはそんな時間だった。


「しかし、だな。こうして騒げているのも全く兵たちのおかげでしかない。兵たちに佳酒を振る舞い大食を食わせている存在には恩賞をやらねばならぬな」

「それは誰じゃ」

「決まっておりましょう、実際に褒賞を渡している者です。ずいぶんと役得と言うものでございますなあ、ハッハッハッハ…」


 米沢城に政宗の笑い声が響き渡る。

 

 実に平和な時間だった。







「兄上、少しばかり手加減と言う物を」

「出目の悪さに文句を言うな。ここで不運だったと言う事は別の場所に幸運が来ると言う事だな」


 で、政道と政宗の双六の対決は政宗の一方的優勢だった。実は政道は義姫や義姉である愛姫らと遊んでいたせいか双六の腕前は政宗より上だったが、小十郎の時に振るわなかった賽が機能しまくった。ゾロ目こそないが5や6が出まくり、あっという間に駒が前進して行く。政道の賽は1や2ばかりであり、ゾロ目が出ても1とか言う鈍行ぶりで差はどんどん開いて行く。

「でもまだ終わった訳でもありません」

「だからこそ、だ。わしは決して無理に上がったりはせんぞ」

 いよいよと言う時になってもなかなか駒を上がらず、じっくりと進めて行く。決して決まりを破っている訳ではないが、極めて慎重に逆転の手を封じて行く。


「これが年長者と言う物だ」

「まんまそれがしの手を真似ているだけですがね」

「やかましい、誰の手だろうと良き物は手に入れるまでだ」

「邯鄲の歩みになるなかれですぞ」

「あ、そうか。小十郎は説教をするのが楽しかったのだな」

「…すみません、頭を動かすのにも飽きましたので酒を」


 その手が一番効いたのが小次郎ではなく小十郎だった事に座から苦笑が漏れる中、政道は賽を振る。


 三と六。それなりに大きな目だが大勢を覆す事は出来ない。

 政宗本陣に取り残された石を救うには四を出すしかなく、そうしない限り勝負にすらならない。

「わしの番だな」

 政宗はと言うと政道が出したかった四をゾロ目で出し、次々と駒を取り除く。空白地が増えたのをいい事に政道は今度こそとばかり賽を振るが、肝心の石が進めない。

「…投げていいですか」

「構わんが、まだ助かるかもしれんぞ」

「どう見ても時間切れです」


 結局、政道もまたさっきの政宗と同じように投了してしまった。潔いと言えば潔く、敢闘精神に欠けると言われれば諦めが良すぎる話だ。


 もっとも、正月の遊びなどにそこまで真剣になる必要などない。勝負などなあなあにするのが大人の流儀であり、正月の程度と言う物だ。

 自ら番駒と賽をしまい、これからは酒を呑むかとばかり伸びをする政宗の顔は、実に晴れやかだった。




「賽の目の ならぬ様こそ しんねんの 緩みし思い 箍引き締めん」

「ずいぶん安易ですね」

「知っている。わざわざ書き記すまでもないほんの思い付きだ」

「賽は西 海原起こす 珊瑚色 彼は芥で 我は宝に」

「命惜しみ 室にこもりし 心なく 獅子の大地は 四方山に富む」


 その流れのもままいきなり句会もどきを始める政宗と愛姫を前に、拍手まで起きる。

 そして小十郎も乱入するが、その面相はどうにも正月らしくない。

「藤次郎も愛姫もようやっておる」

 義姫がそんな事を言いながら頭に扇子を落とされたのが小十郎のそれに対しての評価であり、とんだ落第点扱いである。


「正月早々、わらわや旦那様とてここまで深刻にはならぬぞ。先ほど藤次郎が戯れておったが本当にそなたは説教が趣味なのではないか」

「いえ、昨年はいろいろな事がありすぎまして」

「かもしれんがな、そういうのは去年の内にやっておけ。それとも何だ、二人して浮かれているのを見てあわてふためいて詠んだのか」

「……………………」

「まったく、損な男じゃな。伊達以外がどれだけ奮闘したかも知らずに」


 沈黙をもって肯定に変えた小十郎に向けて、義姫は再び扇子を頭に落としながら深々とため息を吐く。


 白河法皇でさえも思いのままにならなかった賽の目に、緩んだ「信念」と「新年の気分」を引き締めさせられるとか言っている時点で、政宗に何の油断があると言うのか。


 また愛姫だって「西2・4」「珊瑚色3・5・1・6」と賽の目の語呂合わせを入れつつやや陳腐ながらきっちりとまとめたのに対し、小十郎の歌はあまりにも説教臭い。



「室」は「しつ」ではなく「むろ」、と言うか「ムロ」でありその上に「心なく」である。

 そして「獅子」は「しし十六」であり「大地」は「土」、そらに「四方山富む」と来ている。

 要するに「ムロ心なく」—————怠惰の思いなく—————過ごしたからこそ「十六個の土」と四方山と言う「東西南北」に加え「上下左右」も存在する、つまり「八個のト」—————すなわち「八卦」—————うまく行ったのだと言う歌だった。

 あるいは去年必死に頑張ったからこそこうして正月を迎えられたのだとも取れるが、それでも小十郎自身にその気が全くなく、それ以上に現実はそれほど甘くもない。



「母上、お責めなさいますな。小十郎は恐ろしいのです。あの童子が」

「政宗、わしの見識は少し違う。小十郎は脅えているのではない、憎んでいるのだ」

「お戯れを!」

「小十郎。残念だが怠業を為さなかった所で皆成功する訳でもない。その方の意見は正直青臭いと言う烙印を押されても仕方がないぞ」

「青臭い…!」

「佐竹や蘆名が旧年中全力を尽くさなかったと思うのか?」

「……それは、その……」

 

 輝宗の言う通り、人取橋の戦いを含め伊達に敵対した戦力が旧年中に手抜きをしていた証拠などどこにもない。

 小十郎の心配は、確かに青臭くそして贅沢だった。


「佐竹は無論、蘆名さえもごたついている。執権であった金上盛備のやらかしもあり蘆名は新たな柱を求めている、亀王丸とか言う童子とは違うな。

 小次郎の存在は大きいのだ」


 伊達政道は、現在十九歳。政宗と一つしか違わない事もあり当主としては全く不足ではない。元から蘆名亀王丸自体が二階堂盛義の孫であるように「蘆名家」の血筋などある意味とっくに絶えており、何なら亀王丸自身が輝宗の甥の子である。伊達家の人間が入って行く事に対する障壁は薄いのだ。

 と言うか蘆名にそういう事が出来る家自体、伊達以外には少ない。

 できるとすれば最上か上杉だったが、最上は義姫の縁があるし長男の義光は十二歳ながら英邁だと評判だが、そんな人間は普通手元に置く。

 そして上杉には余力も人材もない。いるとすれば景勝の義兄弟である山浦景国か畠山義春だが、どちらも景勝と折り合いが悪く下手すれば分裂状態に陥るだけだとも言われている。


「すみません、どうしてもつい……」

「人間、逆風に堪える術は習っても順風に堪える術は習わんからな。まあ良い、遅ればせながら旧年の弊害を吐き出せて何よりだ、アッハッハッハ!」


 小十郎をひとりぼっちにならずに済ませた輝宗の笑い声が会場に響き渡る。


 政宗は改めて父の偉大さを知り、政道は決意を固め、義姫と愛姫の義親子は夫と義父に感動している。



 こんな平和な時間が、米沢にはあった。



 その平和と熱気が感染した訳でもないがそれからしばらく雪は降らず、根雪になっていたはずのそれの嵩はゆっくりと減って行った。


 伊達にとっては希望の道のりであり、蘆名にとっては時間切れを注げる爆弾の導火線だった。

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