四国同盟

 天正十五年、八月十五日。



 米沢城の片隅の小屋に、四人の男が集まっていた。


 車座になった四人の前に横たわる、正方形の和紙。


 同時に頭を下げようとした四人であったが、一人の男が真っ先に頭を下げてしまう。


「ああっと……申し訳ございませぬ!」

「気にするな。我々とて間がわかっておらなかったと言うのは同じなのだから」

「いやいや、緊張するのは当然でありましょう。それがしとて全く同じなのですから」


 車座ではあるが一応一番偉そうな立場である人間がその一番若輩な存在をたしなめ、笑い声を上げる。

 武家たちの長が集っているにも拘らず、実に和やかな雰囲気だった。

 そんな中一番年嵩である存在の手により一本の小刀が置かれた。

 殺傷能力などなさそうなほどに切れ味の悪いそれだが、身体から血を流させるには十分なそれだ。


「伯父上。ありがたき物を」

「年長者の責任と言う物がある。何なら私が真っ先にやってもいいぐらいだが」


 御年四十二の最上義光は、三人を眺めながら笑っていた。


(この三人に放り投げてしまうのも悪くはない……だがわしにもまだわしなりの役目がある。あの石部金吉な上杉に見せつけてやらねばならぬ、な)


 義光の甥二人の内、兄の政宗はこの状況を素直に楽しみ、興奮していた。

 一方で弟の政道は先ほどのようにまだ戸惑いがあり、それでも必死について行こうとしている。

 部屋住み同然だったのがいきなり六十万石近い蘆名家の当主に担ぎ出されたのだから無理もないが、それでも懸命な姿勢は人好きのするそれだった。政宗のような危うさはない事が魅力でも欠点でもあるが、それゆえにこの中ではむしろ重要かもしれないと義光は見ている。


 そして、自分より四つ下の大浦為信には自分と同じ臭いを感じていた。


 此度はたまたま、あの童神とやらのおかげで幸運が降って湧いた。だがその幸運をつかみ取り離さず、さらに広げようと努力できるほどには器の大きく先の見える男。何よりこの事件の前に既に豊臣秀吉に接触して南部とは別に自分たちの領国の確保を図ろうとするなど、半端ならぬ行動力であり同時に視野もかなり広い。北出羽攻略戦では友軍だったから助かったが、敵味方になったらわかりやすい政宗や政道よりも危険かもしれない。

 為信が戦略を張り、政宗が戦場で指揮をとり、政道がその手足となって戦う。その構図でやられた場合、最上や佐竹どころか上杉でさえもひとたまりもないだろう。と言うか、自分の出番はないかもしれない。



「大浦殿。貴公は何か持って来なかったのか?」

「すみません、総五郎を皆様に」

「それで良い。わしも次男を見せた。そこの二人と違いわしらは親父だからな」


 だがその体勢を築くには、誰かが重石にならねばならない。政宗と政道は伯父と言う立場を振りかざせばいいが、

 政宗と政道は伯父と言う肩書を使えばいいが、大浦為信はそうもいかない。ならばこそここで、はっきりと自分の仲間にしておかねばならない。


(輝宗公は政宗に丸投げする気だろうな。確かにそれもまた潔いかもしれぬ、まだ四十二のはずなのに潔い事だ。まさかわしにそれをやれと言うのか?……まあそれもよかろう)


 政宗にも政道にもまだいない、子どもと言う切り札を使える身同志として。無論半ば人質ではあるが、それでも悪い流れではない。為信共々次男を従兄弟同士とか言う縁で預けさせ、そのまま友好の証に使わせる。


 年長者として、そんな道筋を教えてやった事ぐらいは褒められてもいいと義光は思っていた。




※※※※※※




 政道からしてみれば、既定路線だった。そのはずだった。

 それなのに緊張してしまい、気が逸ってあんな失態を犯した。

「落ち着きなされ、年少者の特権でございますから」

 元々兄の家臣で蘆名家に移るに当たり付いて来た鬼庭良直は事前にそう言ってくれたが、それでもどうにも座りが悪い。


 あれほどの大戦に勝利した兄。当主になるまでに騒乱がありなってからも不安定な状況を乗り切った伯父。そして米沢よりもより寒い大地から行動力を見せた為信。

 そんな存在と自分は肩を並べて良いのか。


「どうした小次郎、厠か」

「そのような!」

「何だ違うのか、まだ八月なのにそんなに震えてどうしたのかと思ったら。もう少し我慢してくれぬか」

「私だってもう…!」

 二十歳です、とは言えない。政宗と一つしか違わないくせに強烈過ぎる兄に埋もれてしまっている。越える事などはとっくのとうに諦めているはずなのに。

「お前はどう考えても先に死ぬぞ、だから大事にされねばならぬ」

「何をおっしゃっているのですか!私はもっとも若輩です!」

「では誰が北条から攻められた時に矢面に立たされる?」

「それは…!」


 そして、兄からのおちょくりに対していきり立って反応して、すぐに自分の立場に気が付いた。


 西の上杉はまだともかく、南の北条が自分たちに対峙する時真っ先に関わるのはどう考えても一番南の蘆名だ。と言うか上杉が生きている限り、自分たちは芦名領を通らねば南下する事すらできない。


「……」

「これこれ伊達殿、兄弟とは言え少しやり込め過ぎではないのか」

「兵のない将とか言う馬鹿げた存在もそうそうございませぬからな。小次郎、兵を大事にしろ。金上盛備の二の舞を演ずるなよ」


 金上盛備。

 蘆名の執権と言われた彼の事は、蘆名政道となる前から学んで来たつもりだった。

 だがいざ蘆名家の当主になってみると、兄たちの功績もあろうが盛備と言う人物はすっかり逆臣、佞臣扱いになってしまっており、自分の頭の中だけの「蘆名家」をあがめ現実を見ない夢想家扱いもされていた。全てはあの童神のせいであろうとは言え同情もしたが、それ以上に蘆名家の新当主としての期待感も感じられた。


「しかし兄上!蘆名家としましては!その最上様の刀を持って真っ先に成し遂げたく思います!」

「ほう…」


 今の蘆名が、事実上何もない事を政道は知っていた。

 と言う事は、自分の色に染める事が出来ると言う事。

 

「そうですか…では」


 その色を、赤い血にするのはあまり気が進まない。

 それでも、政宗の言う通り真っ先に矢面に立つ以上後戻りはできないしする気もない。


 ならばとばかりに、政道は義光から小刀を受け取り、自分の親指に押し当てた。

 指先から血がにじみ出し、指を染めて行く。


 これからもっと、多くの返り血を浴びるために。


 


※※※※※※




(フン…小次郎め、どうやらわしの薬が効いたらしいな)


 蘆名政道の実兄は、内心嘯きながら弟の親指の後に目をやった。

 武士の証をいかんなく示したその指紋はきれいに輝き、薄汚い小屋の中で鶴のようになった紙そのものに力を与えている。


「さて…次は年の順から行くとそれがしの番です…かな?」


 弟のそれが終わった以上次はと思い政道から小刀を受け取ろうとするが、義光が目で待てと訴えて来る。一体何のつもりなのかと思ったが、じっと待っていると義光が自分の人差し指を自分の顔に向けていた。

「伯父上、なぜまた」

「伯父上ではなく最上殿と呼んでもらいたいが」

「最上殿、なぜまた」

「安直ですな。まあそれはさておき我々はなぜここに集まっておられる」

「それとはこれとは別問題です」


 政宗は、義光の意を理解した。


 一応こんな車座を作り傘連判状を作ろうとしているが、現実と理想は違う。

 もし、自分があの時ああしていなかったらと言う話で一番責任が大きいのは誰か、答えは明白だった。小次郎は論外、大浦は南部の空白に乗じて動いただけで、最上もただ戦をしただけである。


「ですが長幼の序と言う物が」

「小次郎殿には悪いですが責務の多寡と言う物もございます。確かに父君は健在ではありますがそれでも伯父とか言う話を取っ払えば」

「総大将は最後まで控えておれと」

「まあそうです」

「でしたらそれこそ序列、と言うか指揮権の順位ぐらいは考えておかねばなりますまい」


 総大将が、勝てば功績を独り占めできると共に負けた瞬間生贄になる事を知らない訳ではない。総大将の首はそれこそ千金どころではない財宝であり兵たちにとって主君の命より大事なそれだった。だからこそ皆敵総大将を狙う。普通ならそんな安直な話があるかいとなるが、それでもこれからの戦いを思うと笑いごとでもない。


(これからは過酷を極めたそれとなる……北条はまだしもその次はそれ以外の全てを手に入れているに等しい存在……)


 そのために、覚悟が要る。

 その覚悟を、背負うのは難しい。たった一人では。なら、その時のために。



「なるほど。万一の時に誰が指揮を受け継ぐかと」

「無論同じ戦場にいてこそですが」

「しかしその場合総大将と言うか一番手は」

「やはりそれがしですか」

「ええ」

「わかり申した、謹んでお受けいたしまする」


 もちろん、言いだしっぺとしてその役目を引き受けねばならない事は先刻承知である。


 そしてそんな時が来ない事を願い、来た場合についての備えをすべく政宗は話を進め、一つの答えを出したのである。

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