第二章 人取橋の戦い
童子の正体探し
「二本松潰しはまだ出来ぬのか」
「抵抗はまだ激しいようです」
「黒脛巾組に申しているはずなのだが…」
二本松義継こと畠山義継に父親を殺されたかかった伊達政宗が、その義継の居城を責め立てたのは全く自然な流れである。だがその義継の息子である義綱が立て籠もる二本松城は伊達軍の攻撃を受けたばかりと言う事もありまだ陥落の気配はない。
「激情に駆られるからですよ」
「母上はまさか」
「今でも真に受ける気はありませんが、それでも一人でも二本松の兵が生きておればその口は何十何百と広がったでしょうに」
「敵も馬鹿ではありますまい、どうせ斬られるか座敷牢にぶちこまれるかのどちらかでしょう」
伊達輝宗殺害未遂事件の中心となった、謎の少年。
その存在を目の当たりにしたのは、伊達政宗らを除くと冥土へ行ってしまった畠山義継らしかいない。現世に残っているのは伊達側の人間、要するにその話を広めて得をする側の人間である。
義姫にその事を指摘された政宗は反発するが、それでもこの素材をどう扱うべきかとなると迷うのも事実だった。
現状、一応黒脛巾組に命じて二本松城を含む周辺に畠山義継の非道と伊達輝宗を救った英雄の存在を伝播しているが、それだけで伊達に天命ありと一挙に傾くとは思えない。少なくとも同時に輝宗が義継に拉致されたと言う恥を伝播するようなそれであり、むしろ侮りの種にもなりかねない。もちろん輝宗自身の了解も得てはいるし侮られるのは悪い事ばかりでもないが、正直それなりに危険な綱渡りではある。
「とりあえず、私も父上も反省はしております。兵法の初歩を怠り」
「まったく、あなた方親子は両極端です。勇気とは何だが知らないのですか」
「何かを決断する力の事ですか」
「それが過剰なのを無謀と言い、過少なのを臆病と言うのです。まああくまでも一般論であり、無謀に見えたのが勇敢となり臆病に見えたのが慎重と言われる事もあります。まあ、その場合普段勇敢であったのが臆病だったり無謀だったりするのかもしれませんがね。まあ冷や水でも呑んでおきなさい」
義姫は理屈っぽい性質ではないつもりだが、未知の存在に対抗する術を他に持てるわけでもない。三十九と言う年齢はまだ思想が硬直するには早いかもしれないが、それでもこの世界で生き残るために覚悟を決めるには十分すぎた。
まだ十代の政宗がその境地に達していない現実を、喜ぶべきか否か義姫は迷う事しかできなかった。
※※※※※※
「……………………」
一方、同じように義姫に説教された隠居人・伊達輝宗は、墨の付いていない筆を持ってやはり何も書かれていない紙と向かい合っていた。
本当ならば、この後起こるであろう戦に参加する姿勢を見せるべきだっただろう四十路の男が、まるで絵師のような事をやっている。
確かに畠山義継のやった事は許されないが、そこまでやらせたのが政宗なのも事実だった。東北最強とまでは行かないが二強の一角である伊達家が本気を出せば各個撃破も可能な程の小勢力からしてみれば、もう一方の大勢力である蘆名家を盛り立てさらに南の大勢力である佐竹氏を引き込まねば良くて服属、悪くて破滅だろう。
ただ問題として蘆名家は当主であった蘆名盛隆が昨年暗殺され、跡目となった亀若丸は事もあろうにまだ二歳。その亀若丸の母が伊達晴宗の四女、つまり輝宗の妹だから伊達家としては十分に親族面もできた。もっとも、蘆名家の重臣である金上盛備が強硬に反伊達を掲げている以上とても接近できる状態ではなく、伊達対蘆名の対決はどうにも避けづらい。
と言うか伊達の味方になりそうな家自体、政宗の妻の愛姫の実家である田村家ぐらいしかなく、それらの出せる兵はせいぜい千人。伊達がどうあがいても一万少々しか出せない中敵は蘆名だけで伊達並の数がおり、諸侯が揃って味方すればそれこそ三万になるかもしれない。
もちろん歴史上強大勢力に対する諸侯連合軍は統制が取れず敗北するか勝利しても利害の対立によりすぐ新たなる戦いに入ってしまうのがオチだが、伊達にとって前者は良くても後者は困る。できるだけ対立をあおって戦の最終に内部分裂を起こせれば最高だが、そんなうまい話はない。
「…………」
そんな事情から目を背けるつもりもないが答えを探すでもなくじっと紙を睨む。これまでの戦いを思い出すつもりもないが頭を動かし、まだ若いくせに人生を振り返ってみたりする。
一度死ぬと覚悟を決めた所で生かされたからでもないが、不思議なほど頭が回る。いっその事軍師でもやってみるかと調子に乗りそうになるのをこらえ、何も書いていない紙を見る。
真っ白な紙をどう染めるか、それは絵師とか親とかに限らず万人の特権のはずだ。
どんな絵図面を描くか、それこそ誰にも奪えないはずの特権。ただ残念ながら身分によって与えられた道具は違うが、必ずしも富裕層と良き絵を描ける人間が一致しないのもまた世の中である。
輝宗と言う富裕層の頭に浮かぶのは、やはり「彼」だった。
自分の命を救った、謎の少年。
少年と言う言葉すらぬるいかもしれないほどの幼子。
しかし間違いなく刀を持ち、自分の命を奪わんとした存在を斬った。
どこか古めかしい羽織袴を身にまとったその幼子。
命の恩人とか言うには、どこか中立的な存在。
「うーむ……」
輝宗は筆の先っぽを墨に付ける。
きわめて細い線を描くための、付け方だ。
その筆を動かし、真っ白な紙を染める。
不思議なほど鮮明に覚えている。
黒一色なので描く事は出来ないが、上が黒で下が灰色が定番の羽織袴のはずが上は赤く下は緑色だった。
背丈はもちろん幼児である以上低く、だいたい三尺(約90センチ)と言った所。
足には草履を履いていたがその上に足袋も履いており、とても卑しい身分の人間には思えない。
そしてまだ三歳児で髪の毛などまともにないはずなのに、なぜか髷を結っていた。
どこかの殿様の子どもなのか。
まさか自分も知らない伊達家の親族かとも思ったが、そんな神童とでも言うべき三歳児が居れば自身や政宗の耳に入らない方がおかしい。やり方はどうであれ自分の味方であった以上、秘匿する理由もないはずだ。
それに何より、あの刀だ。
あの刀は、記憶が正しければ三尺はあった。
—————三尺の人間が、三尺の刀を持っている。
これがいかに無茶苦茶かは、一般的な打刀が二尺、大太刀が三尺とされている事でもわかるだろう。
一般的な五尺五寸(約165センチ)程度の背丈の兵が使う刀が二尺であり、強力な武者が使う大太刀が三尺である。仮にその強力な武者の背丈が六尺だとすれば、その大太刀の長さは背丈の半分と言う事になる。
打刀と一般兵の場合比率としては半分以下であり、それが標準なのだ。
要するに、あの少年は実質五尺五寸相当の、普通の打刀の三倍近いそれを振り回していた事になる。
背丈と同じ長さの金属の棒を振り回すなど、誰もできやしない。いや一回二回ならできなくもないが、実戦で使う事など誰が出来ると言うのか。
金属製の火縄銃は四尺四寸(約132センチ)ぐらいあるし重量も一貫六十七匁(約4キロ)と一般的な打刀の約三倍あるが振り回す物ではないから使えているだけで、そんな重い刀など誰が使えると言うのか。
ましてや、あんな風に物の見事に。
重さで叩き切ったとは思えない、鋭い刃を。
あれはいったい何なのか。誰なのかではない、何なのか。
まさか神の使いとかそんなもっとも都合のいい言葉を使う気もないが、そうだとするとつじつまが合うと言うかそうでもないとつじつまが合わない現実。
ほんの三尺ほどの背丈しかない、三歳児が、三尺の刀を持ち、五十名近い大人を切り裂いたと言う事実を前にしては—————。
その上で描いた、絵。
服の色と目鼻立ちを除けば全部ほぼ忠実に描かれたその童子は、顔さえ描けば今にも絵から出て来そうにさえ思えて来る。
画竜点睛とか言うが実際下手に完成させると安っぽくなったり本当にいなくなったりしそうに思え、と言うかそこだけは思い出せない。
さぞかし美少年なのだろうがと思って筆を握ろうとしても、なんかそんな陳腐な言葉で区切っていい気がしなくなって来る。
「うーむ……」
とりあえず筆を置き、絵を眺めてみると、実にその通りだった。
実におかしな話だが、自分が確かに見たはずの存在を、確かに紙に叩き付けると、なぜかこうなるのだ。
あまりにも、非現実的かつ、肥大させなければ解釈できない存在。
そんな存在が、実在すると言うのか。
——————————しかも。
(あの件はもう間違いないだろう……)
もう一人、似たような存在がいるなど。
三ヶ月もかかってようやく信濃からここまで入って来たそれを知るのは、伊達家内ではまだ、輝宗だけだった。
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