第三章 伊達政宗の方向

北条氏政は戸惑う

 酸鼻を極めた人取橋の戦いの経緯は、上田城のそれと違いあっと言う間に広まった。




「何度聞いても信じられんが」

「しかし事実です。伊達どころか佐竹の連中すら言い触らす始末ですから」


 小田原城天守閣でも、北条氏政が風魔小太郎からの報告に首を捻っていた。


 突如三歳前後の童子が現れ、反伊達連合軍の将兵を切り刻んだとか。

 しかも佐竹義重・義広親子も死んだとか。


「佐竹は」

「残存兵が新たに当主になった義宣の下団結しており、たやすく崩れるとは思えませぬ」

「わかった。よく調べてくれた、下がって良いぞ」


 氏政が頭を下げると同時に、小太郎は消えた。




「三歳児が……か……」




 三歳程度の童子が、刀を持って戦場をあり得ぬ速度で駆け回り、連合軍の将を次々と切り捨てた。


 駆け回るだけでなく高く舞い上がり、身体を動かさぬまま走り回り、それでいて返り血の一滴も浴びはしない。


 こちらの攻撃はちっとも当たらず、羽織袴の布が斬れる事さえない。まるで幻影の様だとか言うにしては、武器だけは当たる。


 どう考えても、まともな人間のそれではない。

 忍者か、という可能性については義重自ら唱えていたが、この展開を思う以上否定するしかない。


「佐竹がああなった以上、関東を攻撃するのに絶好の機会ではある。だがもし、その存在とやらが我々北条に刃を向けるのであれば……」


 北条にとって長年もっとも厄介な敵は、上杉謙信だった。関東管領の領国を奪った北条は謙信にとって伝統の破壊者であり、それ以上に弱者をさいなむ存在だった。もしその三歳児とやらが弱者救済とか言う年相応と言うにしても青臭いそれで動いているとしたら、次の目標は自分たちと言う事になりかねない。

 小太郎の言葉を聞く限り、その童子は明らかに伊達、と言うか追い詰められている側の味方をしていた。もしここで…とか言うのは屁理屈の類かもしれないが、現状彼に対抗する手段はない。それこそ神にでも祈るか、同一の力を持った存在同士戦わせるしかない。


 そして、後者については当てがあるのも事実だった。


 真田だ。




 三月前に徳川が真田昌幸を攻めた際に、三歳児ではなく三十路ではあるが似たような力を持った侍が現れたと言う。

 彼はとんでもない速さで大地を駆け、高く舞い上がり、榊原康政以下数多の徳川の将兵を切り伏せて姿を消した。


 背丈以外、ちっともやっている事は変わらない。



 しかも。



「真田めはその存在を把握し、利用していたとも言う!真田の手先とも思えん存在をだ!」



 氏政はひとり、畳を右の拳で叩きながら喚く。

 返事なんか返って来ないし、誰も求めていない。


 徳川の敵ではあるが、真田の味方とも思えない存在。


 でなければ、上杉の援軍をわざわざ呼んだりするだろうか。まさか上杉の手勢に自分たちの力を見せ付けるためだとか言うのならば随分な話であり、とんでもない思い上がりである。上杉は越後と佐渡で六十万石はあるが、真田はせいぜい五万石ぐらいしかない。その謎の存在が味方しなければ鎧袖一触だっただろう。そんな存在がなくとも徳川を退けられたかもしれないが、それでもあそこまでの大勝になっただろうか。わざと本城に引き付けるまでなら北条もやったし、川の水の氾濫を利用するのはなかなか大した策略ではある。だがそれだけで、あそこまで一方的な勝利が出来るとも思えない。


 徳川はあれから、大きく動揺している。


 上田城の惨敗をきっかけに真田が上杉を通じて秀吉の傘下に入っただけでなく、酒井忠次と並ぶ宿老であった石川数正がいきなり秀吉に寝返った。上田城の戦いのせいであるかないかはともかくにせよ、徳川の屋台骨は派手にぐらついていてこちらに干渉する余力はない。下手するとこのまま秀吉に頭を下げなければならなくなるかもしれない。

 だが佐竹が弱っている事もあり北条にとっては西も北も絶好機だが、もし家康が秀吉に頭を下げると秀吉の勢力と接敵する事になる。となると北が狙いだが、それはそれで安直すぎるしさっきも言ったようにあの童子が弱者の味方様ヅラして出てくるかもしれない。



 と言うか、あれはいったい誰の味方なのか。

 

(上田城と人取橋に出たそれは同一の個体ではないが、無関係と言うのも無理がある…)


 三十路と、三歳児。


 親子と考えればつじつまは合う。実際自身と氏康は二十三歳差、自身と氏直は二十四歳差。


 推定二十七歳差の親子が、信州と奥州で暴れ回ったと言うのか。

 だがどうしても、暴れ回るような三歳児に心当たりがない。誰かの幼くして死んだ息子が生前の願望を表現するように武士にでもなったと言うのか。

 一瞬朝倉義景と愛王かと思ったが、子どもはまだともかく軟弱を極めたような義景があんなに暴れ回るはずがない。同じ織田信長に器にされた同士でも久政はまだ暴れそうであり長政は従容としてその運命を受け入れそうであるが、義景は来世でもそのまた来世でも二度と信長様には逆らいませんと震えているだろう。じゃ長政かと思ったが、享年三十歳の長政はともかく万福丸は享年十歳であり三歳児の姿を取る理由が思い付かない。


 いやそれ以前に、織田家に主人の武田を滅ぼされた真田はともかく織田家とは没交渉だったはずの伊達になぜ味方するのか。実は輝宗も織田信長と交流はあったのだが、氏政は余り探知していないしだとしてもその織田家に恨みがあってしかるべき存在が真田ならともかくなぜ伊達の味方をするのか。

 もちろんこれはその二人が朝倉とか浅井とかの関係者としたらの話だが。



「おい待て、なぜわしはそんな可能性を考えてしまった!」



 自分の思案を否定するように、首を大きく振る。



 なんでそんな、幽霊のようなこの世に存在しえないそれだと決め付けてしまうのか。

 確かに戦いぶりを聞くと人外のそれにしか思えないが、かと言ってそんなありえない可能性を信じてどうすると言うのだ。


 だいたい、戦の話は尾ひれがつくのが世の流れである。

 勝者は無論敗者だって、素直に生のままの事を伝えようとはしない。少しでも敗北による打撃を少なくするために情報に付いては気を配るものである。

 

 考えてみれば、どうして七千に三万がここまで大敗するのか。普通に戦って負けたとあらばそれこそ袋叩きにされても文句を言えないような大失態であり、適当に責任をなすりつけられる存在は必要なはずだ。


 そこで作り出したのが、上田城に現れたとか言う男のそっくりさん。三歳児とか言う設定は無理があるとしても、その男の兄弟親類と言う事にしてそんな風に徳川でさえもやった男がいるとか言う話を作り上げたのだろう。

 それならそれこそそんなのがいるからしょうがないなで済んでしまう。



 だがそれを通すとなるとやっぱり伊達にも人外めいた存在が味方していると言う事になってしまう。


 氏政の思案は、行き詰まってしまった。


「………………」


 氏政は考えても仕方がないとばかりに天守閣を出て城内を歩くが、ちっとも案は出て来ない。

 実際今回の戦や上田城のそれについても兄弟親族重臣たちに諮ってはいるが、まともな回答は出て来ない。


 長老と言うべき北条幻庵はと言うと

「例え実なきと言えど、万の耳目は実を作る。兼好法師はつまらん嘘でもいつの間にか真実になってしまうと言っておるが、此度の戦に加わった四万、いやそれ以上の人間の目と耳と口がそれを見てしまった以上、それが虚であろうがなかろうが事実でしかないのだ」

 と言う調子である。


 平たく言えば、実際に幽霊であろうと何であろうと、謎の童子が佐竹連合軍をめった切りにして伊達に勝利をもたらしたのは揺るがしがたい事実であると言っている訳だ。

 その上でどうすべきかと聞いてもその存在の真の目的が分からない以上、静観するしかなかろうとしか言われなかった。




 そんな戸惑う氏政の目にちらつく、白い塊。

 積もるには程遠い牡丹雪であり、時々冷たい雨が混ざると言うかそっちの方が優勢である。


 だが小田原と言う山城とは言え相模で雪が降る以上、上野や下野に常陸、ましてや越後に出羽、陸奥では—————。


「やむを得んか……兵たちに温かい酒を振る舞え」


 氏政は結局、先送りを選択するしかなかった。

 その間に真田と伊達を勝たせた存在が何なのか、風魔に探らせると言うのが今の自分にできる精一杯のそれである事を噛みしめながら、別の部下に申し付けて酒をふるまうように命じた。


 背筋が寒くなるのをこらえながら、謎の男たちが暴れ回ったと言う北を氏政は眺めていた。

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