大久保彦左衛門の驚愕

「民兵か……」


 大久保忠世も、城門を突破してすぐ襲い掛かって来た新たなる敵の存在をすぐに把握した。

 民兵と言う、殺さなければ敗北殺せばより一層地元の人間を頑なにする存在。一向一揆のように操っている坊主を討てば解決とはならず、その点織田信長でも対処しきれない相手。

 これに対処するには、それこそこの役目を請け負うような人間が必要だ。


「大将様が向かうのは…」

「だな。だがこのままでは忠佐が危ない。となると」


 無論、その事ぐらい家康も忠世もわかっている。

 そして、その本人も。



「大将!」

「鳥居殿!お頼み申しますぞ!」

「わかり申した!やはり殿は素晴らしいお方だ!」

 鳥居元忠は高揚していた。


 家康自ら、真田がその手をやってくるかもしれないと言っていた。

 辛い役目かもしれないがと、浜松にて聞かせてくれた。


 やはりあのお方は、全てを分かっている。あのお方のためならば、命など惜しくはない。何と言われても知った事か。必ずや、上田城を捧げねばならない。


「援護射撃はしますから」

「わかり申した!」


 大久保忠世と鳥居元忠。五十四と四十六の男が民間人を殺す事で盛り上がる。

 これもまた、乱世だった。




※※※※※※




「敵は来るのでしょうか」

「来ます。確実に来ます。真田の勝ち筋など、他にはないのですから。と言うかその口をやめて下さい、拙者の方が十個以上年下なのですから!」




 鳥居元忠隊が上田城に突っ込んだ事により、改めて殿軍となった榊原軍。

 二千と言う決して少なくない数ではあるが、それでも不安は消えない。

 

 いくら警戒してもし過ぎと言う事はないと言わんばかりに目を光らせ、敵の作戦を潰しにかかる。それこそ、家康の本領。

 若い時は姉川のようにそれこそ勇猛果敢に振舞って道を切り開いて来たが、武田信玄や羽柴秀吉のような策を練りまくる存在を相手にして家康は生まれ変わった。無論かつての家康を惜しむ存在もいたが、それでも康政からしてみればその姿こそ自分が知っている家康でしかないから不満はない。


「まあ、数が少ないとなればこの大久保彦左が参ります。榊原殿はここで控えて本隊を撃破してください」

「わかり……承った」

「はっ」


 慎重に振舞う事こそ大事。おそらく東側から来るであろう敵軍を見つめながら、大久保忠佐と鳥居元忠の戦勝を康政は願った。







 ————————————————————そして。




「敵だ!大久保様に敵が迫っている!」




 その予想通り、敵が来た。


 狙いはやはり、大久保忠世!



「行って参ります!」

「頼む!」




 大久保彦左衛門率いる二百の兵が、大久保忠世と言う総大将を狙っている敵へと襲い掛かる。


 戦いは、さらに拡大していた。




 果たして。


「敵です!」

「何だと!真田めやってくれる!数は!」


 忠世軍は、乱れていた。剣戟の音が鳴り響き、負傷者が流したと思しき血まである。


 だと言うのに、敵の姿が見えない。


「ひとり…」

「ひとり!?」


 


 そしてその大久保軍の口から出た、全くあり得ない言葉。




 二千の兵に対し一人で突っ込んで来るなど、無謀とか問題外とか言う話ではない。


 なんかの間違いだろうと言い返そうにも、その場にいる誰もが疑わないで下さいと言わんばかりの目をしている。

「どんなだ」

「まるで何百年も前のそれで、刀を持っているから武士だとは思いますが……」

「それがとんでもない速さで動く上に、立ち向かっても立ち向かっても斬れないのです」


 兵たちの言葉も要領を得ない。


 数百年前の武士。

 とんでもない速さで動く。

 いくら戦っても斬れない。


 そんな人間が実在すると言うのか。実在していたとして、なぜ無名だったのか。

 真田はそんな人間を隠していたのか。


「ええい見せろ!」

 彦左衛門はあれこれ悩むよりまず動く人間であり、その一人とやらを見てやろうとばかりに身を乗り出す。




 存在はすぐに確認できた。


「あれか…」


 極力動揺を隠しながらその敵をにらみつける。




 古めかしい羽織袴に、これまた数百年前のそれの様な刀。

 背丈は彦左衛門よりやや高く、それでいて痩身。


 しかも、かなり美麗衆目。



 そして。


「撃て、撃てー!」


 部隊長のみならずとも、思わずそう叫びたくなるほどの振る舞い。



 いくら軽装とは言え刀と言う名の鉄の棒を持ちながら高く飛び上がり、着地した所にいた兵士たちを斬る。その声につられて放たれた矢のうち弾き返されるのは一流で三流のそれは撃ち上がった後に落下し、その一人以外味方しかいないはずの陣に降り注ぐ。

「あいてて!」

「オイコラ何をやってるんだ!」

「でも!」

 同士討ちと言う名の混乱を生み、余計に場を混乱させる。

 たった一人で、だ。


 中国の三国時代、呉の甘寧は百人で数十万人の陣に奇襲して同士討ちを誘発しとんでもない戦果を挙げたとされているが、今そこにあるのはそれかそれ以上の比率での戦い。

 誤射以上の同士討ちは起きてはいないが、それでもこれ以上長引くと兵たちの心理が持たない。



「おおらあああああ!この大久保彦左衛門がそなたの相手だぁ!!その方、相当な腕利きと見た!名を、名を名乗れぇ!!」


 派手に怒鳴って耳目を集めようとする彦左衛門のやり方は、正しいか正しくないかで行けば正しい。

 そして、その正しさの通り、謎の男は彦左衛門へ向けて突っ込んで来た。


 

「速い!」



 身のこなしが半端ではない。

 まるで天馬の如く脚運びの上に、ちっとも停止しない。


 着地して踏み込んで走り出すまでの間に、ほんのわずかな隙もない。


 しかも目が四つも六つも、いや八つもあるかのように、こちらの攻撃を避けるのもうまい。

 彦左衛門があれだけ盛大にぶち上げてもその約束を平気で破る程度にはしたたかな大久保軍の兵士が刀剣を振りかざすが、素早く左右に動いたり飛び上がったり身をすくめたり、屈んだり飛び上がったりと実にせわしく動く。

 そのくせ全く無駄がなく、羽織袴に触れる事すら許さない。それほどの装束であれば袖ぐらい斬れてしかるべきはずだが、漆黒の羽織も灰色の袴もまったく無傷。草木さえもまともに引っ付かず、土煙さえも立たない。ただまれに血煙は立つ。


「来たか!この大久保彦左衛門、未だ齢三十ながら生涯一の敵となると見た!いざ勝負!勝負!」


 そんな敵に向かう大久保彦左衛門の面相は、実に爽やかだった。


 持てる限りの力を頭を使い、全力で槍を突き出す。

 自分よりもはるかに速く、はるかに強い相手との戦い。精神を鍛えられ、この先の戦いの糧となる。



「おおっ!」



 そんな歓声が上がったのは、当然だった。

 あらかじめわかっていたとは言え、謎の武者の肩をかすめる事に成功したからだ。傷口はともかく風圧により羽織が斬られるか、せめて体勢を崩すかぐらいはあっても良かったはずの一撃。


 実際、これまで無人の野を行くが如しであった謎の武者が、急に二歩ほど後退した。

「よし行けるぞ!」

 彦左衛門の言葉と共に、引き離されていた忠世軍の兵士が謎の武者に突っ込む。彦左衛門軍も彦左衛門の後ろに立ち、逃亡許すまじと言わんばかりに包囲する。


 だが敵は全く油断する事なく、どこが薄いか見極めるように首を振る。その目に諦めの文字はなく、最後の最後まで戦う気らしい。

 ならば。


「一歩一歩、確実に包囲せよ!」


 じっくりと、じっくりと、包囲網を狭めるまで。いくら上に飛べると言っても、距離には限度があるはずだ。ましてや助走もなしとなれば。



「来た!」


 このままでは絶望だと見たか、敵は一挙に走り出す。



 方向は、大久保彦左衛門!



「もらった!!」



 先ほどはかわされたが、今度はそうはいかない!飛び上がった所で距離は知れている、全ての兵を跳び越す事は出来まい!


 勝利を確信した彦左衛門の槍が、今度は敵の左肩を貫いた。




 はずだった。




「何!?」

「危ない!」


 あわてて兵たちが武器を差し出したから向こうの攻撃も弾き返されたが、それでも彦左衛門の受けた心理的打撃はそれ以上だった。







 間違いなく、刺さっていたはずだ。


 自分の突き出した一撃は紛れもなく敵の左肩を捉え、骨と肉を削っていたはずだ。



 瞬間的に避けられたのか。

 それにしては体勢が変わっていない。

 血も、出なかった。


 もしや目が追いつけないほどの速度でかわされ、そして体制を元に戻されたと言うのか。


「このぉ!」


 驚いている暇などあるかとばかりに二発目を放つが、敵は上にいた。


 彦左衛門の真上ではない。先ほど攻撃を受け止めた反動を生かしてか大きく後ろ向きに飛び、包囲網を飛び越えてしまった。そこだとばかりに槍を天に向かって突き出す兵士もいたが、高さも早さも足りずに避けられた。

 そしてそんな無茶苦茶な事をしておきながら、足音すらまともに立てずに北へと走り出す。


「これは…!」

「これはもそれはもあるか!このままでは兄う、いや総大将がやられるぞ!」

「ですが」

「うるさい!全軍追跡!」



 大久保彦左衛門はどうせ行先は大久保忠世だと読み、それ以上余計な事を考えない、考えさせないために叫んだ。実際この判断は極めて正確であり、大久保彦左衛門と言う人間がただ猪突猛進なだけの人間でない事を示すには十分だった。




 ただ同時に、大久保彦左衛門と言う人間が限界ギリギリであった事を示すにも十分であった。




「敵軍到来!」

「どうしたと言うのだ!」

「矢沢軍です!」

「しまった!」




 彦左衛門がそう叫んだ時には、既に東側から迫っていた矢沢頼綱の軍勢は目と鼻の先まで来ていた。

 これを跳ね返す力など彦左衛門の部隊にも忠世軍の分隊にもなく、本隊からもなくなるだろう事を彦左衛門はわかってしまっている。

「これを凌げばもう真田に次の手はなくなる!行くぞぉぉぉぉ!」


 さっきと同じように叫んではみるが、迫力の減衰はどうにもならない。


 大久保彦左衛門忠教は、三十にして恐怖に囚われてしまったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る