佐竹義重の最期
「ライ…チョウ…」
ライチョウとか言う言葉をつぶやきながら向かって来る、三歳児の姿をした存在。
だがその自分の背丈並みの長さの刀は既に血に濡れており、今日一日で何人を骸にして来たか数え切れないと言う事がよくわかるそれだった。
「来たか…」
「お館様!」
「何を言う、息子を殺されて逃げるとか武家の当主としての面子がなくなるだろうが。義宣はその事を知らんらしいが」
「存じておいででした!」
「ついさっき全軍撤退と!」
「馬鹿者!それはお前たちだけ逃げろと言う意味だ!義広を殺されておいておめおめ逃げろとか言うのか!」
「ええ!」
側近がやけくそで叫んだが、義重はちっとも動かない。
むしろここまで無茶苦茶にしてくれた存在を前に武士として戦いを挑んでやりたいと言う気持ちの方がむしろ勝ってしまっていた。
「どうせ伊達軍にこれ以上追撃をかける余力などございません!」
「伊達だと?今更そんな存在なんか気にしておるのか?今のわしにとって、伊達なぞどうでも良い。わしはわしの息子を含む友軍たちを踏みにじった輩を野放しにする事など出来ぬと言っておるだけだ。まさかそなたはわしに忘恩の徒になれとでも申すのか」
「申します!」
「わかった、わかった!わしの首根っこを掴んで引きずってでも逃がしたいのだな、だったらお前だけ逃げろ」
結局義重は、側近の制止を振り切って戦いに臨む事となった。
残った兵は、見た所半数余り。
つまり、四千七百ぐらい。
(これだけの数を擁して勝てないとか!そんな戯れはもういい加減終わりにしてやる!)
迫って来る敵。
怖じるどころかますます高揚して来る。しかもその後ろに敵はいない。やはり伊達軍に余力などなく、これが実質的な最後の追跡軍のようだ。
「よし!全軍一斉射撃の用意!」
遅滞行軍が幸いしてか、体力はたっぷり残っている。
鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いんとか言いたければ言えばいい。
これ以上、何が何だかわからない存在に惑わされる訳に行かない。すべては、後世のためにも必要不可欠なのだ。
兵たちも銃や弓を構え、たった一人の標的に向かって銃口や矢を向ける。
一騎当千だとしても、所詮は千人分。
この数を突破して見ろ。出来たら褒めてやる。
「撃てーーーーーーーーっ!」
まるで開戦すぐのような声と共に降り注ぐ、矢玉の雨。
童子に直接向かうそれは多くないが、それでも童子の四方八方を囲むだけには十分な量だった。
いや、四方八方ではない。
十六方、いや十七方だ。
(どんなに宙を舞おうとも、この弾幕を避ける事は出来ぬ。逃げ道があるとすれば地に潜るだけ……まあ土竜でもあるまいしな)
上にも放たれた攻撃。これまで上へ飛びあがって攻撃をかわして来た敵の力を見ていればこそのそれ。逃げるとすれば土に潜るしかないだろうそれ。
そして敵は、今まで抜きっぱなしにしていた刀を急に鞘にしまった。
「見たか!ついに匙を投げたのだ!我々は、我々は勝利したのだ!」
義重は声高に叫ぶ。
この大軍を前にして、全てを捨てたかのようにただ逃げもせず走り込んで来る。あるいは刀を抜いていれば矢を弾き返すぐらいの事は出来たかもしれないのに、それすら放棄した。
確かに強いかもしれないが、所詮は人間。所詮はただの武士。若い芽を摘み取るのは仕方がないが、それが佐竹にとっての毒草となるのならばやむなし。
義重は、偉大なる若人を見送る準備をしていた。
「ああ、あああ、あた、たたた…」
「どうした」
「当たった、当たった、当たったはずなのに…!さ、さん、三発は、頭に…胴に…!」
しかし、結果は真反対だった。
確かに矢玉が命中したはずだったが、全く止まらないどころか平然と走っている。
銃弾は頭に二発、胴に一発。
矢に至っては七発ぐらいは当たっていたはずだ。
それなのに、全くの無傷。血の一滴さえも出ていない。
「よ、よく見ると、刀にしか血が付いてなかったような……」
そしてとどめの一撃。
佐竹軍の中の、注意力ばかり急成長していた兵士がつぶやいた一言。
それだけで、戦の行方を決めるには十分だった。
「うぎゃあああああああああああ!」
「ば、ば、ば、バケモノォォォォォォ!!」
「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」
「もうダメだぁぁぁ!」
五千近い兵たちが、一発で崩壊した。
もう今日だけで何度起きたかわからない現象が、最後にこの佐竹軍でも発生した。
「ええいまがい物め!本物はどこだ本物は!」
「あれが本物ですよ!」
「やかましい!徹底的に撃ちまくれ!」
義重は顔を真っ赤にして叫ぶが、射撃音はついさっきまでと比べて数十分の一になり、悲鳴の数が数十倍になっている。
快晴の空が実に疎ましく、舗装された草むらなどない道が実に厄介だった。どこに敵がいるのか、あまりにもわかりやすい。わかりやすすぎる。
「敵が刀を抜きました!」
「受け止めるぞ!」
それでも目の前から敵が来ている以上、受け止めるしかない。
残った兵は武器を手に取り、童子に立ち向かう。
だが、真っ直ぐ突っ込んで来たはずの童子はいきなり右側へと、まるで音も立てずに突っ込んで来た姿勢のまま走り、そして目の前の存在に斬りこんだ。
平たく言えば、佐竹軍の右斜め前からである。
「うわ!」
「ああっとぉ!」
街道は佐竹軍の東側にあり、今もその逃げ道を通って数多の兵が阿鼻叫喚の中常陸へと帰ろうとしている。遠くなるにつれ悲鳴がなくなるのはおそらく佐竹義宣のおかげだろうが、いずれにしてもほとんど戦う気をなくしていた身からしてみれば最悪の方向からの攻撃だった。
「お助け、お助けぇぇぇ!!」
「わしらが、わしらが何をしたとぉぉぉぉ!!」
その言葉を最後に、次々と何の罪もない兵が命を落として行く。腰を抜かし四つん這いになって辛うじて街道の方に逃げ出す兵たちも続出し、幸いなことに童子に追われる事はなかった。
だが同じ腰を抜かした存在でも義重の方に逃げようとした存在は、次々と刃にかかって行く。もはや童子に刃を向ける存在は一人もなく、道を空ける気力すらない。ただ文字通り案山子のように突っ立っては斬られて行くだけであり、「佐竹軍」はもはや存在しないに等しくなっていた。
「どうした!誰か行かんのか!」
「早く逃げましょう!」
事ここに至ってようやく理解した義重だったが、兵の壊乱は全く止まらない。
「そうだ、岩城はどうした!岩城は!」
「左京様は既に、ご生害なさったと……そしてこのせいで蘆名もまずいと……」
最後に残っていたはずの左京こと甥の岩城常隆もまた、この世を去っていた。
しかも討ち死にではなく自害であり、残った兵は全て伊達側に投降。蘆名らとの死闘で疲弊した伊達軍に代わり、蘆名の追撃をやっているとか言う有様だと言う。いくら常隆が政宗の従弟だとは言え相当随分な話だが、寝返りそのものはまだ理解できるとしても自害までした理由がわからない。
けじめだと言うにしてもあまりにも潔すぎる。まさか常隆もあの童子に当てられたとでも言うのか。
自分たちは、たった一人に全てを覆されてしまったと言うのか。
これまでの全ての労力を。修練を。内政を。
いったい何が悪いのか。
不誠があったのか。修練を怠ったからなのか。
「教えろ!いったい何が悪い!」
返事は返って来ない。
義重に返事をしていた存在はもう付き合いきれないとばかりに逃げ出し、残っている兵は肉体的にはともかく心理的に再起不能の状態になっている。失禁しているのはまだいい方で、突如高笑いしたり自らの武器で自らを突いたりするなど、もはや地獄絵図以外の何でもない。
常陸源氏の末裔として、あまりにも不甲斐ない姿だった。
「ハハ、ハハ…ハハ……」
「何を笑っている!」
そしてついに、童子が義重に向けて迫って来た。
笑い声かと思ったが、口元は全く笑っていない。
もはや敵は自分一人と見たか、足を止めてこちらをにらみつけている。
「ユル…サヌ…」
「それはこちらのセリフだ!覚悟せい!」
「カエ、セッ!」
カエセ。
何を返せと言うのか。何を奪ったと言うのか。
「うるさい!」
そうとしか言いようがない義重が刃を振り下ろすが、次の瞬間童子は義重の視界から消え、義重の愛馬は突如大きくいなないた。
「おいどうした!」
今の今まで一度も暴れる事のなかった佐竹義重の馬が、耐えきれぬように北へと走り出した。
「おい何処へ行く!」
「ヒヒーン……」
北と言う名の方向が何を意味しているか分かっていた義重は必死に手綱を握るが、馬はちっとも言う事を聞かない。
上に乗せている人間の気も知らず、実に悲しげに鳴く馬。
いや、悲しげである以上に、どこか嬉し気でもあった。
そして突如暴れ馬と化したその愛馬と並走する、一人の童子。
「カエセ…!」
二度目のその三文字と共に、童子の体は宙を舞い馬の主の首に刃を当てた。
首を失った肉体はそのまま馬から落ち、主を失ったはずの馬はまた嬉しそうに鳴く。
そして義重の首を刎ね飛ばした少年は、義重の愛馬に乗って北へと行く。
主人の愛馬を取り返そうとする殊勝な兵たちはもう、いなかった。
こうして、人取橋の戦いと言われるそれは終わった。
伊達軍も必死の抵抗で五百の死者と千二百の負傷者を産み出したが、それ以上に連合軍の打撃が莫大過ぎた。
死者だけでも佐竹義重、白川義親・義広親子、石川昭光、岩城常隆、金上盛備とこの場にいたほぼ全ての将が命を落とし、無事生還できたのは佐竹義宣を除くと蘆名亀王丸と言う童子と戦場にいない阿南姫ぐらいだった。
そして岩城軍は全面的に伊達に投降、白川軍と石川軍は壊滅、佐竹軍も半数しか帰還できず、蘆名軍も強引に突進したのと追撃の際の打撃で一万の内二千が死にその倍の数の兵が負傷した。まともに残っているのは二階堂軍ぐらいであり、それとてもちろん全くの無傷ではない。
それ以上に此度将兵が受けた心理的打撃がすさまじく、生存者たちの中で今後戦に堪えられる存在が何人いるかと言う話になってしまった。少なくとも伊達とは戦えないと言う兵が、残った佐竹軍の中でも二割ぐらいはいた。
死傷者に加えそんな存在を差っ引けば、それこそ残っている兵は三万どころか一万すら怪しいかもしれない。四倍以上だった兵力差が、二倍にも満たなくなっていると言う事である。と言うか犠牲者の数で行けば千七〇〇対二万であり、一対十二ですらあると言える。
これがまごう事なき、現実に起きた戦の結果だった。
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