奥州統一連合完成す
会談を終え、大浦為信は腰を上げた。
その顔には苦笑いばかりが浮かび、文字通り崖から突き落とされた人間の顔をしていた。
「乗り掛かった舟とは言えな……」
二番目に血判を押す事となった上に、別の意味でも二番目にされた。
伊達政宗に万一ありし時、指揮権を委ねられる存在に。
元から安寧など求めていないし次男を人質に出す事も覚悟していたが、それでも決して軽い立場でもない。
と言うか、今更裏切った所で伊達と最上と言う伯父甥が自分たちに向かって動き出して飲み込まれるのは必至である。
とりあえず、すぐさま出兵と言う事はないだろうし攻められたとしても当分は他人事でいられる。無論援軍の一つや二つは出さねばならないが、それでも今の大浦の身の程や地理的状態を分からないはずはないと思っていた。
現在の大浦氏の領国は陸奥の北と出羽の北部で、石高で言えばせいぜい二十五万石。百万石の文字さえ見える伊達、どっちも六十万石はありそうな最上や蘆名と比べると極めて少数である。
二十五万石と言う事は、大体兵力の限界は六千。実際に六千の兵をはるか南の戦場に連れ込む事など、まだ大浦領になったばかりの領国の事を思うととても無理だから実際にはせいぜいその半分、三千がいい所だろう。
そして北出羽にはまだ自分たちに親しくない勢力も多い。幸い戸沢盛安が自分たちに好意的だが、元から織田信長と親しかったと言う噂もあり頭から信用しきれない。それでもいざとなったら五人目だとばかりに自らまた親指の先っぽを切ってやるぐらいの事はしてやるつもりでいる。
(と言うか盛安はまだ若い、あの爺まだ生きているのか!)
それ以上に問題かもしれないのが、さらに北の存在だった。
大浦領の海を渡った北に坐するのが、蠣崎氏だった。
およそ百数十年前に北の大陸で在地住民を制して領主となり、それからずっとその領国を守っていると言う存在。
若狭源氏の末裔とか言うが、実際は自分と同じくどこの馬の骨かわからないだろう連中。
世間的には安東氏の部下みたいに言われていたが、自分たちがいるのにどうやってあんな所まで行けるのか、とっくのとうに安東の部下ではなくただの同盟相手と言うのがふさわしい状態である事を為信はわかっていた。ましてや安東が消えたも同然の今となっては、完全な独立大名である。
その最大の功績が、蠣崎季広と言う存在であるのは論を待たない事も。
蠣崎季広は御年八十一だが当主の座を降りたのがまだ四年前と言うほどに健康であり、それ相応にと言うべきか精力が半端ではなかった。何せ十三男十三女とか言うから気が遠くなる話であり、十一男はまだ二十四歳と今の当主の慶広の十六個・今は亡き長男より二十五個も年下である。それだけの血筋をあちこちにばらまいて力を蓄えたその有様は、自分はおろか伊達政宗よりもずっと恐ろしく思える。
もちろん、伊達政宗や最上義光に彼の話をしなかった訳ではない。
だがそこまで行く理由は両名にはないし、第一遠すぎる。と言うか、米すらも取れない以上攻めても意味は薄い。何とも嫌らしい話であり、天然の要害とか言うのが一通りの意味でない事を思い知った気分にもなった。
ではどうするかとなると沿岸の兵を増やしてとか言うありきたりなそれしか思いつかないが、それこそ南部氏の支配が瓦解した海岸線を守るのは一苦労どころかふた苦労み苦労であり、下手すると六千はおろか三千の兵も出せないかもしれない。
そうなるとどうするか。
盛岡城の普請の音が鳴り響く中、為信の足の向く先は決まっていた。
「ドウシタ……?」
馬小屋にて、馬と共にいる少年。
いや、童神。
まったく寝藁などがくっついていないきれいな姿をし、純粋でありながら危うさを持った目をし、それでいてひとたび戦場に現れれば何千何万の敵をも一刀に伏す戦の神。
今はその暴れぶりはどこに行ったのか、ずっと馬と二人の女性に寄り添い甘えている。二人の女性の内年かさのそれに甘えるようなその姿は年齢相応であり、実に幼気で愛らしい。
(巫女と神馬……そう城内には彼女たちを呼ぶ者も多い。実際、童神の従者なら他に呼びようもないがな……)
彼女たち親子の石高、と言うか俸禄は二十石と言うことになっている。
それとは別に童神のためのそれとして五百石、その愛馬のために十石の領土を割いている。実際には単に計五一〇石の分のそれを為信の懐に納めずにいるだけだが、それでも少なすぎるとさえ思っている。
何せ、伊達や最上も童神のためにと称して米を送って来るような有様であり、現状童神の「石高」は千石どころか千五〇〇石近くになっている。そしてそれでも安すぎると言うのが為信たちの評価だった。
「申し訳ございません、我々はあなたに対しまだ恩を報いられておりません……」
「オン…………」
「それなのに、また力をお借りする事になってしまうかもしれませぬ……どうか、我々をお導き下さい……」
「ちょっと!」
「……」
為信は極めて低姿勢に、跪いて土下座までしそうになった。巫女とか言われながら為信の家臣である女性が止めるが、童神は何も動こうとしない。
「ブルル…」
「カシコ、マルナ……」
だが神馬の鳴き声により童神は右手を前に出し、これ以上動く必要はないと為信を制した。
神馬の鳴き声はどこか柔らかく、本来人を導くべきはずの神と言う存在を導いているように思える。
いや、導いていると言うより、諌めている。ずっと気を張っていたであろう存在が、腰に寸鉄も帯びずに訪ねて来た相手をまるで仇敵のように睨むのをはしたないとたしなめるかのように。
そう、どこか母親的である。
母親と言うなら巫女母娘の母の方が母らしいが、どうもあまり懐いている感じはない。
まさか馬から生まれたのか、確かに神であるとしてもまるでオシラサマみたいなお話だ。オシラサマはオスであろう馬と人間の娘の婚姻が成就しなかった話だが、もし性別が逆でかつ成就していたらこんな神様が生まれるのだろうか。
「我々はこれから、また戦に出向かわねばなりませぬ。その際に共に、とか言う図々しい事は申しませぬ。ただこの国の民を守って欲しいのです」
「マモ、ル……?」
「我々は戦いたいのです。戦わねばならぬのです。この地の民のため。果たして為政者と呼ぶに値するのか確かめるために。百姓に生まれながら、関白になった存在と!」
「ヒャクショウノカンパク……?」
百姓と、関白。あまりにも不釣り合いな二つの言葉をつないだ結果生まれたのが豊臣秀吉である。
その存在を認めるのは古ければ古いほど困難であり、東北と言う地においてはなおさらだった。
「……マサカ」
「まさかと思うかもしれませぬが本当なのです!どうか、どうか!」
「……ナニヲ、ノゾム?」
その存在を必死に訴えかけるべく頭を下げ、ついに土下座しようとする為信を前に、童神は何かを吞み込んだような顔になった。
「ですから……」
為信は、必死に訴えた。
まるで、文字通り神に祈るように。
大事なのはただ一つ、自分たちに付き従う民百姓であると言わんばかりに。
※※※※※※
「まったく、夜も眠れませぬ!」
そう吠えられた蠣崎季広は、急速に老けたような顔をしていた。
隠居人とは言えまだまだそれなりに権力を持ち辣腕も振るう予定だったのに、正直ちっとも落ち着けなくなった。
八月下旬に入ってから、領国が荒れ出していた。
人的犠牲こそないが、建物が壊され作物が盗まれ木が斬られと、次々と異変が起こる。
もちろん兵たちを派遣して警護に当たるが、下手人の姿は見つからない。
見つかったと思いきや全く関係ない町人だったり、ただの獣だったりする。ましてや蝦夷地であるから、九月(≒新暦十月)となればかなり寒くなる。雪こそまだないが降るのは時間の問題であり、作物の被害や建物の破壊はそれこそ生死にかかわる問題であった。
「まったくどうしたらよろしいのか……」
「このままでは人が殺される前に死ぬわ!」
追いかけても、追いかけても捕まらない。
まるで、煙のように現れては消えて行く謎の刃。
蠣崎が領国を得るに当たり殺めた人間たちの霊魂かと思い祈祷もしてみたが、効き目はない。
やがてひと月が経つと、領内はすっかり疲弊していた。かろうじて雪には間に合わせる事が出来そうであったが、それこそそれ以上の余力などないほどになってしまっていた。
「大浦からの使者でございます」
そんな所にやって来た、大浦為信からの使者。わざわざ海を越えて何のつもりだかと思っていると、一通の書状と多数の米俵だと言う。
安東とは微妙な関係ながら一応主従に近い以上、安藤を滅ぼしたも同然の大浦からの救援を突っぱねる資格が蠣崎にはなかった訳ではない。だがそんな事をする意味など何もなく、ましてや食糧がなくなりそう中米を寄越して来た以上聞かない理由もない。
「よこせ」
慶広は口だけでも虚勢を張ってみるが、手は震え目線は定まらない。ただでさえ応急処置だらけの中ではどんなに気を張っても虚しいだけであり、それこそ負け犬の遠吠えだった。
「伊達・蘆名・最上・大浦四家の後背を突かぬと約定願いたし」
たったそれだけだった。
だがそのたったそれだけの文章が、慶広の心をわしづかみにした。
(最初からわかっていた、と言うのか……!?)
蝦夷地と陸奥の海峡を越える苦難は半端ではない。ましてやこの晩秋と言うか初冬ともなると海は荒れ、それこそ死者が出てもおかしくはない。時をうかがわねばならず、蝦夷地に着いてからも道中と言う物がある。
それこそ、本当の本当に一か月かかってもおかしくはなかった。
「何の造作もない事だと伝えろ!いや、守広に伝えさせに行く!」
慶広の心は折れた。季広もすっかり意欲をなくし完全な隠居人になっていた事もあり、その決定に異を唱える事もないだろうと言うその判断に従い慶広は弟を実質人質として差し出すと言う形での約定、と言うか事実上の服従を決めた。
急がねば冬が来ると言う事で次の日の内に守広は館を出て、海を越えに行く事となった。
その行列を眺める、一人の童子。
ほんの少しだけの不満さと、それ以上の充足感を持った童子。
「……チチ、ウエ……」
これまでのようにできなかった事。
これまでのようにしなかった事。
自分を苦しめたその存在を、もう十二分に痛め付け心と腰を折ったと言う満足感。
その全てと共に、童子は海岸へ向かって走って行った。
盛岡へと、走って帰るために——————————。
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