少年、再び

「ククククク……」



 金上盛備は、不敵に笑っていた。


 八千の蘆名軍の先鋒として、薄くなって行く壁をこそぎ取る。決して脆くはないが、厚くもない壁。



 五十九歳にもなって、戦を楽しむ余裕があった。



 今更命が惜しいような年でもないとか言う気もないが、それでも自分を過大評価するつもりはなかった。


 自分に向けられる槍、刀、矢、鉄砲、そして罵声に歓声。


 その全てが、盛備の心を満たしていた。


「(甘い、甘いぞ、政宗……蘆名の執権とか言われておるが、所詮執権は執権。いくらでも替えは効く。小童どもめ、わしを蘆名の当主とでも思い込んでおったのか!)」




 敵大将を狙うのは、それで軍が指揮系統を失い壊滅するから。


 だがこの時盛備は、既に自分が死んだ後の事も息子の盛実に託してある。息子の出来はこの際ともかく、自分がここで討ち取られようともその準備はとっくに出来上がっていた。


 平たく言えば、伊達軍が蘆名軍全軍を動かしていると思い込んでいた盛備を討った所で、蘆名軍は痛くも痒くもなどないと言うのである。もっともこれはさすがに過小評価だったが、それでも蘆名軍の将兵と事前に打ち合わせていた事は事実であり、将兵たちに覚悟を決めさせていたのは間違いなかった。


 そして盛備自身、連合軍とか言ってはみたが蘆名の手で決着を付けたかった。


 蘆名の手により伊達を打ち砕いてこそ、その存在を示す事が出来る。

 諸侯はともかく佐竹の力を借りては功績が分散されてしまう。

 盛備もまた、政宗とは違う形とは言え東北の支配者になる事を望んでいたのは同じだったのだ。


「(島津でもあるまいし!政宗がいかに有能であろうとも一人でどうにかなる物か!)


 盛備は決して、井の中の蛙ではない。


 はるか遠く九州の戦況についてさえ知っていた。


 長らく大友・島津・龍造寺の三国時代があったが、十数年前に大友宗麟が敗れてから大友は後退、さらに龍造寺もまた去年島津に敗れた。

 その勝因が人、取り分け島津四兄弟と言う兄弟全員精鋭のそれである事も盛備は知っていた。

 確かに伊達政宗は只者ではないかもしれない。だが所詮一人。

 一人で戦況をひっくり返すなど、不可能なのだ。




「金上殿!あれを!」




 そんな風に小僧たちを見下ろしていると、伊達軍がかなりの数の兵を動かしていた。

 こちらが破ろうとしている鬼庭軍の穴を、塞ぐように。

 

「見たか!」


 その邪魔くさいはずの存在を見た瞬間、盛備は一気に二十以上も若返った。




 間違いない。

 あの隻眼の大将は、間違いなく伊達政宗!



 伊達政宗自ら、壁となろうと言うのだ。

 左右の攻撃を機能させるために。

「これ以上の標的があるか!」

 と先に言ったのが自分なのか政宗なのか、そんな事はどうでも良かった!



「者ども!この戦、我々の手で終わらせるのだ!」

 盛備は野太い声を上げ、さらに気合を入れる。


 目前に迫った財宝を前に、顔が緩むのを必死で抑えた。


 左右とももはや崩れているのに、なぜまだ包囲戦もどきにこだわるのか。もはや最善手は見栄も外聞も捨てて逃げ出す事だと言うのに。ここまでやった以上負けても嘲笑する人間など少ないはずなのに。


(まだ万が一を当てにしておるのか…?しかしいったいどこの誰が兵を寄越すと言うのだ……まったく、つまらん意地を張りおって…)


 盛備はもはや、自分たちの勝利を確信していた。




 しかし、そんな盛備の耳に再び銃声が入り込む。


 それも、東側から!


「何だ!」


 目線をわずかにやると、どうも片倉軍に打撃がない。

 開戦当初のように悠々と横撃をかけている。

 二階堂はともかく岩城も石川も何をやっているのかと思ったが、岩城はこちらに混ざろうとしているが鈍足で、石川軍はちっとも動いていない。

「白川は!」

「一応前進はしていますが…」

 そして白川軍は、全くの遅滞行軍だった。

 どうせ出兵を促した所で

「蘆名軍がまだ大丈夫だと思いましたので」

 とかはぐらかすに決まっている。


 ありていに言えば日和見であり、美味しい所取りである。この調子だと石川軍も同じ調子であり、岩城軍も一応加わってはいるがおこぼれ狙いにしか思えない。

 と言うか二階堂さえも攻撃と言うより牽制と言った状態で、抑止力としてはともかく威力は知れている。

 自分たちが攻撃側だと言う事を全然理解していない。


「この戦いは逃げ切られたら我々の負けなのだぞ!」

 そう叫んで気合を入れ直すが、笛吹けども蘆名軍以外の将兵が踊ってくれない。

 伊達軍本隊も援軍の到来で息を吹き返したのかこっちを押しており、流れが変わってしまっていた。



 義重が見抜いたように、盛備が思っているほど各軍に伊達を本格的に再起不能になるまで叩く気はなかった。

 伊達政宗と言う暴れん坊に好き放題やられては困るからしつけてやろうと言う程度のお話であり、そのためだけに矢面に立つ気など誰もない。


 と言うか一番その必要のあるのが二本松を除くと蘆名であり、ある意味蘆名は元から弱い立場だったのだ。


(何を言うか!政宗の首を誰かに挿げ替えた所で伊達が唯々諾々と我々の言う事を聞く訳でもあるまい!と言うか政宗の首だけ取って終わりな訳があるか……!)

 残念ながらと言うべきか、政宗の伊達家内での人気は高い。無謀とも思える勇ましさに惚れてしまっている、若い家臣たち。ここにいる屋代景頼も片倉小十郎も二十代、伊達成実に至っては政宗より一つ下。そんな連中から政宗を奪おうものなら、それこそこっちが今の政宗の立場になりかねない。

 

 まさかそれを承知で——————————。

 

「ああもう忌々しい!佐竹殿に言って来い、このまま怠業を続けるようならばどうなるかわかっておるのかと!」


 二万をもって六千を圧倒できないと言う現状に歯噛みしながら、切り札を切る決意をした。

 佐竹軍一万が動けば、諸侯も動かざるを得ない。

 何より白川軍には義重の次男がいる以上、義重が動いたとあらば我先にと行ってくれるはずだ。白川軍が日和見状態なのは父と兄に追従しているからであり、二人が動いたと知れば付き従うはずだ。


 結局佐竹の力を借りなければ勝てない。

 これでは佐竹はますます威張るだろうなと内心ため息を吐くが、半ば諦めるしかなかった。

 

 伊達と、蘆名と、佐竹。

 東北を代表する勢力であるはずの自分たち蘆名と伊達ではなく、第三者の佐竹が全てを持って行くのか。こうなればいっそ佐竹と手を切って北条や上杉とでも結んでやろうかと思わせる佐竹の不誠をなじってみたくなるが、そもそも自分の尻も拭けない自分が悪い以上、声高に文句を言えないのが悲しい事実だった。


 とにかく今は、勝つしかない。


 だがいくら突っ込んでも首の皮一枚がちっとも切れない伊達軍を前にして、精神的な疲労が溜まって行く。

「殿!これ以上は!」

「やかましい!そなたこそ下がっておれ!」

「わしの代わりはいても殿の代わりは!」

「良直!悪いがわしはそこまで優しくないぞ!」

 大事に思っているのかいないのか、お涙頂戴とも暴君とも取れなくはない言葉を吐きながら、伊達軍は必死に抵抗している。まさか自分たちが弱いのか。

 いや、確実に防備は薄くなっている。逃げられるとすれば今が最後ではないか。

 佐竹軍が来ればもう間に合わないと言うのに、何の自信を持っているのか。その無根拠な自信がうっとおしく、そして腹立たしい。



「左右の抵抗は!」

「どうやら二階堂軍が本気になったようで左側からの攻撃はありませんが、と言うか東側からのそれも矢弾の底が見えたのか弱くなっております!」


 しかし、所詮六千の兵は六千の兵だった。必死に攻撃を加えていたためか、兵士たちの疲弊と共に物資がなくなりつつあった。

 これまでの攻撃で既に千近い負傷者は出ているが、もはやこれ以上広がる事もない。



「よし!勝利は我らにあり!」


 いくら兵たちの士気が高かろうと、もはやこれまで。

 刀剣同士の争いをされたとしても凌ぎ切れる、その間に中央を突き破れる!

 中央を突き破れば敵は崩壊し、後続も本腰を入れて落ち武者狩りに走るはずだ。


 今しかない!今こそ最後に気合を入れる時だ!

 長き戦いがついに報われる! 




「うわああああああああああ!」

「な、な、な、な……!」

「助けてくれえええええええええ!!」







 悲鳴が耳に入る。


 ついに敵の心が折れたか!



 そう確信した盛備だったが、それにしてはおかしい。



 何か有り得ない事が起こったのでなければ出て来ないような二番目の悲鳴。

 伊達軍のそれにしてはあまりにも遠い声。


 そして何より、なぜ自分たちの後方からなのか。


 まさか佐竹が自分たちをも裏切り——————————







「申し上げます!石川殿、討ち死に!」




 とか考えていた盛備の頭に、次の言葉は盛大に水をぶっかけて来た。


「馬鹿も休み休み言え!」

「いえ!およそ三尺の武者が宙を舞い、その武者の刃と共に石川殿の首も!」

「そんな虚報のせいでか!」

「いいえ確報です!」

「まったく、後にしろ!後で!」


 盛備が腹立たしさにかまけてそんな事を言い出すと同時に、報告してきた兵はいなくなってしまった。

 あれほど日和見を決め込んでいた石川昭光とか言う中立とも言えなくはない存在が、なぜ伊達方に斬られねばならないのか。もちろん自分たちにも斬る道理などない。と言うか、それが出来るような勢力がどこにいるのか。

 今すぐそのインチキしか言えない舌を引っこ抜くか、そんな虚像が見えてしまう頭をぶっ叩いてやりたい気分だった。


 だがその言葉と共に、伊達軍の反撃はますます激しくなる。むしろ自分が有利だと言わんばかりに燃え上がり出し、突進力が弱ったこっちを逆に押して来る。

「金上殿…」

「うるさい!蝋燭の火の燃え尽きる前とはこんなものだ!」


 盛備がいくら叫ぼうとも、蘆名軍にこれ以上燃えるだけの余力は残っていなかった。


 戦術としてのそれではなく、本物の猪武者になってしまった存在を止められる者は、もはや本当にいなくなっていたのである。

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