上田城突入

 天正十三年、六月。


 のほほんとした進軍を送っていた一万の軍勢が、戦闘集団になって城をにらみつけていた。



「まだ普請途中と言う噂は本当か……」



 総大将・大久保忠世は笑う。



 真田の新たなる本城とか言われている、上田城。



 だが見た所、まだ完成形のそれではない。



「とは言え一気呵成とも行きますまい」

「数で勝っている以上、数で戦えばいい。なればこそ榊原殿にはそれ相応の役目を与えてみたのだがな」


 先頭が大久保忠佐の三千、次鋒が大将である大久保忠世の二千、三番隊が鳥居元忠の三千、そして殿が榊原康政の二千。

 なお殿は実際には大久保忠教の二百と榊原康政の千八百であり、忠教は真田の伏兵の迎撃を行う遊軍としての役目を与えられていた。


 真田の兵は、忠世らの予想通り二千。上田城に一点集中と言う訳でもなさそうだが、それでも鳥居隊と榊原隊がいれば対応は可能だろう。


「一応投降勧告でもしてみますか」

「無駄な時間を与える必要はない。攻撃を開始するように弟に言っておけ」

「はっ」


 そして予定通り、攻撃と言う事で決まった。


 そこから、型通りの攻城戦が始まったのである。







「撃てー!」


 銃弾と火矢が飛び、上田城の壁を傷つける。無論漆喰の塀などではなくただの板葺きだが、それでもあっさりと燃えたり倒れたりはしない。

 

 そして当然だが、反撃も来る。

 上田城と言う山地だからと言う訳でもないが、どうしても徳川方の射撃は撃ち上げのような形になってしまう。撃ち上げるのと撃ち下ろすのでは後者の方が射程が長くなるのは当然であり、この兵数の差にもかかわらず両者の射撃は互角だった。

「城門を破れ!」

 それでも少なくとも援護射撃にはなるとばかりに忠佐は城門への突入を命じる。真田軍は知った事かとばかりに射撃を続け、城門を破らんとする徳川方の兵たちをなぎ倒そうとする。実際被害者も出るが、被害者と言っても死者ではない。かすり傷ぐらい負おうが知った事かと言わんばかりに、突っ込んでいく兵士たち。

 城門の厚さも壁相応だろうとばかりに体当たりをかけ、不十分な蝶番を吹き飛ばしにかかる。上から時々妨害は来るが知った事かと言わんばかりに功名を求め名を惜しめども命惜しむなとばかりに兵たちが積み重なり、城門は虫の息だと言わんばかりに音を立ててきしむ。

 忠世も数でごり押しするやり方に疑問を感じない訳でもないが、それでも勝っている所を使って何が悪いと開き直ってもいる。

 

 そしてその開き直りが、結果をもたらす。


「よしやったぞ!」


 大事な正門とは言え普請途中のそれに過ぎないのだと言わんばかりに、丸太もなしに蝶番を吹っ飛ばす。当然羽目が外れた城門は倒れ機能を果たさなくなる。

 そこに向かって一番乗りだとばかりに、忠佐軍は突っ込む。これもまた型通りの展開だった。


 そしてそこから先が迷路のようになり本丸までたやすくたどり着けなくなっていると言うのもまた、型通りだった。

「うぐ!」

 さらに勇敢にも一番乗りを果たした人間が城兵の手により落命してしまうのもまた、型通りだった。




 だが。


「んっ」


 そこで繰り広げられていた光景は、少しばかり型を外れていた。




 城門の次に兵を阻もうとしていたのは、ただの木の棒。一応野戦で立っている柵のようになってはいるが、少なくとも射撃を完全に阻むだけの性能はない。いかにもにわか作りであり、兵たちの気勢を削ぐには十分だった。

 もっともそれですぐ投石と言う名の原始的にして徳川にとってある種のトラウマ的な攻撃がやって来るのだからすぐ気合を入れ直さなければとなるが、またすぐに気合を削がれる。


 武士の姿が、見えない。

 農兵とか言うならわかるが工人とか商人とか、農民は農民でも長男っぽかったりとか。


 と言うか、女子供さえいる。


 こういう場合女性は傷ついた兵士の手当てをしたり武具を運んだりするのが役目であり、自ら戦力として出てくるような事はない。

 それがなぎなたを持ち、こちらに斬りかかって来る。無論直接的な打撃は知れているが、それでも体勢を崩したり足を払って転ばせたりすれば戦果としては低くないし、何より下手に斬れば徳川の兵たちの心証も悪くなる。無論駆り出す方も駆り出す方だが、それでも徳川方としてはやりにくい事この上ない。

 

(ああもう面倒な!)


 大久保忠佐は猛将ではあるが、人の心を持たない化け物ではない。真田昌幸のやり方に憤慨すると共に、自分たちを侵略者として向かって来る人間たちの気持ちも痛いほどわかる。自分だってそれこそ武田信玄と言う侵略者相手に戦って来たつもりだったが、そのほとんどが自分たちまでしか戦わずに済んでいた。

「やめろ!我々の目的は真田昌幸のみ!下がれ、下がれ!」

「お前らが下がれー!」

 つい気弱になって叫んでしまうが、上田の民は全く容赦がない。いつの間にここまで民を懐かせているのかと思うと腹立たしいと思う前に羨ましいが先に来るが、それ以上に信濃と言う土壌の特性を理解するしかなくなった。


 徳川も団結力は強いつもりでいたが、こればかりは真似できそうにない。百姓とはよほど主人が悪くなければどんな存在であろうと変わらずに租税を納め、前の主人の事を忘れたように過ごすと思っていた。それでいてまた新しい主人が来れば表向き尻尾を振ったふりをして従い、その素質を冷酷に見極める。そういう存在に見限られないように自分たち為政者側の人間は機嫌を取るものだが、それが行き過ぎると増長を招く事になるから難しい。

 


 —————とか言うのが三河や遠江の人間の発想であった。



 この信濃はそれこそ山中であり、他の村との交流も薄くどうしても閉鎖的になる。

 それゆえに村の中での団結は強くなり、その村を守ってくれる領主様の権威も高くなる。三河や遠江のような東海道と言う交通の要所とは訳が違った。無論この時代にも中山道の始祖のような街道はあったが海を生かせる東海道と比べると重要度は劣り何より武田信玄が整備していたぐらいだから歴史も浅い。

 真田を山猿とかバカにする人間も徳川にはいたが、そう考えると確かに別世界のそれであるとわかる。



「やむを得ん!」


 

 忠佐なりに悲愴感を込めた叫びだったが、上田の民には届かない。


 わかっていたとは言え、覚悟していたとは言え、嫌な戦だ。


 今更何と腐されようが気もならないし、勝利もつかみたい。



 しかも見た所、敵の数はおよそ二千。それこそ忠佐の手勢だけでは足りない。


 ならば。



「伝令!鳥居様が参りました!」



 そう思っていた所に、一番ふさわしい援軍がやって来た。


 総大将として汚れ仕事をやりにくい忠世や、四人の中で一番若い榊原康政ではなく、鳥居元忠。

 家康のためならば喜んでやってくれそうな援軍の到来に、忠佐は気合を入れ直した。




※※※※※※




「さらに援軍が来ているか……」


 信之が不安になる中、真田昌幸はまったく余裕の顔をしていた。


 忠佐軍三千に、元忠軍三千。合わせて六千。上田城を落とすにしては過剰とも言える兵力だった。


「とは言え民兵が突破されては」

「鳥居元忠は容赦のない男だが、それでも勝利よりは大久保忠世の方が大事だろう」


 総大将が討たれれば戦は負けである。一応万が一に備えて別の大将を決めておくとか言う方法もない訳でもないが、それでも兵たちの動揺は計り知れない。

 無論身も蓋ももない上に極めて困難な方法だが、それでもその一番単純で簡単な方法を実行するために誰もが頭を動かす。



 例えば。

「矢沢軍はもうすぐ到着します」

 真田昌幸が、従兄弟の矢沢頼康率いる別働隊を組織して大将・大久保忠世を横から狙わせるように。



「まあな。少しばかり厄介なのが混じってはいるがな」

「榊原が来るのは予想外だったのでは」

「それとて術はある。この戦は相手を退かせれば勝ちだ。榊原が必死になったとしても矢沢を追い払うのがせいぜい。それに…」

「忍びですか」


 

 忍者と言うのはそれこそ絶対的な切り札ではないが、人数から言えば十分な戦力である。矢沢軍に耳目を集めさせ、その隙に忍びたちに攻撃をかけさせる。

 そう書くと実にありきたりなやり方だ。

「とは言え徳川には服部半蔵がおりますが」

「心配性だな。半蔵は今筑前殿にくぎ付けだ。こんな戦場にかかずっている暇はない。言っとくが、お前が出たら兵たちはなお焦るだけだぞ。上杉殿もきちんと寄越してくれたようだしな」


 息子が腰を浮かそうとするのを止める昌幸の手は、年齢と戦歴の割に白く、すべすべとしている。ともすれば油断を誘いそうなほどの手に、真田昌幸と言う名前がくっついているだけで怖くもなる。


 実際、この時既に上杉の援軍は戦場に近づいており、もう少し我慢すれば真田に形勢は傾く事は信之もわかっていた。いくら父親の頭脳が頭脳と言ってもと、この時二十一歳の青年はまったく落ち着けなかった。




「申し上げます!徳川軍殿、榊原軍は大混乱の模様!」

「そうか…」




 それでも、父親が動揺を覆い隠しているのは読み取れた。




(確かに、早すぎる……忍びが焦りでもしたか?)




 ほんのわずかの沈黙から昌幸と言う父親の動揺を読み取れる程度には、真田信之も優秀だった。


「信之、行くか?」

「はい!」


 そしてその先の指示をすんなり飲み込める程度には、勇敢だった。

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