宣教師たちの戦慄
今からひと月前。
急に関白・豊臣秀吉の名で出された法令は、九州の人間を揺るがした。
取り分け、白い肌をしていた人間たちはより一層その肌を白くしていた。
時に六月、真夏の九州だと言うのにだ。
「……秀吉は信長の後継者だと思っていたが」
彼らの言葉が、その衝撃を物語っていた。
日本人の事をあまり知らない彼らからしてみれば為政者の方針転換はとても奇異に思えた。
豊臣秀吉と織田信長の方針にさしたる変更などなく、これからも変わらずにいられると思っていたのだ。
キリスト教の宣教師たち、は。
考えてみれば織田信長も、その贈り物にしか興味を持たずキリスト教、この国で言う耶蘇教の教えは右から左に聞き流していた気がする。
仏教の寺院を壊しまくっていたのは別に反仏教でもなければキリシタンになった訳でもなく、あくまでもそれが最善手だと思うからやったに過ぎない。
それに信長から聞かされた比叡山延暦寺とやらの腐敗は正当化の要素が入っていたとは言え凄まじく、それこそルターやカルヴァンと言った心ある存在が新教を起こし反宗教改革と言う名の綱紀粛正運動をやらねばいけないほどに追い込まれた旧教の有様と大差なかった。それを宗教界内部からではなく俗権で押し潰した違いこそあれど、仕方がないと思わせてしまうだけの土壌はあった。
「あわてるな、秀吉はやはり信長の後継者だ。実利を手放す事はしない」
「だが既に知っているであろう、ザビエル聖の末路を。この国の住民は難敵しかいない……」
そして、この地の住民たちもだ。
およそ四十年前、この国に初めてやって来た宣教師フランシスコ・ザビエル。
二年かけてこの国にキリスト教を布教しようとした敬虔で知性高き宣教師であった彼が日本を離れてから一年後、インドで四十七にして客死したのは風土病などではなく疲れ果てて力尽きたからである事を皆知っている。
道中のインドや明で日本にはおよそ千年前に仏教が伝わり、民草の間まで普及しきっている事は知っていた。それでもこれまでと同じように真摯に一人一人確実に教えを説いて行けば、いずれは自分たちの信仰を受け入れてくれるとたやすく考えていなかった訳でもない。
だがそれでも、日本の民は予想外に手ごわかった。
(先人を非難する気もないし、まさかそんな事を言われるなど私自身思ってもいなかった。一応問答集は作ったつもりだったが、この地の住民はとっくに覚えているだろうな……)
キリスト教にとって、信心者は天国へ行き不信心者は地獄へ行くと決まっている。だが、それはキリスト教の教えが届いていない場所にいる人間は全て地獄へ行くと言う事になる。
だから「その耶蘇教って教えを知らないご先祖様は今地獄にいるって事か?」と言う問いが出て来てしまう。さらにそれに「自分の先祖も救ってくれない耶蘇教は随分と無慈悲な教えである」とか「自分だけ天界に行くなどとか言う不孝な事が出来るか」と言われてしまうと、正直対処の仕様がなかった。
それで現在では「無知と言う罪を神は許し、その上で天国へお導きになります」と言う回答を持たせているが、これは十分に元々の解釈を歪めた回答であり純粋な信仰を抱いてここまで来たスーパーエリートからしてみれば面白い話ではない。だが少なくともその穴を塞がなければ、スタートラインにすら立てない。
さらに言えば、日本は仏教絶対主義の国ではなかった。俗権がどうとか仏教のルター派やカルヴァン派のような分派があるとか言う話ではなく、それとは別に沢山の神がいた。
坊主とは別に神主と言う存在がおり、それがそれぞれの神に仕えて信仰を唱えている。両者は対立する事もあるが並立する事が多く、両者を信仰する民はちっとも珍しくない。それどころか複数の神社をまたぐような民も全く珍しくなく、それこそ三つや四つの宗教があると言う人間すら珍しくなかった。
「ヴァリニャーニ神父もおっしゃられていた。キリストのお教えも既に本来の物から変容して来た、信仰の形は一つではないと」
「それはそうだがな…もはや我々はこの地にいる事は出来ぬだろう。無論命を惜しむ気はないが、やはり秀吉が信長の後継者だとしたら結局我々は何も出来ぬ……」
信長もだが、結局秀吉も自分やこの国にとって邪魔であるか否かでしか判断しない。宗教と言う考えを持たず、持っていたとしても振りかざさない信長や秀吉からしてみれば、貿易にはうま味を感じてもキリスト教そのものにはもう意味などなかったのだろう。
それに秀吉は別に完全禁教にした訳ではなく、許可を取れば信仰は自由だと言っている。もっともそれは身分のある者に限られ、しかも宣教師はこれからいなくなるのでいずれは先細りの未来が待っているだろう。いや、あるいは在地教徒が新たに力を得て守って行くだろうしあるいは広めていくかもしれないが、それはもはや「キリスト教」なのか。あるいは日本と言う国の中で絶対神を崇める宗教は存在しようがなく、野蛮とか不毛とかではなく難攻不落の存在。いっその事宣教師の身分を捨ててただの南蛮人となってしまえばとか考え出すようなそれまで現れてしまっている現状は、あるいは追放令がなくとも危機的なそれと言えたかもしれない。
「あるいは教皇様すら説き伏せるかもしれぬ存在を前にして、我々は無力だったと言う事か……今はもう、尻尾を巻くしかあるまい……」
エリートたちが味わった、あまりにも大きな挫折。
いくら宗教と言う心を治める存在に根差していたとしても、長い船旅を乗り越えて来たとしても、それでも勝てない存在がいる。
その事をザビエルに続いて味わうのは屈辱ではあったが、それでもこれより辛い場所はないだろうと切り替え、先に進む。それだけが、彼らを支えていた。
「わーっ!」
そんな彼らの耳に飛び込む、現地民の悲鳴。
何だ何だと自分たちを監視していた武士たちがそちらを向く中、宣教師たちはそれもまた自分の役目だとばかりにイエス様の言葉を唱え、そちらに視線を向ける。
その先にいる、一人の武士。この地で見慣れたはずの存在だが、なぜか見覚えがない。
鎧を着て刀を持っているから武士なのだろうが、それにしてもどこか自分たちを見張る存在とは違う。
それに何より、走る速さが違う。馬に乗ってもいないのに馬よりも速く、しかも走る音が全くしない。化け物か。馬鹿馬鹿しい、いくら未知の地とは言え真っ昼間からなぜ。
そう思う間もなく、その武士は突っ込んで来た。
自分たちの所へ。
「あ…」
その宣教師の一言と共に、武士は飛び込んで来た。
そしてそのまま、武士としてすべき事をし始めた。
「神よ!」
そんな事を言えたのは最初の一人ぐらいで、後は言葉にならない悲鳴を上げる事しかできないまま次々と斬られて行く。
国外追放どころか、この世からの追放。
秀吉自らの指示とは思えないが、それでも現地民が秀吉に迎合しようとしてやったとしてもおかしくはない。
だが敵は一人。あるいは牢人が勝手にやったと言うのか。
そんな事はどうでもいい。逃げなければならない。
「神よ、我々をお救いた…」
逃げずに神に祈りを捧げた者もいたが、結果は何も変わらない。次々と真っ二つんにされるか首と胴体が永遠の別れになるかし、故郷よりはるか遠くの地で一期を終える。
剣士が、次々と「敵」を斬る。
ためらいと言う文字など、どこにもない。
「神よ……!」
どんなに叫ぼうとも、神は応えてくれない。
あまりにも、あまりにも無慈悲な現実の刃を前にして、宣教師たちはなす術などなかった。
武士の集団の長である黒田官兵衛ですらギリギリで凌いだ存在を知らなかった彼らの運命は、その時からもはや決定づけられていたと言うのはあまりにも過酷かもしれない。
だが哀しい事に神は彼らを守ってくれず、俗人たちさえもできなかった。
謎の武士の乱暴狼藉を咎めにやって来た豊臣家の武士たちの刃が届く前に、宣教師たちは一人残らずこの世を去った。
そして殺すだけ殺した男はそのままどこかへと走り去り、それから二週間近く誰の目にも止まる事はなかった。
そう、二週間近く、は。
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